旅の予定
ホテルに戻ると、再び旅の予定の事が気になりだす。今後の予定をある程度決めて、帰国便の予約くらいは取っておかないといけない。「地球の歩き方」とにらめっこして、おおまかな予定を立ててみる。今回の旅行の目的はサイババなのだから、日本に帰るまでアシュラムにいてもいいはずなのだが、せっかく来たのだからとつい思ってしまう。
どうも私はせっかちである。後で思えば、もう一日二日様子を見てから考えたほうがよかったのだろうが、それができない。
翌日には、前日のタクシーの運転手に頼んで航空会社をめぐり、国内線の予約と帰国の便の手配をした。
インド国内は列車を使うべきなのだろうが、鉄道の切符の手配は面倒だとガイドブックに書いてあったので、長距離の移動は飛行機を使う事にした。
まず国内線のインディアン・エアラインに行った。前日作った計画では、十日間くらいサイババの所にいて、それからボンベイに行って、エローラ、アジャンターの仏教遺跡を見て、それからヒンドゥー教の聖地であるガンジス川沿いのバラナスィに行くという予定だったが、調べてもらうとその頃のボンベイ行きの飛行機は全て満席だという。それでその場であっさり計画を変更して、デリー経由で直接バラナスィに行く事にする。なんともいい加減な計画だが、それでもいいような気がしてしまう。
それから次に、帰りのフライトを決めにエア・インディアのオフィスに向かう。オフィスは月曜日のためか混んでいて、11時前に行ったのに昼食休憩を挟んで午後3時近くまで待たされてしまった。
しかし、エア・インディアのオフィスで待たされたおかげで、高山さんという日本人に会う。彼はホワイトフィールドのアシュラムの外に部屋を借りている。これでまた私の予定は少し変わる事になった。実のところ、私はアシュラム内に宿泊する事に若干の抵抗を感じていたので、彼に相談にのってもらってアシュラムの外に部屋を探す事にした。若干の抵抗というのは、主に私がタバコ好きだという事である。
高山さんは、サイババに会いたいという知り合いを連れてバンガロールに来ているが、ゴアの方が好きなようで、近いうちにゴアに戻るという。
さて、彼の話によると、彼が案内してきたその知り合いの女性には若干の霊能力があるのだという。そして、その女性は今やはり日本から来ているもっと本格的な?霊能者と行動を共にしたいと言っているのだそうだ。さすが、サイババの所にはいろんな人が来ているものだと思う。それから、そう思っている私もそのいろんな人のうちの一人にちがいないとも思う。
ホワイトフィールドのサイババのアシュラムの正門前の通りには土産物屋や食堂などが並んでいる。高山さんに連れられて、その店の間を通り抜けて裏手にまわると、小学生くらいの子供たちが何人か集まって来た。高山さんが、空いている部屋があるかどうか子供たちに尋ねると、子供たちはそういった事を知っていて案内してくれる。
案内されたのは家の集まった所からはちょっと離れたアパートのような作りの2階建ての建物である。建物はきれいなピンク色に塗られていて新しい。
部屋を見ると風通しがよさそうなのも気に入ったので借りる事にした。ここは管理人が住んでいるわけでもなく、宿というよりは貸し部屋である。一日250RS。サイババのアシュラムの周辺は外国人が集まるために、インドでも特別に物価が高くなっているらしい。ちなみに、その後の旅の途中、北インドの観光地では同じような部屋が100RSで借りられた。
借りる事になった二階の部屋は眺めもいいし、結構きれいで、静かである。ベットはないが、そのかわりにゴザと敷き布団と枕が2人分置いてあった。これでやっとインドらしい所に来たような気がした。部屋は四畳半くらいで、トイレと水のシャワーのある部屋が付いている。窓には鉄格子がはまっていて、もちろんガラス戸ではなく板戸である。
ωケンタウリ
食べる事についてはインドにいる間あまり困ることはなかった。外国人が立ち寄るような場所ではイタリア料理風のメニューもあるし、インドの食事では、チャパティーという小麦とフスマでできた薄いパンと野菜カレーのセットが食べやすかった。インドではお米も取れるので野菜入りのフライドライスなども食べられる。また、外で食べるのが面倒な時は、クラッカーとバナナとオレンジなどの果物で済ませる事もできる。
飲み水は1リットル容器のミネラルウォーターがどこでも安く手に入るのでそれを持ち歩いていれば全く問題ない。
夕方の7時頃、高山さんに案内してもらって、アシュラム内の食堂に食事に行った。食事はもちろん完全なベジタリアンだが、好きなものを選ぶ事もできるし、味付けも日本人好みの薄味で美味しかった。しかも料金がたいそう安いので、申し訳ないようだった。
夜になってもアシュラムの前の土産物屋はにぎやかだ。日本の夏祭の縁日のような感じである。しかし、にぎやかなのはアシュラムの門前の200メートルほどの場所だけで、ほんの少しそこから離れるともう懐中電灯の必要な田舎の暗い道である。
借りた部屋には裸電球がひとつだけで、本を読むのも疲れるので自然と早寝になった。
翌朝、肌寒いような明け方の3時頃、目が醒めたので南の空を見ると南十字星とωケンタウリが見えていた。ωケンタウリは、子供の頃から見たかった星のひとつだ。星ではなく球状星団なのだが星のように明るく見えるのである。星を見る事を楽しみにしている者にとって、日本では見る事のできない南の空は憧れである。
「ケンタウルス、露をふらせ。」は宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の中の『ケンタウルス祭』での子供の囃子言葉だが、これはωケンタウリのイメージだろう。
