中江兆民―百年の誤解 | |
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時事通信出版局 |
中江兆民―百年の誤解
「東洋のルソー」と喧伝されている兆民は別にフランス革命のイデオローグでもないし、民主主義者でもないし、民主主義を徹底したところの社会主義を希求した人物でもない、というご本。
西部邁 先生が前々から主張されていたことなので驚きはないのだけど、言われてみれば私の人生の中で目にした兆民には、民主主義の元祖みたいなイメージが絶えず付されていたように思う。
こうなる一つの理由は、東洋のルソーとかいう二つ名が広まったというのがまずい。
さらに、民約論を翻訳はしたけど、ルソーの思想に共鳴していたわけでもなんでもない、という点が見落とされ、幸徳秋水との関係で遡って社会主義者扱いされ、さらにさらに、自由民権運動にかかわって被差別から立候補して衆議院議員になったという顛末が、社会主義的傾向をゆるぎないものにしちゃった、ということだろうか。
しかし、実際には、大陸のロシアを警戒し、断固打つべしという態度を崩さず、この当時の知識人が普通にそうであったように、国家を守るにはどうしたものかに多大なる関心を抱いていた。まずなによりもそういう人だった。
中江兆民そのものが魅力的な人物なので彼自身を知るのも興味深いことだが、それ以上に彼の生きた同時代に天下国家を真剣に考えていたその他の人々を理解する上でもヘルプになる本だと思った。
また、兆民は言ってみれば討幕側についた、その一味の人には違いないけど、彼を読むうちに逆に徳川幕藩体制が武士階級に授けた教養というのは大したもので、それがあったればこそ日本は比較的スムーズに大改革を乗り切ったのだと改めて考えさせられる。(藤田東湖はいうに及ばず福沢諭吉でもそうだし、橋本佐内でも、誰を中心に考えてもそうなんだけど)
最近、1945年以降のいわゆる戦後体制の中で書かれたことの嘘っぱちぐあいというか不都合ぐあいが話題になる(いわゆるGHQ史観はおかしいだろう、という話)が、明治維新のストーリーテリングも同じく見直されるべきなんだろうと思う。坂本龍馬と薩長のいざこざだけで物語るのは物語としは面白いかもしれないが、それでは話は半分にもならない。