日本が台風被害で混乱する中、中東方面はおおむね収拾に向かう方向は崩れていない感じがする。後でまた何か書きたい。
その前に、いやいやしかし、メディアは恐ろしい。知人の中に、いつの間にこんな風になったの、恐ろしい世の中になったもの、これからはこんな時代なのね、みたいな、台風という現象が最近大きくなっているかのような前提でものを言う人が結構いて、いやぁ室戸台風とか伊勢湾台風とか、あるいは狩野川、キャサリン、明治43年の水害とか知りませんか?と思った。
私にとっては初めてです、こんなことあるなんで恐ろしい、という1人の人にとっての真実は、その事象が過去300年、1000年、あるいは100年で最も強い、最も大きい、最も凶悪なものだったを意味しないという考えてみれば当然のことが理解できない人が相当いるんだなと思ったりもして、悲しい。
日本の歴史って洪水と治水の歴史なんだから、もう少し過去の事象を教えるべき。そうでないと、この間の日経みたいな馬鹿を晒す。馬鹿が馬鹿を晒すだけなら被害はないが、それが治水事業に対する無理解を生むとどこかでなくてもいい被害を生む。
日経は治水など役に立たない派らしいし、日本の大手企業も概して日本の安定より世界の金儲けの方が好きらしい現状を鑑みれば、もはや埼玉、茨城、群馬、栃木、千葉の各県は話し合いによって、「利根川・荒川を自然に戻して江戸湾に流そう会」を結成して、上流部はひたすら河口に向かって水を流すことだけ考える設計にすればいいんじゃないの?
過去何百年もの間の人々の苦闘と知恵と実行の便益の最たるものを受益しているのは23区内のとりわけ湾岸沿いのエリアで、元日比谷入江だったあたりを本拠とする人々が治水事業の重要性がわからないなどというのは、放置すべきでない事態だと思う。
荒川なんかおそらく日本一お金かけて治水してる河川でしょう。その恩恵をもって湾岸の低地が住宅街になって、都心まで何分とかいって儲けてる人々がいて、立地的に金融関係者も結構住んでるんじゃないかと思うわけだが、その人たちにどれだけ金があろうとも、八ッ場ダムを作ることはあるいは可能であっても、渡良瀬遊水地を今から作り出すことは、彼らが好きな言葉でいえば「採算が取れない」でしょう。
惨い歴史的背景があって残った部分さえ活用され、人々の役に立っていたりするわけだということを歴史的視座を持って記述できるような人たちが今後の日本には必要だと思いますね、ほんと。
いつもはこんな感じ。
今回、湖になった遊水地。
こうやって一回貯めて何をしているのかといえば、確かにこの地域の主に栃木県の人たちの不慮の洪水を防止するのみならず、下流域に、全部一気に無軌道に流すような河川の設計にしてないってのもポイントが大きい。
こんな簡単なことがどうも飲み込めてない人が世の中多数いるらしく、困ったこと。
この記事読んだ時、可能性って何、可能性って、と驚いた。
【台風19号】首都圏の大洪水を、彩湖や渡良瀬遊水地が防いだ可能性。専門家が指摘
https://www.huffingtonpost.jp/entry/typhoon-19-shutoken_jp_5da3ea91e4b087efdbb0bdd6
安田さんは、より多くの水を集め、流域面積が広い大河川やその支流が各地で氾濫したことを挙げ、「19号が広範に記録的な雨を降らせたことが改めて浮かび上がった」と語った。その一方、荒川の調整池である彩湖や、利根川水系の渡良瀬川が流入する渡良瀬遊水地にも大量の水が流れ込んでおり、「これらが機能し、下流の首都圏の大洪水を防ぐことができた」との見方も示した。
いや、よく読むと、安田進・東京電機大名誉教授(地盤工学)は、「これらが機能し、下流の首都圏の大洪水を防ぐことができた」と語っているが、朝日の記者が、勝手にこれを一つのオピニオン扱いして、見出しを「防いだ可能性」にしてる。
こういうのを可能性扱いするんだったら、やっぱり一回、上流部は下流に向けて無軌道に流し切ることだけを旨として河川設計すればいいんじゃないの? 江戸湾に流す会は必要だな、ほんと。
