中山道へ出掛ける4日前の10月28日(日)、聲香(こゑかほる。北原久仁香)さんの、~ひとり語り『ああ三百七十里』~、を早稲田奉仕園スコットホールで聴いた。
この公演の案内が届いたのは9月。封を開けて初めて、今回の語り『ああ三百七十里』の著者が杉本苑子で、内容は、長崎から江戸までの、象の旅と知った。江戸時代、外国から象が将軍吉宗に献上されたことは知っていた。それを杉本苑子が作品化していたことは知らなかった。早速借りてきて読んだことは言うまでもない。
久し振りに聲香さんの語りを聴きたかったことに加え、語りの対象が好きな杉本作品で、これは是非と思った。更に開催場所が早稲田奉仕園で、まだ訪れたことの無い建物。それへの興味もあり、直ぐに参加希望のメールを打った。
聴く以前にある謎を感じていた。彼女からのパンフレットには、象の「長崎から山陽道東海道を経て江戸へ、はるばる三百七十里の道中を、どうぞ、ご一緒下さい。」とあった。この山陽道東海道に引っかかった。長崎から江戸まで、象は確かに山陽道と東海道を通ったであろうが、中山道を通らなかったのだろうか?いや確か中山道も通ったはずだ、という疑問。
2年前の12月、近江八幡を旅した私達は八日市線で武佐(むさ)へと足を延ばした。武佐宿は中山道67番目(『浪漫の旅』には66番目とある)の宿場。いずれそこを訪れるはずだから、前もって一目見ておこうという積りだった。その折に、街角の一角の立て看板に「享保14(1729)年に、長崎から江戸に運ぶ象がここに一泊した」と書かれた文と絵を思い出した。
京都から江戸まで、象一行は一時東海道を離れ、どこかで中山道へと入っていったずだ。その謎を解いておきたいと思い、『長崎から江戸へ 象の旅』(著:石坂昌三)を借りてきて併せ読んだ。
『ああ三百里七十里』を聴いた感想の前に、その著作と『象の旅』で知った内容を次回ブログに綴りたい。
今日の一葉:大森のお宅に咲くムラサキツユクサ