ホテルに戻ると、再び旅の予定の事が気になりだす。今後の予定をある程度決めて、帰国便の予約くらいは取っておかないといけない。「地球の歩き方」とにらめっこして、おおまかな予定を立ててみる。今回の旅行の目的はサイババなのだから、日本に帰るまでアシュラムにいてもいいはずなのだが、せっかく来たのだからとつい思ってしまう。
どうも私はせっかちである。後で思えば、もう一日二日様子を見てから考えたほうがよかったのだろうが、それができない。
翌日には、前日のタクシーの運転手に頼んで航空会社をめぐり、国内線の予約と帰国の便の手配をした。
インド国内は列車を使うべきなのだろうが、鉄道の切符の手配は面倒だとガイドブックに書いてあったので、長距離の移動は飛行機を使う事にした。
まず国内線のインディアン・エアラインに行った。前日作った計画では、十日間くらいサイババの所にいて、それからボンベイに行って、エローラ、アジャンターの仏教遺跡を見て、それからヒンドゥー教の聖地であるガンジス川沿いのバラナスィに行くという予定だったが、調べてもらうとその頃のボンベイ行きの飛行機は全て満席だという。それでその場であっさり計画を変更して、デリー経由で直接バラナスィに行く事にする。なんともいい加減な計画だが、それでもいいような気がしてしまう。
それから次に、帰りのフライトを決めにエア・インディアのオフィスに向かう。オフィスは月曜日のためか混んでいて、11時前に行ったのに昼食休憩を挟んで午後3時近くまで待たされてしまった。
しかし、エア・インディアのオフィスで待たされたおかげで、高山さんという日本人に会う。彼はホワイトフィールドのアシュラムの外に部屋を借りている。これでまた私の予定は少し変わる事になった。実のところ、私はアシュラム内に宿泊する事に若干の抵抗を感じていたので、彼に相談にのってもらってアシュラムの外に部屋を探す事にした。若干の抵抗というのは、主に私がタバコ好きだという事である。
高山さんは、サイババに会いたいという知り合いを連れてバンガロールに来ているが、ゴアの方が好きなようで、近いうちにゴアに戻るという。
さて、彼の話によると、彼が案内してきたその知り合いの女性には若干の霊能力があるのだという。そして、その女性は今やはり日本から来ているもっと本格的な?霊能者と行動を共にしたいと言っているのだそうだ。さすが、サイババの所にはいろんな人が来ているものだと思う。それから、そう思っている私もそのいろんな人のうちの一人にちがいないとも思う。
ホワイトフィールドのサイババのアシュラムの正門前の通りには土産物屋や食堂などが並んでいる。高山さんに連れられて、その店の間を通り抜けて裏手にまわると、小学生くらいの子供たちが何人か集まって来た。高山さんが、空いている部屋があるかどうか子供たちに尋ねると、子供たちはそういった事を知っていて案内してくれる。
案内されたのは家の集まった所からはちょっと離れたアパートのような作りの2階建ての建物である。建物はきれいなピンク色に塗られていて新しい。
部屋を見ると風通しがよさそうなのも気に入ったので借りる事にした。ここは管理人が住んでいるわけでもなく、宿というよりは貸し部屋である。一日250RS。サイババのアシュラムの周辺は外国人が集まるために、インドでも特別に物価が高くなっているらしい。ちなみに、その後の旅の途中、北インドの観光地では同じような部屋が100RSで借りられた。
借りる事になった二階の部屋は眺めもいいし、結構きれいで、静かである。ベットはないが、そのかわりにゴザと敷き布団と枕が2人分置いてあった。これでやっとインドらしい所に来たような気がした。部屋は四畳半くらいで、トイレと水のシャワーのある部屋が付いている。窓には鉄格子がはまっていて、もちろんガラス戸ではなく板戸である。
ωケンタウリ
食べる事についてはインドにいる間あまり困ることはなかった。外国人が立ち寄るような場所ではイタリア料理風のメニューもあるし、インドの食事では、チャパティーという小麦とフスマでできた薄いパンと野菜カレーのセットが食べやすかった。インドではお米も取れるので野菜入りのフライドライスなども食べられる。また、外で食べるのが面倒な時は、クラッカーとバナナとオレンジなどの果物で済ませる事もできる。
飲み水は1リットル容器のミネラルウォーターがどこでも安く手に入るのでそれを持ち歩いていれば全く問題ない。
夕方の7時頃、高山さんに案内してもらって、アシュラム内の食堂に食事に行った。食事はもちろん完全なベジタリアンだが、好きなものを選ぶ事もできるし、味付けも日本人好みの薄味で美味しかった。しかも料金がたいそう安いので、申し訳ないようだった。
夜になってもアシュラムの前の土産物屋はにぎやかだ。日本の夏祭の縁日のような感じである。しかし、にぎやかなのはアシュラムの門前の200メートルほどの場所だけで、ほんの少しそこから離れるともう懐中電灯の必要な田舎の暗い道である。
借りた部屋には裸電球がひとつだけで、本を読むのも疲れるので自然と早寝になった。
翌朝、肌寒いような明け方の3時頃、目が醒めたので南の空を見ると南十字星とωケンタウリが見えていた。ωケンタウリは、子供の頃から見たかった星のひとつだ。星ではなく球状星団なのだが星のように明るく見えるのである。星を見る事を楽しみにしている者にとって、日本では見る事のできない南の空は憧れである。
「ケンタウルス、露をふらせ。」は宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の中の『ケンタウルス祭』での子供の囃子言葉だが、これはωケンタウリのイメージだろう。