そこで可能性の検証したらいいじゃないか。
どうして全部をいっぺんに流すことが危険なのかというと、最終的に海に流しきれない可能性があるからでしょ? だから満潮時が問題だと語られ、時間帯によってはみんな固唾をのむ。
今回も沿岸部に近い河川なんかでは、潮が高い時間帯に流しきれなくて逆流して越水、悪くすれば弱いところの堤防が切れる、みたなことが発生しているものと思う。
あと、多くの河川で、そこは昔いざという時にあふれさせる、潜在的遊水地だった場所に住宅が建っているために被害となった、ってなケースもあるんだろうなとも思う。
日本は基本的に多数の城下町だったところを下敷きにしているため、多くの河川は都市の中心域に水害をもたらさないように作られているままだろうと思う。簡単にいえば、どうしようもなくなったら田畑に犠牲になってもらう、という考え。だから、堤防の両岸は同じ高さでなかったりする(いざとなったら田畑側に先に流れる)。
■ 言論と現実
2014年のウクライナでのクーデーターの後、あまりにも主流メディアが嘘ばっかり書いていた頃に、地上で起こっている事実はしかしながら曲げられないといった趣旨のことを書いたことがあった。
メディア上の真実・地上の事実
で、今回の台風を報じる日本の主流メディアの様子というのは、この構図が透けてみえてきたって感じがあるのかなと思った。
メディアが誘導して、1つの結論めいたものを作って、そこを土台にしてなんらかの政策を作るという作為的行為の連続にバックラッシュが起きているのではないかとも思える。
例えば、現在の主流メディアは地球温暖化だからこれから巨大台風が襲ってくるのだという論調を持ってる。あるいは無責任に書き散らしてる。
しかし、このテーマはこれによって特定の先進国が外に金を出すとか、次世代の原子力とかいわゆる再生可能エネルギーのために使われる場合には多いに援用されるが、巨大台風が来るのか、よーし、だったら路盤工事だ、土壌改良工事だ、といった方向に引っ張られる場合には、二の足を踏むどころか沈黙される。
これはちょうど、東海大地震の対策という名の長年のプロジェクトが存在したが、足元の各地の地震問題は、歴史地震の解明さえ近年まで大した資金援助がなかったらようだというのと似てると思う。
両方に共通しているのは、歴史的経緯への無知だろうと思うんですよね、私は。そして人の営みは、いやいやあらゆる存在は歴史的経緯の果てにある。現在というのは氷山の一角のようなイメージでとらえるといいんじゃないかと思う。地盤に載ってない今はない、と。
そういうわけで、目先の政治的問題というよりもう少し長いスパンでどうやって社会を知性的にできるのか、みたいな考えが必要になってくるように思う。
■ オマケ
ネット上で、利根川が今回大きな悲劇を生むことなく終わったことについて八ッ場ダムをやたらに讃えている人がいるというので、朝日がウォーニングを出してきた。
八ツ場ダムの効果称賛、専門家は疑問視「冷静に検証を」
https://www.asahi.com/articles/ASMBJ6F0GMBJUHNB01Q.html
実際問題このダムが設置されたことのみをやたらにハイライトするのは間違いだと私も思う。ハイライトさせたい人たちの底意は、だって、だから民主党は酷かったという話にしたいだけだと思うしね。
だがしかし、こういう切り取り方は誤解の素、というか新たな燃料投下でしょう。
記録的な大雨をもたらした台風19号で、試験貯水中に満水となった八ツ場(やんば)ダム(群馬県長野原町)の治水効果をめぐり、称賛と批判が渦巻いている。こうした状況について、治水の専門家の今本博健・京都大名誉教授(河川工学)に話を聞いた。
別に、治水効果はなかった、みたいなことを誰も言ってないのでは? つまり称賛はあるが批判はないでしょう。
結局この、大した知恵があるわけでもないジャーナリストの言、ジャーナリズムの論調にひっかかってはいかんという、まずそこを抑えるべきでしょうね。
