政府チャーター機に乗った人たちに8万円の料金が課せられたという話に、多くの人が有料なのか!と驚いたようだった。
有料なのかどうかというより、そもそもこの退避行動は強制なのか否かが問題なのではなかろうかと私は思う。
つまり、
1) 強制退避勧告を政府が決定したので、お前ら帰って来い、帰って来ない奴は以降困難があろうと助けないからな、といった状況。戦争開始の時に敵国に残っているなら相応の覚悟をしろといった類の強制的な措置なのか、
それとも、
2) 民間航空機の離発着も制限される中、足の確保もままらないでしょうから政府が用立てします、といったあくまで任意の参加を促す措置なのか、
というのがまず重要な違いではなかろうか。
前者ならそりゃ普通無料でしょう、って話で、後者なら金取るのはむしろ普通かな、みたいなところ。
で、現状、1)だと宣言して行動してる国はないのではなかろうか。
アメリカは、国務省とかの公務員とその家族、そしてその周辺の人々がさりげにチャーター機で出てきたみたいな状況であるように見えるんだが・・・。つまり、多数のアメリカ人は中国に残ってる。アメリカってだいたいこういう対応。
ロシアは、武漢周辺のロシア国民を退避させる手段について中国当局と現在相談している、当該地域のロシア国民とは大使館が接触してる、中国のその他地域については退避行動等の予定はないと昨日TASSに書いてあった。
https://tass.com/society/1114015
その代り、中国からの帰国者は国境で厳重に検査されている模様。いわゆる水際作戦というやつで、12月31日中国が新型ウィルスの話を公表した時からずっと警戒態勢敷いてますと報道されていて、今のところロシア国内の感染者はいない模様。
さらに、鉄道もモスクワ・北京間を除き運行中止。
ロシア極東部は中露国境閉鎖。
https://www.rt.com/russia/479567-russia-china-border-coronavirus/
必要がある場合を除き、国民に中国への渡航を控えるよう指示していたところから一歩進んだといったところ。
■ ムードとやってることが違う
と、こうやって考えてくるに、現在の日本はあたかも1)が起こったような騒ぎをして、足元の現実はそこまでの対応をすべき状況ではないと行政当局が判断しているために、多くの人と現実の間に齟齬がみえるって感じじゃないでしょうか。
そもそも、
中国の湖北省武漢での新型のコロナウイルスの感染の拡大を受けて、現地からの帰国を希望する日本人を乗せたチャーター機の第2便はけさ羽田空港に到着しました。帰国した人のうち14人に発熱などの症状があるということです。
とNHKが書くように、強制力をもって退避させているわけではない。
■ SARSの時に外地にいた私
この話で思い出すのは、2003年のSARS。この時私はカナダに滞在していて、この手の騒ぎの中にいた。
当時の日本大使館の様子は上で書いたロシアの感じに似てるかも。滞在者に注意喚起して、情報はこうなってますよと大使館がメールリンクを作ってた。
最終的に、多数のカナダ在住の日本人が言っていたのは、カナダ当局への苦情ではなくて、むしろ日本の報道とそれに煽られた日本人に閉口した、といったあたりだった。
私はあんまり気にしてなかったので詳しくないんだが、日本の報道に対して相当怒ってた人はいた。つまり、SARSがアウトブレークした後、確かに一時期罹患した人たちは増えていったわけだけど、拠点病院を郊外において、毎日の推移もしっかり報道されているので、その他の場所ではそんなに混乱した状況はなかったと言っていいと思う。
ところが、日本の某新聞社がわざわざその郊外の拠点病院まで行って、マスクして防護服着てるお医者さんであるらしい人の写真を取って、トロントという大都会が全部大変なことになっているみたいな印象を与える記事にしていた。
私も見たけど自分がどう感じたのかは記憶が曖昧。ただ、なんでこんなことをするんだ、と憤慨してた人たちがいたのはよく覚えている。日本に帰国しようとしたら日本の親戚からそんなところから帰ってくるなと言われたとか、ショックを受けていたとかとか、いろいろあったなぁ、そういえば。
で、あの時の騒ぎは、しかしながらSARS単体の問題でもなかったというのが実は大きかったと思う。SARS問題が深刻化したのが2003年の春先から春にかけて。中国南部→香港→トロントという経路だった。もちろん、中国人が多いからこうなったのだ、みたいな話にちょっと火がついてたような気はする。
