二・二六事件とは何だったのか―同時代の視点と現代からの視点 | |
藤原書店 |
二・二六事件とは何だったのか、というタイトル通り、何だったのか、と20人以上の著者が短文を寄せているという構成の本。そういう意味で別に結論はないし、事件の概要とか詳述というのもない。だから、ある程度概要を知っている人しか読まないことを前提に出来ている本といえるかな。ひとことでいって、取りとめのない本。
しかし、
世界のメディアはいかに報じたか
日本のメディアはいかに報じたか
のセクションに、事件当時の報道の記録が収録されており、これが非常に興味深い。報じていたか、と書いてあるけど、実際には事件についてまとまった形で論説した文の収録なので、センセーショナルな見出しと共に出てくる速報タイプの記事ではない。アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、ソ連、中国の各論説は、論説するからには一体日本の政治状況はどのようになっているのかを書かないと収まらないから、当然、この論考はそこまでの日本の様子はどのように分析されていたのかの資料にもなる。
個人的に面白かったのは、事件から20日後にイギリスのデイリー・テレグラフ紙に載ったというロルド・スタナード氏の論考。あきらかに、政治学か何かの人なのかな、といった視点だったので今検索したら、イギリス、アメリカの憲法制度の比較研究の本が出てくる。私がもの知らずなだけで、著名な学者さんなのかもしれない。
日本は1889年に憲法を制定し、天皇をひとつの機関として描くことになったが、その一方でそれに真っ向から対立した考えを持つ人々がおり、分けてもかなり多くの軍人にそういう人がいた。「彼らにとっては、陸海軍は、天皇に具現化した日本精神の、自然で必然的な番人なのである」。
この断絶は十分な権威をもった人物がいれば妥協できていただろうが、最後の元老も年を取り、調整できる人は誰もいない。「日本は中国と同様、西洋思想の衝撃のもとで動揺しているのだ」ともある。
つまり、この前年にあった天皇機関説問題を語っているのだが、この問題を政治的、ジャーナリスト的な意味づけで終わらぜずに、この問題はもっと深いところに根があるとうトーンで描いているのが興味深い。
その他の記事が、現在の日本の軍の動向に着目しつつ、ファシズム対リベラル、陸軍のファシストグループが、軍部のファシストによる、といった括りで描ききるのとは一線を画す。
その他、一読して、なにかとっても既視感があると思ったのはドイツで出されたもの(フランクフルター・ツァイトゥング)。
そして、なんとそれは解説によればリヒャルト・ゾルゲが書いたもので間違いないだろうとのこと。
農村における窮乏など日本には大きな社会的不安定が存在していることがこの事件の背景にあり、日本の陸軍内に権力闘争があって、決起した青年将校たちが目的としたのは「皇道」という概念で、彼らが考える天皇とは「神としての真の性格」を有し、この性格が日本の国内改造の過程や世界支配を目指す中で発揮されなければならないと考えている云々…。
私たちは多分、いわゆる戦後民主主義なるもののうちにこのへんのストーリーラインを既存のものとして読まされてたってことなんだろうなぁと感慨深い。
このラインじゃ、ユーラシアの東西で、つまりヨーロッパで、チャイナで、各国がしのぎを削っていた状況が全然わからなくなる。
まだ、実際には大東亜戦争、太平洋戦争、第二次世界大戦はまだ何も始まってもいないのだが、既に打倒すべき「帝国日本」の原型が見えるのも興味深い。
というわけで、二・二六事件そのものではなく、その勃発によって垣間見えるものがいろいろあってかなり興味深い一冊といえる。
ただ、各短文そのものに価値があるかというとかなり微妙。
でも、今後もきっと見直すだろうなという本かなと思える。なんでかというと、まとまった論考としてある説を説得するという本ではないため、著者の傾向もばらばら、問題点は散らばったままになっているのがかえっていい。
ある種、資料へのアプローチ用インデックスみたいになっていて興味深い。