11月22日
一昨日、ガーネーシャゲートを入った所で、セキュリティーの人にチェックを受けた。今までガーネーシャゲートでチェックを受けたことはなかったのだが、なぜかと思った。
いつものようにゲートを入って歩いていると後ろから呼ぶような声が数回聞こえた。しかし、まさか自分が呼び止められるとは思わなかったから、振り返ろうとも思わず歩き続けたら、私を呼び止めているのだと言う。そしてゲートの詰め所の警官の前まで連れて行かれた。
「アコモデーションの許可を受けたのか?」
「いいえ、外に泊まっている。」
「いつインドに来たのか?どこからインドに入ったのか?」
「えー、パスポートを見ますか?」
「あー、見せて下さい。」
「バンコクからコルコトに入って、それからネパールに出国して、先月の16日にバラナシに入って、24日にプッタパルティーに来たんですが。」
「日本のどこから?」
「GUMMA」
「分かりました。問題ありません。」
少しショックである。ガーネーシャゲートには常時多くの人が出入りしているし、そのなかには外国人もたくさんいる。なぜ私がチェックを受けなければならないのか。人相が悪いからなのか?挙動不審に見られたのか?
その話をあちこちでしてみると、山辺さんも、ふたりずれの日本の神様も、とにかく日本人らしい人は手当たり次第にチェックしているらしいことがわかった。どうも雲行きがおかしい。
チェックしているのは、警察官本人ではなく、私服で30歳くらいの数人の男性である。
聞いた噂をまとめてみると次のようになる。
いろいろ問題を起こしている例のグループが大挙してインドに入国したいう事。その人達がアシュラムに入ることを警戒しているらしい。それから、爆弾を仕掛けるという脅迫電話が入ったという話もある。警戒の厳しさからみれば、爆弾の電話の話も単なる噂ではないかもしれない。アシュラム内には日本人に対する悪い噂がいろいろ飛び交っているらしい。
ミーティングでも、その話がでた。
外に泊まっていた日本人のひとりは、アシュラムに入れなくなったという。理由についてはわからない。
それから、年輩のおばさんは、それまで泊まっていた宿から出されてしまったという。理由は、日本人と関わり合いになってトラブルになりたくないという事だそうだ。
状況は思ったより深刻である。
私のような無計画な旅の途中なら、また旅に出ればよいだけであるが、スワミの傍にいることだけを目的にここに来ている人達にとっては、私のよりずっと大きな問題である。
しかし、手の打ちようがない。へたに騒げば事はさらに大きくなり、最悪の場合日本人全員退去になっても仕方のない状況である。
アシュラムは善意で運営されている民間の施設である。そして我々は単なる外国人旅行者にすぎない。アシュラムに出入りさせてもらっていることに感謝こそすれ、こちらから強く要求できる立場ではない。とにかく行動を慎んで、しばらく様子をみるしかない。
そして、とうとう昨晩は、私の泊まっている宿の部屋にまで調べに来た。
ホテルや宿を一軒一軒調べて、日本人滞在者のチェックをしたのだ。
私の部屋に来たのは、夜中の11時過ぎである。制服の警官らしき人が来たが、さいわいその人は私の顔を覚えていたらしく、特に話しもせず「I know you」と言って、握手をして帰っていった。
アシュラム内の宿泊施設でも同様のチェックが行われたそうだから、徹底している。
しかし、何を基準にして、どうしようとしているのか、全く分からない。
たぶん彼らには、理由のいかんを問わず、プッタパルティーを立ち退かせるくらいの権限はあるような感じがする。
それにしても、夜中に一軒一軒調べるというのはよほどのことである。まるで指名手配犯を追っかけているようである。
しかし、日本人をさらに選別する確固たる基準は、たぶん何もないのではないか。
日本人はとんだ悪名をいただいてしまったらしい。
今日、スワミがアシュラムの外に出かけるところに出くわした。
その時、日本人らしい女性ばかり30人ほどのグループが、本屋さんの脇にずらっと並んでいるのが見えた。
こう云った場合、普通はスワミの見える場所に寄ってくるものなのだが、彼女らはそうしないで、列を作ったまま、厳しい目でこちらを睨んでいるようにみえた。
後で聞いたところでは、どうもこの人達は問題になっている日本人グループのうちのひとつらしい。彼らはこのあとすぐにバンガロールにバスで移動したらしい。アシュラムに滞在できず外のホテルを確保することもできなければ、そうするしかないのだろう。
もうひとつの話。
例の手かざし治療の教祖様が泊まっているホテルに、インドのオーガニゼイションの人が会いに行く時に、通訳を頼まれて同行した旅行会社の人の話。
