塔ノ岳から丹沢山を経て蛭ヶ岳から焼山へと、南北に延びる稜線を丹沢主脈稜線と呼ぶのに対し、蛭ヶ岳から檜洞丸・大室山を経て菰釣山(こもつるしやま)・三国山へと、東西に続く、丹沢山塊の中心部をなす稜線を丹沢主稜と呼んでいる。
蛭ヶ岳は丹沢主稜の出発点で、そこに到着したのは8時。富士山の展望が素晴らしい。撮影を終えた後に、頂上傍らの掲示板を見ると“ここから先は危険個所が多いので、十分用心して行って下さい”とか“冬期には滑落の事故も起こっています。厳重注意”なる旨が書かれていた。昨夜、甥が語った「雨だったら引き返しましょう」の言葉の重みを理解した。かつてここを縦走したはずの私だが、丹沢でこんな危険な稜線を歩いたという記憶が蘇らないのだ。自らの記憶力の弱さを呪いながらも、気合を入れて出発した。(写真:縦走路から見る富士)
(蛭ヶ岳山頂)
標高300mほど下って200m上る。200mほど下って150m上る。これを数回繰り返す。途中にはガレタ細尾根が待っている。鎖場もあれば階段や梯子もある。40代の若者の息も上がる尾根歩きだ。ただ平地に佇む一瞬には、富士山の姿が神々しく聳えて見える。楽しさと苦しさが交互に味わえる稜線歩き。
丹沢山までの賑わいが嘘のような静かな山旅。すれ違うのは殆どが単独行の登山者。グループとは2パーティーと出会っただけだった。雨と予報された山行が晴れて、富士山を堪能しながらの山歩き故か、交わされる挨拶は元気で底抜けに明るい。 蛭ヶ岳スタートが8時20分で、檜洞丸到着が13時。コースタイムをかなりオーバーしていたが、慎重に、ゆっくりと歩いた結果だから納得がいく。ここの山頂には多くの登山者が憩っていた。富士の見晴しだけでなく、ブナ林が有名で、つつじの名所としても人気が高い。ここで遅い昼食を摂った。
あとは一気呵成に西丹沢へ下ったと言いたいところだが、足が思うように動かず苦戦を強いられた。なんとか16時25分発の新松田行きバスに間に合った。車中で照ノ富士優勝を知る。(写真:檜洞丸頂上)
丹沢山は神奈川県にある唯一の百名山。県は本腰を入れて登山道整備に取り組んでいる痕跡が多々見られた。梯子や木階段の導入や、崩落部分の補修等々。
(ブナの新緑が美しかった)
帰宅して、記憶を整理し直した。大倉尾根から犬越路まで歩いたと思い込んでいたが、実は蛭ヶ岳⇔檜洞丸間は歩いた事が無かった。思い出せない訳である。私の記憶違いから、図らずも今夏最初の山行に、中の上クラスへと仲間を誘ってしまった。猛省。(2日間に歩いた距離は合計24Kmだった。)
ただ若者が「今回の山行で、今までには見ることの無かった丹沢景色に出会えた」と語っていたのが嬉しかった。