シリア政府軍は、アレッポの空港を奪還し、尚意気軒高。次はダマスカスの空軍基地奪還を目指す模様。
Syrian Army Set to Take Full Control of Another Strategic Airbase
http://sputniknews.com/middleeast/20151112/1029976254/syrian-army-strategic-airbase.html#ixzz3rHnGUUAX
方向としてはバラバラだけどまず空域確保、航空支援体制を全面的にシリア+4(ロシア、イラン、ヒズボラ、イラク)にとって優位なものにしようということなんだろうか。
それはそうと、前日のアレッポ近郊の空港奪取の様子がRTにあがっていた。アップされている映像の中には死体ががんがん出てきますので閲覧は注意してください。
ISIS Besiege Broken: Assad forces regain control of key airbase
なんとなく、70年前でも今でも戦争は結局地上でやるもの、情報分析に基づき戦略を立てられる上の方と、現場を仕切れる有能で勇気と体力のある人間がしっかり連携できてる方が結局勝つという話じゃないかと思うわけですよ。
とか書いていて、なんだかこのシリア作戦ってスターリングラードと言っていえないこともないよな、とか思った。絶体絶命に近い位置にいたシリアが、戦略眼のある上層部が大きな戦略を立て、現場は勇気ある指揮官が接近戦を恐れず、崩れず、戦局をキープし、ついに反抗に至る、って感じ。
ということは、戦略的に詰んでるし、これ以上かき混ぜないためには政策を変更してロシアと共にISを撃つというのが一番いいアイデアだろうと多くの人がいうのに突っぱねて、ISのスポンサーは実は俺ら、いや俺らの仲間・・・と言わんばかりの行動に出てしまっているアメリカのアシュトン・カーター国防長官が、名誉ある撤退が上策だったのに突っぱねたドイツ軍のパウルス指揮官となるのか。
ということは、パウルスの上官としてわけのわからない戦術に固執したヒトラーとオバマさんは同じポジションってことですね。あはは。
そのアナロジーだとプーチンはスターリンになる。・;・・・実際非常に深いところでそうだといえばそうなのかも、ですね、これは。つまり、スターリンはレーニン路線(どうあれ西側のプロット)を裏切り、プーチンはエリツィン路線(明白な西側のプロット)を裏切って「ロシアはロシアだ主義」に戻してるわけですから。
■ スターリングラード攻防戦雑感
スターリングラードの戦いは、実際戦いも非常にドラマチックなんだけど、この戦いがなぜ語り継がれるのかといえば、この帰趨がもたらしたインパクトが予想以上だったからというのもあると思う。ドイツ軍は無理だとさえ思ってなかったところで反撃され、結果的に第六軍を見捨てたわけだから、このしょげ返り方は半端じゃなかったでしょう。
しかも、コーカサスの軍を逃がすためにこの犠牲はやむなしみたいなことを言って、ドイツ国民に対して、当初、たいしたことはないみたいなことをナチス政権は言っていた。しかし、この強がりはむしろ疑心暗鬼を生む。そして、戦術的にも、コーカサスはコーカサスでソビエト+英米にやられて、ドイツ軍はそれほど機能的な動きができてなかった。そうこうしているうちにクリミアも落とされ、クラスノダールもダメになり、といった具合に一気に崩れていく。
戦争を物優位に見る人は、ドイツ軍の補給が限界だったから、といったところに力点を置くでしょう。それはそれでまったく正しいとは思う。しかし、私はもう一つあると思うんですよね。
それは、ここで初めてドイツ軍は自分たちが、あからさまな侵略軍にすぎないことに気付いてしまった、ってのが大きいんじゃないのかという説を立てて考えてるの。
文学的だけど、これって見逃せないと思うわけですよ。
なぜなら、これは全軍に恐怖感を植え付けることになるから。
この町のそこかしこにいる一般人はみんな敵なのだと気付くというのは、軍にとっては恐ろしい事態だと思う。しかもその恐怖感はどこかに潜む他者だけでなく、自己をもむしばむ。
どういうことかというと、他者の土地に侵略していく側は、冷静に考えれば、行かなくてもいいという選択肢がある。だから、勝っている時には、この試みはやってよかった、賭けてよかった試みなんだけど、負けが込んでくれば、これは賭けるべきではなかった試みだ、になる。
しかも手ひどい負け方で味方が飢えたり、凍死し、それを自軍が救出作戦もできないとなれば、こんなことをしなければよかったのだ、という疑念が優位になる。俺たちはなんでこんなことをしているんだ、という後悔と悔恨がないまぜになった顔をした兵士を毎日見る将校にとってこれほど辛い状況はない。士気に影響しないわけはない。また、修正すればなんとかなる漸進的侵攻プランなら一回進軍停止もあり得るけど、ヒトラーみたいにある種の思想戦で全体を煽ってもっていっている場合には、全面勝利以外には目標にできない。ちょっとだけ負けるってのも実際難しいけどね。
逆に、迎え撃ってる側は、もともとそこは俺らの土地で敵が侵入してきている以上、やれることをやる以外にはない。最初っから精神的には迷いがない。戦わないという選択肢はない。問題は、どこで反抗ののろしをあげるかだけだし、一度失敗したからといってそこで終わりではない。
その上、ソビエトの場合は、チュイコフだのザイツェフだのといった、マジものの一般民衆あがりの人が英雄になっていくから、なおさら、これはみんなの戦いなのだ感が盛り上がった。
そういうわけで、スターリングラードの市街戦はそのスケールの故に語り継がれているだけではないのだろう、など思うわけです。
いやまぁ、だからといって別に今すぐアメリカが崩れるとか言いたいんじゃないですよ。そこまでのことにはならない。ただ、影響力ってものはあるわけでして、この影響はアメリカにとってネガティブに残ることになるのかなぁと思ってみてる。
少なくとも、既にこの影響はある。やたらめったらシリアに兵を出すのへちまだのと言っているアメリカは、ただのinvader(侵略している人)だと少なからぬ人が思ってる現状は、アメリカだからどこに入っていってもいいんだ、という神話が崩れていることを示してる。
詳解 独ソ戦全史―「史上最大の地上戦」の実像 戦略・戦術分析 (学研M文庫) | |
David M. Glantz,Jonathan M. House,守屋 純 | |
学習研究社 |
スターリングラード 運命の攻囲戦 1942-1943 (朝日文庫) | |
堀 たほ子 | |
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