ほんとにこんな感じでいいんだろうかと悩んでしまう成り行き。
森友訴訟に出廷記録、稲田氏が答弁撤回し謝罪へ
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170314-00050058-yom-pol
稲田防衛相は14日午前の参院予算委員会理事会で、学校法人「森友学園」(大阪市)が起こした民事訴訟の口頭弁論に原告側代理人として出廷したことを認め、学園の裁判に関わったことはないとする国会答弁を撤回し、謝罪する考えを自民党理事を通じて各党に伝えた。
ということで森友学園との関係でミソのついた稲田氏は、謝罪するなどして禊となるかもしれないし、ひょっとしたらトカゲのシッポ切り的な処遇を自民党が判断することもあるのかもしれない。
が、しかし、これって本当にそれでいいんだろうかと思えてならない。というのは、多分、問題は、日本会議であり、もっといえば生長の家であり谷口雅春であり、戦前からそれらを支持していた人々の一群ということになるんだろうなと思えるから。
(さらにいえば平田篤胤の変奏みたいな基盤の存在がまずもって問題だろうとも思っているが)
しかし、そうなると宗教という壁に阻まれるため、誰もそこを開けたくないのだろうと思う。特に政治家は。だから、森友学園を巡る、要するに世俗的な問題で追及しようとしている、と。
それはそれで方針というか戦術として正しいと思うけど、それで足りるんだろうかというのが悩ましい。
一般にネトウヨと呼ばれる人たちは、作られた「愛国主義」だというのはまぁ多くの人が気付くところだけど、それをひっぱる人たちが寄って立つ「史観」はだいたいどこにあるかといえば、やっぱり旧生長、谷口氏の言説であるように思う。
wikiの谷口雅春氏の項を見たら、こんな記述があった。
“大東亜戦争(太平洋戦争)に敗れたのは飽くまでも無明(まよい)と島国根性に凝り固まった「偽の日本」であって、本当の「神洲日本国」は敗れたのではない”と七つの灯台の点灯者の神示などで主張した。
また日本国憲法を“連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が日本を弱体化する為に日本に押し付けた無効の憲法であるので、即時に破棄して大日本帝国憲法(明治憲法)に復元しなければならない”と説き、「明治憲法復元運動」を起こした。その一環として時の首相・福田赳夫に日本国憲法無効宣言をするように提言した。著書『“諸悪の因”現憲法』(1972年)では以下のように記している。
とまぁ、そんな感じなわけですよ。ネトウヨの主張そのままであるだけでなく、一部の思想家、一部の政治家も確かにその路線に乗っていたようだな、というところが戦後70年を振り返ってみて恐ろしいところだと言わなければならないでしょう。
そして、ただにそれだけでなく、政治家を含む日本をコントロールする一群がこれらの一群を使っていました、という話なんでしょう。この部分が私が言う「極東ラットライン」相当部分。
それに対して、戦後70年も経って総体としての日本がなし得るのは、それ自体を言語化せずに、世俗部分の認識の誤りのみを否定して(例:日本は敗戦したんです)いく、という感じでしょうか。
それでいいんだろうか。言い訳ないよなぁとはまぁ思う。だってこの流れっていかにも日本独自でやっているようで、実のところ英米勢に触発されたトロキスト過激派みたいな流れなんだもの。国際情勢にあわせて過激化するしね。このへんだって本当は検討課題だと思うのよ。ところが、なにか、そういうのは触らずに・・・となっていきたがる我が邦の傾向というのは確かにある。多分よほどマズイんだろうなと翻ってみればそう見えるわけだが。
とはいえ、現状、戦後レジームのガラパゴス側面が明らかになってきているやにもみえ、この傾向は大変良いと寿ぐべきか。「夢想ガラパゴス」に光が差して、美人だと思ってたのに近寄ってみると結構なばあさんだったなみたいな感じまでは来た。これは今後にとって良いというべきでしょう。置文伝説派としては、やれやれという感じがする春の宵といったところ。
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戦線は見えているのだが
それから、私が文中で
実際はウィキリークスの表記を複写されただけだったのをうっかりして
>「神洲日本国」は敗れたのではない”と七つの灯台の点灯者の神示などで主張した。
とこちらで書かれたように書いていました。
後でそれに気付き訂正しましたが、
失礼の段深くお詫びします。
わざわざお知らせありがとうございます。個人の体験を読ませていただいたことを私はむしろ感謝したいと思いました。
それでも、私はきっと今後も和久さんにとって受け入れがたいことを書くだろうと思います。どうぞよろしく^^;
自分のブログでコメントの返事として書いたばかりです。
これは本心ですので、
一切お気遣いなさらないで下さい。
その代わり、私も思った通りの事を書いて、
もしかしたら、お気を悪くさせることがあるかもしれません。
>私はきっと今後も和久さんにとって受け入れがたいことを書くだろうと思います。
を見て、そんな時にも、ご了承頂けるものと安心しました。
・・・・・なんて対等のような事を言ってしまいましたが、
こちらのブログでは、色々と教えていただく事ばかりで、いつも更新を楽しみにしています。
これからもどうか宜しくお願い申し上げます。