熊本、大分の地震で大きな被害が出た。被災された方のことを思うと胸がつぶれそうになる。
そういう中にあっては何か書きにくいものがあるけど、なんか昨日、今日の報道を見ながら、私は結構な違和感と結構な寂しさを感じずにはいられないってところなのでメモをしておこうと思う。
まず熊本でM6.4の地震のあった木曜夜の翌日金曜日、明るくなった街の様子に驚き、亡くなった方や被災された方たちの様子に心を痛めつつも、同時に、なにせ余震が多く、そしてその場所が阿蘇山に近く、そして、別の懸念として中央構造線沿いの地震とみなすべきではないのかといった話もあり、多くの人は事態を懸念したまま、だったと思う。つまり、何か余波があるのでは・・・という感じ。
私は金曜日は久しぶりに夕方のテレビのニュースを見て、どうも政府は今夜は誰も屋外に置き去りにはしない、とか言っていると伝えていた。私は、え?これってホントにこのまま収束なの?と思い、多分、え?ぐらい言ったのかもしれない。すると、珍しく一緒にテレビを見ていた母が、それそれという調子で乗り出す割りには別のことを言い出した。
彼女が夕方からひっきりなしに見ていたテレビ報道でも、明日は誰も屋外で過ごさせない、みたいなことを政府(安倍ちゃんなの?聞きそびれた)が言っていたらしい。しかし、彼女の考えでは、屋内にって熊本に住んでる人全員どこか頑丈なところに収容できるわけではないでしょ、とすれば結局多くの人はおうちにいろってことでしょ、でも熊本の人たちは怖くて屋内で眠れない、家が倒壊したどうしようとか思うわけでしょ、だからおうちで眠りたくないから外に出るんでしょ? だったら大量の毛布でも用意した方がマシじゃないの? これでいいの? ねぇあなたどう思う? ということであった。
私は上述のようにそもそもこれで一連の地震が下降気味になるということそのものに疑問があったわけなので、いやもう、それどろこじゃなくて病人を他地域に移すとかしてもいいかもよ、とか言い出したかったのだが、ともあれ母の話ももっともだなと思った。そこから二人で、毛布と水は大量にそこら中に備蓄しておくべきという話になって、そういうものは地域にある大きくて立派な役所とかなんとか会館に置くだけじゃなくて(距離があるかもしれないから)適当にそこらに出先、預り所みたいなのを作って必要なら近所の人同士でさっさと出したりできるようにしておくべきだろう、みたいなことを話した。ケチなこと言わないで、無駄で上等と思って備蓄させときゃ誰かのタメになるでしょ、だけどどうしてそれができないのか、主たる問題点はなんだろう、もったいないから?場所がないから?盗まれるから?不公平だから?とかとか、思わず臨時婦人会会合状態になった。
その夜、今度はM7.3と昨夜より大きな地震が発生した。
別に私は政府、気象庁、報道機関等々の関係機関を咎めたいとかいう意図はないですが、へんな対応をしているなぁと思ったことを書いておきたいから書いてる。
また、本震+余震というシンプルな考えを多くの人に植え付けるがごとき発想もどうなんでしょう、とも思った。
夕べのM7.3の地震についても、昨日のではなくこれが本震です、とか言っていた。こうこられると、多くの人は知らず知らずに、後は小さな地震が続いて収束すると考える。おそらくこれは、一つの振動eventに対してのmainとその余波、という処理に対する表現方法としては正しいんのでしょう。しかし、一般人はそうは聞かないと思うんです。で、現状、もう一段展開がない、とは言い切れないですよね、現在の状況を見ていると・・・。
下の図は、九州大学のサイトによる、24時間のまとめのマップ。
http://www.sevo.kyushu-u.ac.jp/~hypo/hypomap/last1day_kyu.html
いずれにしても、近代的な地震観測体制ってそんなに古いものではないんだし、どうやって起こるのかも実のところそんなにはっきりしたことが言えてるわけでもないようにしか思えないんだから、伝える側の人たちにはいろいろ工夫が必要だと思う。
■ 日本は変わったんだな、と
もう一つ思い出した。違和感どころか、心底がっくり来たのは、夕方、珍しくフジテレビにチャンネルが行ってしまって、視聴開始から1分も経たないうちに聞いたこれ。
女性のアナウンサーが、「ところで、今回政府の対応は迅速ですよね」と振りだした。
上のように、私は、政府の対応は、初動を見誤ったんじゃないのかな、という感じを持っていたから、はぁ?とまず思った。でも、いや、そうだからこそこの番組においては政府を持ちあげようという意図があったってことでもあったんでしょう。
で、思うのは、日本は変わったんだな、ってこと。
少なくとも90年代までの日本だったら、死者が40人も出るような出来事において、たとえ政府および各種公的機関がどれだけ頑張ったと知っていても、決して政府の対応をマスコミが褒めたりはしなかったでしょう。それは別にマスコミが反政府だからではなくて、国民の命を守ることが政府の務めである以上、なぜ犠牲者が出たのか検証すべき、厳しくみとく、という発想、姿勢が当然あったからでしょう。(もちろん、意味不明に党派党略で批判したこともあっただろうが)
それが無くなったんだなぁとはっきり認識させられた日だった。
■ 補足
今、政府 屋内避難 で検索したらこんな記事があった。
知事「現場分かってない」…「屋内避難」に反発
http://mainichi.jp/articles/20160416/k00/00m/040/150000c
(略)
松本副内閣相によると、「河野(太郎)防災担当相に『今日中に青空避難所というのは解消してくれ』と強く言われて参った」と力説したところ、知事は「避難所が足りなくてみなさんがあそこに出たわけではない。余震が怖くて部屋の中にいられないから出たんだ。現場の気持ちが分かっていない」と不快感を示したという。
記事自体が、松本副内閣相の伝聞なのでなんとも言えないけど、やっぱりそう思わはったんやな、ってところですね。
千年震災 | |
都司嘉宣 | |
ダイヤモンド社 |
歴史地震の話―語り継がれた南海地震 | |
都司 嘉宣 | |
高知新聞社 |
つまりね、現地のひとりひとりはどうなるのか、なにより助けなならん、という発想が先に来ない「仕様」なんじゃないですかね。