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戦後保守とは何か

2013-12-12 20:40:01 | 参考資料-平成

1/3【討論!】表現者スペシャル・さようなら戦後日本[桜H24/1/21]

もう2年近く前の動画。ブックマークを整理していていた出てきたので再度視聴した。

表現者スペシャルの回なので西部邁 先生のお説をまんべんなく楽しむというのがこの回の正統的な楽しみ方かとも思うけれど、今回は、富岡幸一郎先生による「戦後保守とは何か」の分類が非常に興味深い。
17分ぐらいから出てくる。

面白いので書き起こしてメモに残したい。

富岡幸一郎先生による
戦後保守とは何か
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親米保守
 米国に依存すればよしとする従属根性

改革保守
 維新という語を取り違える錯覚野郎

経済保守
 戦後の経済成長を礼賛する成金趣味

反共・反マル保守
 共産主義を敵とする右翼小児病

皇室保守
 皇室を愛護すればよしとする「中今」主義

風土論保守
 一神教を理解せず多神教賛美の宗教音痴

----------------

この中では、経済保守と反共・反マル保守が強いし目立つように思うけど、風土論保守もあなどれない勢力を持っていると思う。富岡先生もこの代表者としてあげておられたが、梅原猛 先生を中心としたグループの90年代の活躍ぶりは、今となってみれば猛威をふるっていたと言ってもいい感がある。

思うに、90年代初頭というのは80年代の経済的成功を受けて、強い自分について述べたくなった時期なんだろうなぁと思う。つまり、これだけ成功した我々はどんなものか、我々は語るべきだ、みたいなノリがあったと思う。やたらに西欧人が日本に関心を寄せていた時期でもあった。

そこで、風土論保守派は、日本は多神教で寛容で、日本の四季の美しさは他に例がなく、日本は自然と共に生き、などという具合に自らを記述していた。日本人にとっての自然とは、とかいうテーマの本やら論考がいっぱいあった。

これだけならまぁそうといっていえないこともないわけだけど、今から考えて問題だったのは、この論調は、常に、西洋人との対比で語られていたこと。あっちは一神教で、砂漠の宗教で、妥協を許さず、神との契約の意識が強く云々、それに対して日本人は、もっと寛容で調和型だ、で、結局こっちが素晴らしいと結論する。

こういう分類の仕方というのは、学術ものの前提か何かで使っている分には害はない。が、具体的に今も生きるものに当てはめたりした途端迷惑なものになりかねない。

何年か前小沢一郎氏が、キリスト教文明は非常に排他的で、独善的な宗教だと思っているとかなんとか言って騒ぎになっていたのがまさにその例。

もしこれをキリスト教を信じる個人に言えばどうなるか言うまでもない。そんなこと言う方が独善的と言わねばならないでしょう、普通に考えて。そしてそんなことを言い出す人のどこが調和的なんだよ、だ。

しかし、風土論保守の人にはこれがわからないらしいのだ。富岡幸一郎先生はこの保守の人たちを「宗教音痴」と言われていたが、私はもっと根深く幅広く音痴だと思う。

最近、政治とか安全保障とかを語る人の中に、なんでもかんでも日本人は素晴らしい、これを否定するのは自虐だ、といったことを言う人がいる。でも、これは程度問題ですよ。もちろん、事実問題で譲る必要はまったくないが。


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