この旅行会社の人は、30歳くらいの男性。この旅行会社は、信者さんが経営しているサイババ専門の小さな旅行会社らしい。
その教祖様が云うには「2000年の輪廻を経て、6ヶ月前にシャクティーパットグルになりました。」とのこと。
オーガニゼイションの人が、一度ダルシャンに出てスワミに会うことを奨めたが、その教祖様はダルシャンに出ることは拒否しているとのこと。それならなぜプッタパルティーに来ているのか、理由が分からない。結局双方の意見は全くかみ合わなかったという。
今朝は、ダルシャンラインに早く並ばなくてはと、4時を少し回った頃、ガーネーシャゲートに向かった。おあつらえ向きに小雨が降っているので、広間に早く入れてもらえるかもしれないと思った。ガーネーシャゲートが開いたのは、4時半頃、雨降りなので人の列は、広間の脇のひさしの下と、その向かいの建物の下にできていた。それで私はひさしの下に並ぶことにした。
ゲートが開いてすぐアシュラムに入ったのにすでに大勢の人が並んでいた。生誕祭の前日だから、アシュラムに滞在している人も普段よりだいぶん多い。
列に並んでからあまり待たずに、すぐに広間に入れてもらえた。
ずいぶん早く入れてもらえたと思ったが、入ってみると指定された座る場所が普段と違う。
広間の東側に作った列の人数を数えて、100人くらいが入ったところで、広間に人を入れるのは打ち切り。
そのうちに、ダルシャンの時広間を管理するセバダルの人達が入ってきた。しかし、まだ彼らが配置につくわけでもない。広間には掃除のおばさんがいるし、生誕祭用の飾り付けの手直しをしている人もいる。どうも、私が並んでいたラインはダルシャンラインではなく、何か別のラインであったらしいと気づく。
しかし、並んでしまった以上は、はじめからそのつもりで並んだような振りをするしかない。
私のほかにもその列をダルシャンラインと思っていた人はいるようで、質問している白人の男性もいた。
これからどうなる事かと思っていると、マンディールに案内された。
マンディールというのは、寺院の事である。ここには以前2回入った事がある。午後のバジャンの後のメディテーションの時である。
マンディールは、二百人も入ればいっぱいになるほどの大きさである。祭壇の位置には、シルディーのサイババとスワミの写真が飾ってある。
メディテーションの時には、そこでしばらく瞑想をするだけであるが、それでもじわっと感じるものがあった。スワミの力は、距離や時間に関係なくあらゆる場所・過去未来に行き渡っているはずだが、私のような者は、マンディールなどのスワミに関係のある場所で、わずかながらそれに触れることが出来るのだと思う。
そして朝、これからマンディールで行われるのは、メディテーションではなくオームカーラムと呼ぶそうである。
マンディールの中は薄暗い。私のような外人には、セバダルが懐中電灯の光で座る場所を指示してくれる。
我々は、普段ダルシャンラインで5時15分頃からオームを21回全員で唱えているが、それをマンディールの中で行い、そのあと特別な歌を歌うのである。神様を目覚めさせる祈りの歌だというその歌を、専門の女性がリードをとって30分ほど歌った。これは、とてもすばらしい経験であった。
毎朝やっているのだろうが、朝が早いのとダルシャンラインに並ぶ時間に重複するので、知らなかっただけなのだ。オームカーラムを終えると6時半くらいになる。この頃には、広間は人でいっぱいになっている。オームカーラムに参加した人の多くは地元のインド人らしく、ダルシャンには出ないで、外に出て行く。私のようにダルシャンに参加する者は、広間の後ろの方に座る事になる。
一昨日、ガーネーシャゲートを入った所で、セキュリティーの人にチェックを受けた。今までガーネーシャゲートでチェックを受けたことはなかったのだが、なぜかと思った。
いつものようにゲートを入って歩いていると後ろから呼ぶような声が数回聞こえた。しかし、まさか自分が呼び止められるとは思わなかったから、振り返ろうとも思わず歩き続けたら、私を呼び止めているのだと言う。そしてゲートの詰め所の警官の前まで連れて行かれた。
「アコモデーションの許可を受けたのか?」
「いいえ、外に泊まっている。」
「いつインドに来たのか?どこからインドに入ったのか?」
「えー、パスポートを見ますか?」
「あー、見せて下さい。」
「バンコクからコルコトに入って、それからネパールに出国して、先月の16日にバラナシに入って、24日にプッタパルティーに来たんですが。」
「日本のどこから?」
「GUMMA」
「分かりました。問題ありません。」
少しショックである。ガーネーシャゲートには常時多くの人が出入りしているし、そのなかには外国人もたくさんいる。なぜ私がチェックを受けなければならないのか。人相が悪いからなのか?挙動不審に見られたのか?
