マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

音更神社での七五三

2019年10月05日 | 身辺雑記

 3年前、息子夫婦と帯広神社へお参りに行った折には、いずれ、ここで七五三をやりましょうと言っていたので、音更神社の名を聞いた時には不思議な気がしたが、実はこちらが氏神様だった。ともあれ3泊4日の数日間の記憶を辿ることにすると・・・。

 9月28日(土)十勝帯広空港に到着すると、息子と孫が出迎えてくれた。9ヶ月振り会う孫は大きく可愛くなっていた。「オジイチャン、オバアチャンに会うのが楽しみ」と言っていたそうだが、空港では、何故か父親の脚の後ろに隠れて嬉しそうな素振りを見せてくれない。テレていたのだろうか。自宅に着くと漸く懐いて「オジイチャン、遊ぼう」となった。(写真:運動が好きな長女)

 夕食のしゃぶしゃぶ鍋を囲むのは、息子一家4人・ヤヨイちゃんのお父さん・私達夫婦の合計7名。息子夫婦が二人で北海道へ渡った時から11年の歳月が流れていた。
 9月29日(日)、まずは写真館へ行った。一番驚いたのがこの写真撮影だった。行った先はおもちゃ専売店「トイザらス音更店」の中の、子ども写真館「Stadio Alice」だった。昔風の重厚な写真館を想像していただけに、その落差は大きかった。七五三用の写真を撮ってもらうために何組もの親子づれで賑やかなことこの上ない。華やかでもある。撮影に緊張しニコリとしない子どもを、身振り手振りで笑わせその一瞬を撮るのは若い女性たち。保育士兼カメラマンを見事にこなしていて、その奮闘振りに感心した。(写真:写真館での長女)






 我が孫は着替え室に入った途端泣き出した。泣き止むのを長い時間かけて、漸く、ヤヨイちゃんが7歳の時に来た着物に着替えての撮影。最後には笑ってくれました。

 その後音更神社へお参り。お賽銭をあげてのお参りだけに留めて帰ってきた。頂いたパンフレットには「明治33年、伊勢神宮より御分霊を拝受奉安するを創祀とする」旨が書かれていた。開拓民増加に伴い神社は拡大されて行った様子に、北海道らしさが反映されていた。現建物は平成14年に改築とのこと。





 9月30日(月)、早朝散歩に出た。息子たちの住むところは“緑陽台”とあるように高台にある。その台地の東側は低地になっていて、5時過ぎ日の出が見え始めた。今年の元旦に見た風景と同じだった。台地を下っていくと、広大な風景のなかに実に大きな建物3つに出合った。音更図書館と音更文化センターで、もう一つは何だか分からなかった。帰宅して音更町が北海道で一番人口の多い町と知った。それ故の大きな建物だったのかも知れない。


 次女孫はまだ満1歳にはなっていないが、伝い歩きが出来るになっていた。二人の孫ともお土産に持っていったお人形さんを気に入ってくれて良かった。
 これからは年に2回は孫の顔を行こうかと妻と話し合っている。(写真:直立歩行まであと僅かの次女)







 
      お人形さんと遊ぶ孫

  
                  音更図書館

  
       音更文化センター