マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

「熱海伊豆山」旅行2日目(瀧山寺 その1)

2019年01月18日 | 

 旅の2日目は愛知県にある瀧山寺(たきさんじ)まで行った。そこは思っていた以上に遠かった。しかし運慶仏を拝観出来ただけでなく、幾つもの意外性に富んだ話が聞け、思いがけない事柄にも出合えて、やや高揚した感じを抱きつつ瀧山寺を後にしてきた。

 熱海発9時45分のこだま641号を待っていると、向かい側線路を何本もの「ひかり」や「のぞみ」が、振動を伴い物凄いスピードで通過していった。自分が乗車しているときよりも倍近いと思えるスピード感だ。それに反し、乗車した「こだま」は豊橋までの所要時間1時間23分で、停車する駅ごとに2~5分程度停車して「のぞみ」などに道を譲る結果だ。この間停車時間だけで18分。しかも「のぞみ」と同一料金とは解せない。(写真:熱海駅へ入線してきたこだま641号)
 豊橋で11時15分発の名鉄特急に乗り換え東岡崎へ。そこからは名鉄バスに揺られること30分弱で「瀧山寺下」。本数が少ないこともあり、”路線バスの旅”気分になりつつ、車窓からの風景は次第に都会風から山里風へと変化していった。下車すると前は青木川の流れで、山側は東照宮本殿へと続く、見上げるような階段だった。私達は急な階段は昇らずに「宝物殿」を目指し緩い坂道を上っていた。

 訪れる人が稀なのか宝物殿は鍵が掛かっていた。呼び鈴を押すと本坊からご住職が現れ、その先導で宝物殿へ。そこに運慶仏の三尊が安置されていた。中央に聖観音菩薩立像、右に梵天、左に帝釈天の両立像。ガラスケースなどに納められているのではなく、何の隔てもなく直接に、しかも間近でそのお姿を拝観出来る様になっていた。立ち尽くしたまま、長い旅の末に漸くこの三尊の下に辿り着いたなと感慨にふけっていると、ご住職から「お望みならばお座り下さい」と声がかかった。(写真:宝物殿碑)




 そこから住職は丁寧な説明をされた。「聖観音は頼朝公と等身大ですが、脇の脇持像と比較して膝下が短い。膝をやや屈していている状態で、坐って像を見上げると像は大きく見える様でしょ~う。背丈155cmの頼朝公と等身大という制限を受けながら、より大きな姿に見せようとした、運慶の優れた技術の結晶です」(写真:パンフレットより。三尊)

 「『瀧山寺縁起』には聖観音内には頼朝公の御髪と御歯が納められていると書かれています。そのことを確かめるためにX線撮影が行われ、その結果その事が確かであると確認され『瀧山寺縁起』の正しさが確認されました。その事を受けて運慶とその子湛慶作の仏様であることが分かり、重要文化財の指定を受けました」と。 

 『瀧山寺縁起』によれば、頼朝の従兄弟に当たる寛伝上人が頼朝三回忌の折(1201年)に頼朝追善の目的で「惣持禅院」を建立し、運慶にこの三像の制作を依頼し、完成後「惣持禅院」に収められた。その後「惣持禅院」は消滅したが、後世において三尊は修理の際彩色され、確認されない状態が長く続いてきたそうな。
 そのあとに続く話は一層面白かった。次回に。
 


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