「東京歴史散歩」での私の役割は場所の選定とルート案内で、自称”道先案内人”。見学先のお寺などでは、そこの謂れの書かれた掲示板まで案内し、説明文を読んで頂くだけで説明はしない。説明出来ないとも言える。今回はこの辺に詳しい真中さんが参加されるので、所々では彼がその役割を担ってくれることだろう。(写真:朝日橋からの眺め。右端が旧御所トンネル)
ただ「御所トンネル」の掲示板はない。私が概略の説明をする積りで、自分なりに内容を纏めてみた。今日のブログはその話である。
中央線や中央緩行線(以下総武線)で、新宿や代々木からお茶の水方面へ向かう場合、信濃町を過ぎ、四谷駅手前でトンネルに入る。「歴史散歩」の散策途上では、朝日橋上からその風景を眺めることとなる。その景色は、右側に一本のトンネルがあり、少し離れた左側に3本のトンネル。この4本のトンネルは、反対側のJR四谷駅からも、地下鉄丸の内線四谷駅ホームからも眺められる。こちらから眺めると右側の3本のコンクリートのトンネルと、少し離れて左側にレンガ造りの1本のトンネル。1本のトンネルは総武線の下りが走行していて、「旧御所トンネル」と呼ばれている。4本が2と2に分かれるのではなく1と3に分かれているのが不思議である。(朝日橋から見る新御所トンネルは3路線の構成)
最初に完成したのは、1本の方で、今でいう旧御所トンネルだった。明治27(1894)年のことで、中央線の前身、甲武鉄道として新宿⇔牛込(現在の飯田橋)間が開通した際に開削された。複線で蒸気機関車が走ったらしい。長さは317mで、あまり広くない幅のトンネルで、上下線が通ったとは、なんとも不思議なのだが、上りと下りの2本の線が通ったらしい。軌道は1m少々で現在より狭いから可能だったと思う。(写真:こちらが旧御所トンネル。現在は1本の路線構成)
東宮御所の一部の下を通過する。それ故「御所トンネル」と呼ばれた。民間の鉄道が、“恐れ多くも”御所の地下を通れるわけがない。風雲急を告げる世相の中、軍部のごり押しがあったと伝えられている。日清戦争の年にあたる。
それから35年後、昭和4(1929)年、新たに3本のトンネルが完成し、中央線は複々線となった。二本は中央線の上り下りが走り、もう一本は、御所トンネルを通っていた上りがこちらに引っ越して来た(その為に3本のトンネルが必要だった)。御所トンネルと呼ばれていたトンネルは「旧御所トンネル」と呼ばれ、新たに出来た3本のトンネルは「新御所トンネル」と呼ばれる様になった。その様な名称が書かれた札がトンネルの入り口に貼られている。旧御所トンネルはレンガ造りで明治が感じられる。明治時代に建造されたトンネルが124年後の現在も使用されているのだ。(写真:こちらは丸の内線四谷駅ホームから撮影した新御所トンネル)
ここで個人的な思い出を付け加えておきたい。御所トンネルについて調べているうちに思い出したことがあった。私は小学生のころから巨人ファンで、中学生になると後楽園球場に一人で観戦に出掛けるようになった。目黒から山手線外回りで代々木へ。そこで総武線に乗り換え水道橋へ。改札を抜け、多くの人波に揉まれるようにして球場まで行った。総武線に乗っていると途中で何故か一時外が見えなくなり、暗くなった。それが凄く残念で、何か不安にもなった記憶がある。今思えば電車が新御所トンネルを潜っていたのだ。もう60年以上も前の思い出である。
今日の一葉:ご近所の医院玄関に咲くゼラニウム