今日の日経の社説がなかなか興味深い。
[社説]格差是正の政策を誤っていないか
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO54579670Z10C20A1SHF000/
要するに中身は、富裕層増税なんかしたら経済に支障をきたすから、そんなことをするんじゃない、パイを増やしてそこで再配分政策を考えることこそ正常だ、みたいなことを言っている。
どうしてこんなことを書きたくなったのかというと、やっぱりロシアが裕福でない層の支援の方向性を明確に出してきたことに刺激を受けたFinancial Timesとかが体制護持対策を練って、その小姓の日経がこう書いた、みたいな感じだろうか?
ロシア大統領所信表明演説:次世代に向けた機構改革
ちなみに中国も、中国的なキャラクターを持った社会主義、という言葉を使って方針を組んでるところなので、実のところユーラシアの巨魁2つは、周辺の海賊主義者たちとは異なるものの考え方をしているといっていいでしょう。
ここにある差異は、目先の問題としては、昨日書いたように社会権の問題と、もう1つはその実行手段としてのcentral plannning、つまり中央が計画する体制か否かの問題ですかね。
インフラ整備を国の将来設計と共にやっているのが中露。インフラ整備を「アジアの繁栄を取り込め」とばかりに各社の中短期の儲け口としてだけ発想しているのが、まぁいわゆる西側先進諸国と言っても過言ではないでしょう。
そして、アメリカは、大金持ちがいるから見かけ上の統計では相変わらず大金持ちの国ではあり続けるだろうが、産業基盤を伴った産業大国となることはもうないだろうと見る人たちがいるのはこのため。中央が計画したり運営するとかいったらヒステリー起こす社会だから考えることすら難しい。
(しかし、軍だけは、向こう20年で100兆円の核兵器開発予算を割り当てたオバマを代表例に、また、高等の産業技術を考える場所は別に持っていたりもするわけで、実は他のどの部門より計画的。ただ、その首尾が上々か否かは別問題だが。)
さてさて、それはともかく、日経の無料版のところに出ていたこの言葉が興味深い。
「資本主義に内在する短所は、幸福を不平等に分配することだ。社会主義に内在する長所は、不幸を平等に分配することである」。チャーチル元英首相が1945年にこんな言葉を残している。
これを枕に置くことで、資本主義万歳、社会主義は失敗だと読ませたいのだろうと思う。
しかし、「不幸を平等に分配」することはそんなに悪い考えだろうか? 誰かの不幸をみんなで背負ったらそんなに大したことにはならない、とも考えられるのではなかろうか。
日本に限らずどの国でも自然災害にあった人たちはみんなで支援してる。それは、自然災害にあった村や町が100億円必要だと言ったら大変だが、全国でやったらみんなが100円ずつ出せば100億円になるんだから、それでなんとか頑張れ、あるいは、俺は金持ちだから1000円出す、だから0円の人がいたっていいぞ、という人がいたり、といったごく単純な助け合いの考えに基づいて行われていると思う。
こうして、まず自分が助けないとならない「みんな」だと思える、あるいはそう思うべきだと一種の義務感を感じられる範囲がnationで(歴史や体験、慣習を共有しているから)、それをマネージするためのエンティティとして見た時の姿がstate(国家)なんじゃなかろうか。
したがって、助けないとならないだろう、とか、社会を維持しないとならないだろう、という発想が人々の頭にも心にもなくなるのだったら、それは、そこにはもはやnationはない、ということになるのではなかろうか。
■ 商品化とunity・nation・文明
で、話は大げさな方にいくんだけど、社会主義といえば誰の頭にも浮かんでくるマルクスについてちょっと異論を書いてみたい。
その前にマルクスが書いたものは資本主義とはどんなものなのかを理解するには適していただろうし、今後もこのシステムが続く限り参考書として読まれるものの1つにはなるでしょうし、その方がいいよ、と私は思ってる。少なくともフリードマン系より役にたつと思うよ、とも思う。西部邁さんもそう思っていたことでしょう。
西部ゼミナール(2013年):錯乱腐乱に向かうエコノミックス
だけれども、これは江戸時代末期の人であるマルクスのせいというよりその後のマルクス主義者の頭が固かったせいなのか、多分後者というべきだろうとは思うが、ともあれ、マルク主義を巡っては1つ考え違いがあると思う。
それは、資本主義が成熟したら社会主義になるという発生順序は多分相当あり得ない、控えめに言っても困難すぎるほど困難だろうというところ。
資本主義は人を商品化していくシステム(またはその機能しか問題にしないシステムとでもいうべきか)で、人々は「疎外」されていくわけでしょ。商品(または消費者でも似たようなもの)としての機能以外に見るべきもののない存在として処理されるシステムになっちゃったら、人々は連帯しようという気にはならない。雑駁にいえばシニカルでバラバラなエンティティになる。
これでは、社会を保持しよう、みんなで生きようという発想に至れないのでは?
だから、もし現行の社会を壊したくない(民族や文化、文明を失いたくない)、維持したいと思うのなら、資本主義しかない、他は考える必要などないといった、高度に資本主義化された社会にしてしまってはいけない、と考えるべきだったのではなかろうか。
前にも書いたけど、いわゆる現行の資本主義を入れるにしても、liberty, equality, and brothers and sisters(自由、平等、同胞愛)ぐらいまでが人間社会的には最適解だったんじゃなかろうか。
ふと思えば、最近の米民主党あたりを中心とした「リベラル」勢よりも、まだしも、昔、自由・平等・同胞愛と言った人たちは利口だったなと言ってもみたいと思う。平等が入ると自由には自ずから制限がかかるし、同胞愛が入ると仲間を大事にする都合上、自由にも平等にも制限がかかる。それでいていて自由を否定することにはならない。なんらかの秩序を維持するための原則としては、リベラル史上主義よりよっぽど利口だった。
無責任である自由を行使しすぎた
ロシアや中国という、マルクスの本を読んだ人がたくさんいる国が、必死こいてunityを訴え、その保持に全力を注いでるのを見ると、やっぱり、行きつくところまで行ったら社会はおろか、ロシア圏、中華圏、つまり文明圏を失うぞ、ぐらいの考えを持ってるのかな、などと思ったりする今日この頃。
■ オマケ1
日本の当局者も一応unityの弱まりには気づいているものか、それで結局あられもない、こんなことになる。テレビの前でunityらしきものを感じて終われ、っていうことらしい。あはははは。
■ オマケ2
この体制護持派は、この問題も日本国民に片づけさせてくれないんだよね。この集団にとっての尊厳の問題だと思うんだけど、これすら解決できなかったらそりゃもうunityはほどけますよ。
ちょうど1年前のエントリー。結局、誰も触らずにここまで来た。
第2次大戦の結果を認められない唯一の国