4月19日(月)、小名木川沿いを散策してきた。暖かい気候の午後、今年2度目の小名木川散歩だった。最近になって藤沢周平著『ささやく河』や『橋ものがたり』を再読し、江戸・塩の道への興味もあって前回は2月2日に出掛けて行ったのだったが、今回はあることを思い出したのが再訪のきっかけだった。(写真:クローバー橋)
20年ほど前、母と私たち夫婦は箱根明神平に2泊したことがあった。その時妻は2晩かけて母の生涯の聞き取りをしてノートに記録していた。私は傍で何となく聞いていたが、その時母は「生まれは深川で船宿の娘」と語っていた。その頃は川への関心はあまり高くなく、それきり忘れてしまっていたが、最近になり川への興味が増すにつれて、その話を思い出し、小名木川や仙台堀あたりを散策しようとの思いが強くなっていた。(写真:隅田川岸辺)
4月19日(月)は次の様に回った。
都営新宿線住吉駅→小名木川橋→扇橋閘門→萬年橋→隅田川川端→芭蕉記念館→都営新宿線森下駅 訪れる前に「江戸東京重ね地図」で調べると江戸時代にこの川に架かっていた橋は、西から萬年橋、高橋、新高橋の3本のみで、新高橋から東の中川番所まで全く橋は架けられていない。今では最東端の番所橋まで14本もの橋が架けられている。車や人の往来が頻繁となるにつれて橋の建設も増えていった結果だろう。
住吉駅で下車し「四ツ目通り」を400mほど南下すると小名木川橋に至る。クローバー橋の東隣の橋だ。今回は小名木川のほど中央にあるこの橋から隅田川を目指して歩き始めた。かつては川の両側には大名屋敷が軒を並べ、夜ともなれば常夜灯が灯ったであろう風情はマンションなどのビル群に覆われその面影は全くない。それでも川の畔の散策は気分を爽快にしてくれる。(写真:名残の常夜灯) 小松橋を過ぎると扇橋閘門だ。大きな掲示版に閘門のしくみが書かれている。初めてここを訪れた人でもその構造が理解できるというわけだ。
ここを過ぎ少し進むと南北に流れる横川との交差点。この角に中川番所とは別に「猿江船改番所」あったことを初めて知った。ここの仕事は船稼ぎを統制することにあって、年貢・役銀を徴収したり、川船年貢手形や極印の検査を行うことだったらしい。(写真:横川と交差する地点)
大富橋を過ぎると東深川橋だ。ここで一時川から離れ、川の北側を川に平行して作られている高橋夜店通りへ向かった。夜の方が繁盛の様子を見られるだろうが、昼間でもそれが窺える商店街だ。その通り沿いに深川一中や深川小学校が存在していた。帰宅後、ここ深川小学校の前身が深川尋常小学校であったことを知り、ここが母の出身小学校かも知れないと想像を膨らませた。(写真:高橋夜店通り)
小名木川に戻り、西深川橋・高橋を過ぎると川の西端「新小名木川水門」で、この日水門は開いていて、折しも通行船が門を潜って行った。萬年橋を過ぎると隅田川。突然雄大な景色が飛び込んでくる。江戸時代「大川」と呼んだのもさもありなんと思える。この辺りでは実に幅広い川だなと実感する。下の写真に見えている橋は清洲橋。(写真:新小名木川水門)
この川端を進み隅田川から離れると芭蕉記念館。なんとこの日が建設40周年記念日だとか。本日来館の10名様にと、その記念にと絵葉書を頂きハッピーエンドの川旅となった。(写真:下左芭蕉句。右は萬年橋)
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