その話をあちこちでしてみると、山辺さんも、ふたりずれの日本の神様も、とにかく日本人らしい人は手当たり次第にチェックしているらしいことがわかった。どうも雲行きがおかしい。
チェックしているのは、警察官本人ではなく、私服で30歳くらいの数人の男性である。
聞いた噂をまとめてみると次のようになる。
いろいろ問題を起こしている例のグループが大挙してインドに入国したいう事。その人達がアシュラムに入ることを警戒しているらしい。それから、爆弾を仕掛けるという脅迫電話が入ったという話もある。警戒の厳しさからみれば、爆弾の電話の話も単なる噂ではないかもしれない。アシュラム内には日本人に対する悪い噂がいろいろ飛び交っているらしい。
ミーティングでも、その話がでた。
外に泊まっていた日本人のひとりは、アシュラムに入れなくなったという。理由についてはわからない。
それから、年輩のおばさんは、それまで泊まっていた宿から出されてしまったという。理由は、日本人と関わり合いになってトラブルになりたくないという事だそうだ。
状況は思ったより深刻である。
私のような無計画な旅の途中なら、また旅に出ればよいだけであるが、スワミの傍にいることだけを目的にここに来ている人達にとっては、私のよりずっと大きな問題である。
しかし、手の打ちようがない。へたに騒げば事はさらに大きくなり、最悪の場合日本人全員退去になっても仕方のない状況である。
アシュラムは善意で運営されている民間の施設である。そして我々は単なる外国人旅行者にすぎない。アシュラムに出入りさせてもらっていることに感謝こそすれ、こちらから強く要求できる立場ではない。とにかく行動を慎んで、しばらく様子をみるしかない。
そして、とうとう昨晩は、私の泊まっている宿の部屋にまで調べに来た。
ホテルや宿を一軒一軒調べて、日本人滞在者のチェックをしたのだ。
私の部屋に来たのは、夜中の11時過ぎである。制服の警官らしき人が来たが、さいわいその人は私の顔を覚えていたらしく、特に話しもせず「I know you」と言って、握手をして帰っていった。
アシュラム内の宿泊施設でも同様のチェックが行われたそうだから、徹底している。
しかし、何を基準にして、どうしようとしているのか、全く分からない。
たぶん彼らには、理由のいかんを問わず、プッタパルティーを立ち退かせるくらいの権限はあるような感じがする。
それにしても、夜中に一軒一軒調べるというのはよほどのことである。まるで指名手配犯を追っかけているようである。
しかし、日本人をさらに選別する確固たる基準は、たぶん何もないのではないか。
日本人はとんだ悪名をいただいてしまったらしい。
今日、スワミがアシュラムの外に出かけるところに出くわした。
その時、日本人らしい女性ばかり30人ほどのグループが、本屋さんの脇にずらっと並んでいるのが見えた。
こう云った場合、普通はスワミの見える場所に寄ってくるものなのだが、彼女らはそうしないで、列を作ったまま、厳しい目でこちらを睨んでいるようにみえた。
後で聞いたところでは、どうもこの人達は問題になっている日本人グループのうちのひとつらしい。彼らはこのあとすぐにバンガロールにバスで移動したらしい。アシュラムに滞在できず外のホテルを確保することもできなければ、そうするしかないのだろう。
もうひとつの話。
例の手かざし治療の教祖様が泊まっているホテルに、インドのオーガニゼイションの人が会いに行く時に、通訳を頼まれて同行した旅行会社の人の話。
この旅行会社の人は、30歳くらいの男性。この旅行会社は、信者さんが経営しているサイババ専門の小さな旅行会社らしい。