イラク戦争が始まったのが2003年3月20日。
この時、カナダはこの戦争でアメリカと一緒に行かないという大決断をしたもので、一部アメリカ人がこの判断に怒って、怒って、大変な騒ぎになっていた。
だもんで、SARSをネタにしてカナダに行くな、危険だ、カナダに観光などもっての他云々の大騒ぎをアメリカのメディアが嵩にかかって仕掛けてきやがった、と少なくとも一定のカナダ人及びカナダ在住者が感じた事態ではあった。
しかし、イラク戦争に反対してたアメリカ人ってのも多数いるわけで、こっちの方の人たちがカナダを守れとばかりに騒いでいた記憶もある。確か、トロントかモントリオールで行われる予定になっていた国際会議をSARSを理由に中止しようということになったら、アメリカ人の団体が断固開催すると主張するという一幕があった。
今から思えば、日本の報道もカナダ・バッシングに寄与するための行動だったんだろうと思う。
■ オマケ
ネット上には相当おかしなニュースが流れているので、大げさな話には食らいつかない方がいいと思います。
特に、右派というか、クリスチャンシオニスト系というか、日本だと統一協会とその派生形というかといったあたりが、この話を煽ってる感じがします。反中だってのもあるし、あと、トランプの立場が不評を招いている最中だからじゃないだろうか。
ほんとに。1000万都市の封鎖ですから、東京を封鎖するのと同じ規模。大変なことだと思います。
その中から各国の人を出すというのも、これまた大変。
アウトブレークのピークタイムがあと1週間ぐらいと読んでいるものと思いますが、できるだけ被害が小さいことを祈りたいと思います。
私は1952年武漢に生まれました。両親は留用された日本人で、母は人民解放軍で看護婦をしていました。
日本の敗戦の年の冬、満州ではチフスの大流行で危機的状況でした。このとき、中国人の医療従事者は少なく、これをとめる力はありませんでした。
そこで、三千人にも及ぶ日本人の医者や看護婦が留め置かれたのです。
このときの満州の中共責任者の一人は李立三で短期間に帰国前の日本人の家族構成や職業を割り出し、医療部隊を編成しました。
非情、果断、素早い対応で、国共内戦に勝ち抜いたのも、むべなるかな。
インフルエンザとは違うけれど、結核も感染する病。我が家は結核の父とずっと小さな家で暮らしていたので、兄は結核性脳膜炎で2歳で亡くなり、私は粟粒結核になったけれど、生き延びています。母は全然大丈夫でした。
私が子供の頃は、赤痢、疫痢、ジフテリア等、近所で時々出ていましたが、そんなものだという感じでしたね。
アメリカの株価も、いつ暴落してもおかしくないと思っていましたが、そうなったら、今回の新型コロナのせいにしてしまうかも。
武漢空港への。日本政府のチャーター機の離着陸にも一悶着。空港職員を確保するのにも一苦労だったらしい。
日本政府の威光を使っての、中国当局の封鎖を破って、武漢からの救出劇なのですから、「任意だから金を払え」では,つじつまが合わない。
17年前のSARSがカナダに飛び火した話は日本国内では、ほぼ誰も知らない話でしょう。当時の報道は中国南部の香港周辺、しかも中国人などモンゴル人種が対象で、それ以外は関係ないような報じ方だった。
29日夜ドイツのDPA通信はIOC(国際オリンピック委員会)とWHO(世界保健機構)が東京五輪開催問題(新型コロナウイルスでの肺炎対策)で協議と報じる。
ひょっとすると、これが一番メインかもしれません。
別に日本の大使館とかから、何か指示があるとかはなかったはずです。いつも混雑している北京の空港がガラガラだったと言っていました。日本に着いて検査も何もなし。
SARS騒ぎの中、知人は中国旅行に予定通り行き、「熱烈歓迎」だったと喜んでいました。
私の父は、長く結核で闘病していましたが、最期はインフルエンザに罹って亡くなりました。体力がなかったからでしょうね。7月の初めだったのですが、そんな時期にもインフルエンザになるのですね。父の大学時代からの友人の医者が看取ってくれました。死亡診断書、インフルエンザと書かれていました。父が亡くなった後、母と私がインフルエンザになって、とってもしんどかったの覚えています。
新型でもSARSでも、インフルエンザでも、体力と運かな?