マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

80歳を超えられてもお元気な方へのインタビュー

2014年04月15日 | 学校

 私が幹事を務める「都高退教」のニュースの記事の一つに『80歳を超えられてもお元気な会員へのインタビー』がある。この様な記事を載せることの提案者の一人の私は、実際にインタビューもさせて頂いた。その記事はニュースとして既に発行もされているが、読まれた方は会員の方に限定されている。80歳を過ぎられても、こんなにもお元気に活躍されている方がいることを知ってもらおうと、その時の記事を縮小し、定年後に焦点を合わせて綴り直します。

 『幡野憲正さんへのインタビュー
 「80歳を超えられてもお元気な会員へのインタビュー」第2弾をお届けします。
 今回、お話を伺うのは、かつて都高教書記長・副委員長などを歴任された、幡野憲正さんです。聞き手は幹事の二人。昨年の定期総会終了後の懇親会の席上「NPO法人を立ち上げて、高齢の方々にパソコンを教えています」との話を伺ったのがきっかけでした。
 80歳は超えられているはずだと思いつつ、まず年齢を。「今、87歳で、大正15年生まれです」に吃驚。昭和一桁生まれではありませんでした。5歳以上はお若く見え、非常にお元気な様子です。

 定年退職後の嘱託時代は、本務以外に、熟練していたパソコンのスキルを活かして友人の会社の製品(貯水槽)の構造計算をプログラム化する仕事を手伝っていました。
 2001年に「IT講習」が実施されたときに、知人のパソコン教室経営者から懇願され講師を引き受けます。その後、その受講者の中から、パソコン技能を充分に習得した人を募り、「PCクラブ」という名で講習を継続。さらに、2002年にこの人たちを母体にした「NPO法人IT支援センター」を組織。
 ところが、講習の拠点たるパソコン教室が倒産してしまい、理事長の役を引き受けると、会の人たちから、各自1万円を出資するから講習を続けたいとの要望があり、足立区の「生涯学習センター」の「コンピューター研修室」を借りて講習を続け、1年で赤字解消。出資金を返還したとのこと。この時の預り金返還のメモまで残されていることに感心すると同時に、特に印象に残ったことは、彼が講師を引き受けて以降退会者が殆どいなくなったということです。それも、大学時代にアルバイトで学校へ通えない日々に、学校へ行かないでも学ぶ方法を身に付け、これを講師として実践したからとの話を興味津々と聞きました。
 2005年9月には、韓国からパソコン団体「銀色の巣」24名の訪日を受けての交流も成功裏に終了。(詳しくはホームページhttp://www.npo-it.com/をご覧ください) 
 現在はパソコンを借りての講習ではなく、受講者各自がノートパソコンを持参しての講習に切り替えています。費用が安く済み、予習・復習がはかどるだけでなく、その場でパソコンのトラブルを直したり、フリーソフトをインストール出来るので、生徒さんに大変喜ばれているそうです。
 今は、プロジェクターを購入し、各自のパソコンに接続しての講習を実施しています。この方法は数あるパソコン教室でも実にユニークな、斬新な方法と思いながら話を聞きました。定時制で教えていた時の方式を採用し、テキストも市販のものではなく手作り教材を使用。精選した薄い教材は持ち運びも簡単で、復習にも最適とのことです。

 ここまでの話を伺って思うことは、そのエネルギッシュな行動力と強い精神力です。NPO法人設立時が75歳。普通(?)の人ならば、隠居気分か老い支度を考える年齢。幡野さんはその年齢から新たなるものに挑んだのです。
 いやはや、大変な行動力です。その幡野さんが我々後輩へ向けてのアドバイスをも語ってくれました。組織の大切さと、長い年月を掛けて培った専門を、次の世代に伝える“恩返し”です。都高退教が中心となり、NPO法人を立ち上げ、落ちこぼれの子供たちを対象とする、学習組織を作ったらどうかとの提案もありました。 
 都高退教に関係 する著作・編集書には『伝えたい戦争の体験』『私にとっての戦後』などがあります。

 インタビューは途中から“ランチョン”に移動。そこで元気の源をお尋ねしました。「働き続けることです」との即答が返ってきました。働くこと→お元気→働くこと の好循環を築きあげられてこられたのです。
 思えば敗戦後の混乱期から高度経済成長を経て今日まで、70年近く延々と働き続けてこられた幡野さんならではの言葉です。隠居気分漂う筆者には身の引き締まるインタビューでした。』