その教祖様が云うには「2000年の輪廻を経て、6ヶ月前にシャクティーパットグルになりました。」とのこと。
オーガニゼイションの人が、一度ダルシャンに出てスワミに会うことを奨めたが、その教祖様はダルシャンに出ることは拒否しているとのこと。それならなぜプッタパルティーに来ているのか、理由が分からない。結局双方の意見は全くかみ合わなかったという。
今朝は、ダルシャンラインに早く並ばなくてはと、4時を少し回った頃、ガーネーシャゲートに向かった。おあつらえ向きに小雨が降っているので、広間に早く入れてもらえるかもしれないと思った。ガーネーシャゲートが開いたのは、4時半頃、雨降りなので人の列は、広間の脇のひさしの下と、その向かいの建物の下にできていた。それで私はひさしの下に並ぶことにした。
ゲートが開いてすぐアシュラムに入ったのにすでに大勢の人が並んでいた。生誕祭の前日だから、アシュラムに滞在している人も普段よりだいぶん多い。
列に並んでからあまり待たずに、すぐに広間に入れてもらえた。
ずいぶん早く入れてもらえたと思ったが、入ってみると指定された座る場所が普段と違う。
広間の東側に作った列の人数を数えて、100人くらいが入ったところで、広間に人を入れるのは打ち切り。
そのうちに、ダルシャンの時広間を管理するセバダルの人達が入ってきた。しかし、まだ彼らが配置につくわけでもない。広間には掃除のおばさんがいるし、生誕祭用の飾り付けの手直しをしている人もいる。どうも、私が並んでいたラインはダルシャンラインではなく、何か別のラインであったらしいと気づく。
しかし、並んでしまった以上は、はじめからそのつもりで並んだような振りをするしかない。
私のほかにもその列をダルシャンラインと思っていた人はいるようで、質問している白人の男性もいた。
これからどうなる事かと思っていると、マンディールに案内された。
マンディールというのは、寺院の事である。ここには以前2回入った事がある。午後のバジャンの後のメディテーションの時である。
マンディールは、二百人も入ればいっぱいになるほどの大きさである。祭壇の位置には、シルディーのサイババとスワミの写真が飾ってある。
メディテーションの時には、そこでしばらく瞑想をするだけであるが、それでもじわっと感じるものがあった。スワミの力は、距離や時間に関係なくあらゆる場所・過去未来に行き渡っているはずだが、私のような者は、マンディールなどのスワミに関係のある場所で、わずかながらそれに触れることが出来るのだと思う。
そして朝、これからマンディールで行われるのは、メディテーションではなくオームカーラムと呼ぶそうである。
マンディールの中は薄暗い。私のような外人には、セバダルが懐中電灯の光で座る場所を指示してくれる。
我々は、普段ダルシャンラインで5時15分頃からオームを21回全員で唱えているが、それをマンディールの中で行い、そのあと特別な歌を歌うのである。神様を目覚めさせる祈りの歌だというその歌を、専門の女性がリードをとって30分ほど歌った。これは、とてもすばらしい経験であった。
毎朝やっているのだろうが、朝が早いのとダルシャンラインに並ぶ時間に重複するので、知らなかっただけなのだ。オームカーラムを終えると6時半くらいになる。この頃には、広間は人でいっぱいになっている。オームカーラムに参加した人の多くは地元のインド人らしく、ダルシャンには出ないで、外に出て行く。私のようにダルシャンに参加する者は、広間の後ろの方に座る事になる。