10月15日(月)は、目黒3中昭和32年度卒3年E組の最後のクラス会だった。最近は身体の調子が悪くなる級友が続出。クラス会参加者は激減し、10名を切っていた。この辺が潮時かと判断し、幹事で相談のうえ、今回を最後にクラス会を閉じることにした。
その旨の往復葉書を出したが、それでも参加希望者は10名。実施直前には2名の方から、やはり体調悪しの連絡が入り、結局8名での開催となった。場所は吉池食堂の個室。
このクラス会、石井君・馬場さんと私の3名が常任幹事だった。幹事持ち回りでも良かったのだが、そうするとその様な役が苦手の方の処でクラス会が中断される、とはよく聞く話。そうはならない常任幹事方式で良かったかなと思っている。(上と同じ様な写真だが・・・)
中学卒業後初めてのクラス会は母校で。校庭で撮影した写真を今でも保存しているのは馬場さん。クラス会に持参され、それを眺めて皆懐かしがった。その第1回クラス会から数えて16回目のクラス会だった。
第12回のクラス会の案内文がパソコンに保存されていて、その会は2008年11月に「東京ガス青山クラブ」とあったので、今回が16回目のクラス会と分かった。
開催場所は、最初の頃は目黒駅が中心で上海料理店「香港園」などはまだ営業している。中目黒の「すし文」もあった。東京ガスのクラブでは2回、最近は目黒駅から下る権之助途中の蕎麦「やまきた」で2回。
ミニクラス会と称して何回も旅行に出掛けた。京都・大阪・勝浦・沢渡温泉などがあった。我が別荘でやったこともあった。それらを加えれば20回以上になる。その全てに参加した皆勤者がいるかも知れないと思いを巡らせた。常任幹事だった私は当然のことで、ひょっとして馬場さんも皆勤かと思い、会の一興に「皆勤賞」の賞状を用意しておいた。
今回は初めての正午開催。福岡からは遠路はるばる長(おさ)さん、大阪からは吉田さんが参加。必ず火曜日には避けられない用事のある吉田さんは、月曜のうちに帰宅せねばならなかった。その辺の事情も考慮したのだが、平日の正午開催で不都合な方は誰もいなかった。2時間半の時間を惜しむかのように皆よく喋った。クラス会にありがちな自慢話をとうとうと語る御仁は誰もいない。和気藹藹がこのクラスの最大の特徴で、であるから長続きしたのだと思う。
会半ば、一興を実行に移した。「このクラス会に皆勤者はいますか」と聞けば、やはり馬場さんの手が挙がった。そこで右賞状の授与。今は亡き、担任だった大谷先生名の賞状を、僭越ながら私からお渡しした。他にも可能性のある𠮷原さんと宮本さんがいたので書状はその二人分も用意しておいたが、皆勤ではないらしく、その分は座ったままで手渡しでお渡しした。
会を終え、駒師北田君と東京ガスの大野君は帰っていった。6名で風月堂へ。今後は「仲良し会」を毎年やりましょうとなって会を終えた。