マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

広重『名所江戸百景』のうち「中川口」の今昔

2021年04月16日 | 江戸の川・東京の川

 歌川広重が描いた『名所江戸百景』中の61景「中川口」は塩の道(水路)と中川が交差する場面で、行き来する舟が数艘描かれている。塩の道は別名行徳川とも呼ばれたから、中川と行徳川の交差・合流地点でもある。その地点へ私は今年、東側からも西側からも到達していた。













 その場面を「江戸東京重ね地図」で見ると右図の如くで、舟は右行徳方面から新川・中川を経て小名木川へと比較的スムースに航行出来たように見える。小名木川への入り口には中川番所(中川御関所)も描かれている。中川船番所資料館発行のパンフレットによれば、1647年頃に小名木川西端、隅田川口に深川番所ができたが、その番所は1661年に東端の中川口に移転されたとある。中川番所の設置である。





 今番所跡付近に建てられた番所資料館に立って対岸を見渡すと、当時の面影は全くない。中川は旧中川と呼ばれるようになり、東側に新たに造られた荒川と平行するかの如く中川が流れ、その両川の間を首都高速4号線が走っている。










 この激変は荒川放水路開削に端を発する。岩淵水門付近で隅田川と分流するこの水路は全長22 km、幅約500 m。1913年から1930年にかけの、17年に及ぶ難工事の末に完成した。その開削は下流で中川を分断することになった。
 右は東墨田3丁目付近の地図で、荒川放水路(現荒川)開削以前①から②へと流れていた中川は、荒川③によって分断され、①から④へ流れるように作り変えられた。こちらは中川放水路と名付けられていたが、現在は中川と呼ばれ、荒川に並行して東京湾に流れ注いでいる。
 ②側は流れを堰き止められ、荒川と接する2ヵ所には、水門が設けられた。上流にあるのが木下川水門で、下流にあるのが荒川ロックゲートである。






 この荒川ロックゲートが面白い。荒川と旧中川とを結ぶ閘門である。荒川と旧中川の水位差は最大時3mほどあり、船舶が両川を行きすることは来出来なかったが、ロックゲートと呼ばれる立体交差装置によって2005年以降行き来可能となった。





 ここの利用料は無料で、船舶の長さ、幅員、高さ、船底高の条件を満たす船舶であれば、原則としていかなる船舶でも通航可能。「東京水辺ライン」は、土曜日の特定日に荒川ロックゲートを通過する観光船を運航しているそうな。扇橋閘門は通過したがここは未経験。是非通過してみたいものだ。
 
 


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