ジャーナリストなるものは通常御用聞きみたいなものだ、と。だからなんらかの話題のピックアップには役に立つが、それ以上のものではない。
しかし、現行のメディア環境を批判してもなんの解決にもならない。どうやって多くの人ができるだけ良好な議論環境を整えられるんだろう、というテーマこそ考えるべきテーマなんんだろうと思う。
ま、なんてか、お手軽民主主義の時代の終焉を見てる気がする。ここからどういう秩序形成にするのかは各nationによる、って感じかしらね。
携帯電話で助かった命もあれば、逆に携帯電話で大事故になり死んだリ大怪我をした例も数限りなくある
ダムの治水ですが、去年の愛媛県に肱川や2011年の熊野川の場合はダムの緊急放流で大災害が発生した。
脱ダム宣言の田中康男知事を追い落とした信濃毎日ですが、明らかに大失敗。
穴あきの浅川ダムの造ることで、千曲川の遊水地だった長野市の長沼地区にある赤沼にJRが新幹線車両基地を造り水没する。
自業自得ですが、浅川ダムと、遊水池だった赤沼の新幹線基地とはバーターだったらしい。
https://www.youtube.com/watch?v=qnQ6u88ThzM
洪水があったのは、バイカル湖西方のトゥルンという人口4万程の町で、水位は10m以上あがり、多くの家屋が押し流されました。死者18名不明7名(これで済んだのは非常事態省の救助隊の活動のお陰)、一帯で1万人以上が家を失うという悲惨な状況でした。被害拡大が明らかになったのが、丁度G20の最中で、プーチンは大阪からの帰途現地入りし、対策を指示しています。更に9月にはウラジオの経済フォーラムに向かう途中、再度立ち寄り住民からの要望を聞いています。
https://yandex.ru/images/search?text=%D0%B2%D0%B8%D0%B7%D0%B8%D1%82%20%D0%BF%D1%83%D1%82%D0%B8%D0%BD%D0%B0%20%D0%B2%20%D1%82%D1%83%D0%BB%D1%83%D0%BD&stype=image&lr=112883&source=wiz
結果、被災者は住居の消失面積、家族人数等に応じ救援金が支払われました。その額は平均300万ルーブリ(約500万円)であったと報じられています。
更に今週、大臣知事を集めたこの水害関連の会議でのプーチンの発言、「法律の規定に必ずしも準じる必要はない。被災者には真心から接して欲しい。」
https://www.1tv.ru/news/issue/2019-10-16/21:00#2
このキャスターの冒頭の言葉、「正式であるがどうかよりも、肝心なことは全てを失った人々が希望を持てるかどうかだ。」
最近この国でよく耳にする薄っぺらな言葉を使えば、どこの政府が人々に寄り添っているか、明らかだと思いますが如何でしょうか。
書いてくださってありがとうございます。
私もこの件はさり気のフォローしてます。
Vesti Newsというチャネルがロシアニュースの英語版を作ってくれているので基本的にそこを定点観測点にしてます。
https://www.youtube.com/channel/UCa8MaD6gQscto_Nq1i49iew
プーチンが地元の役人たちに、人々を手荒に扱うんじゃない、もっと親切に対応しろと怒っていたのも見ました。住民の中に入って行ってホントに会話しているところなど何かこちらまで気持ちを揺さぶられるような思いで見てました。
そうなんですよ、この感じと我が国の現状の乖離ぐあいが、もうなんか辛い思いです。
ご指摘の、必ずしも法律に云々のところは非常に重要な論点ですね。緊急時に何をすべきかを法律で縛るというのは一見公平なようで、実はまったく無味乾燥な無駄になる可能性はある。
これでは個別具体的な人間を救えない、ためにならないとなった時そこにいる責任者はどっちに向かうのか。そしてそれを人々はどう受け止め反応するのか。かなり本質的な問題だと思います。また考えてみたいです。
重要なご指摘ありがとうございました。