マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

聖林寺十一面観音さま、上野へ

2021年07月16日 | 闘い

 遥か遠く奈良の桜井まで出掛けなくとも、我が家から徒歩40分の地で仏様を拝観出来ることと知って、実に有難いことだと思った。国宝・聖林寺十一面観音菩薩立像のことである。
 緊急事態宣言発出3回目と4回目の間、感染者数の折れ線グラフが谷底から右肩上がりを始めていた7月6日(火)、私達は東博を訪れた。この間の拝観は予約制で、妻がこの日の午後のネット予約を終えていた。
 最後に聖林寺を訪ねたのは40代の前半だったか。40年前の微かな記憶を辿れば、本堂から狭い廊下伝いに進んだ先に観音堂があり、そこに安置されていた。拝観者は私ただ一人。足元に正座して、すっくと立たれる、長身の仏さまを見上げる様にお参りした。本堂に戻り、外に目をやると遥か彼方に奈良盆地が拡がり、ここが高地であることに初めて気が付いたのだった。

 今回の特別展は本館特別室のみの展示で、どこからでも、じっくり観音様を見ることが出来るのだった。一周しながら11のうち8つのお顔を観ることも出来た。私は観音様の横顔を特に美しいと思う。奈良時代8世紀の作で、高さ209.1cm。

 実は大きな誤解をしていた。この観音様は廃仏毀釈により打ち捨てられていたところを、見かねた村の民によって聖林寺へ運び込まれたと聞かされていたが、そうでないとの記録があるそうな。
 三輪山をご神体とする大神(おおみわ)神社には仏教伝来以降に大御輪寺(だいごりんじ。大神神社の神宮寺)が造られ、十一面観音立像は江戸時代までそこの本尊として安置されていた。1200年に及ぶ三輪山での神仏習合を突然断ち切きったのは神仏分離令。聖林寺が大御輪寺より預かったものの一覧を示す「覺」と書かれた資料が、明治十九年の調査によって発見されたとのこと。大御輪寺は廃寺となったため観音立像はそのまま聖林寺に留めおかれ今日にいたっている。
 資料によれば本尊の傍らには「秘仏八尺余」と記されいる(上の写真「覺」の左隣)。聖林寺に移されてからも本尊は人びとの目に触れることなく安置されていたそうな。本拠地奈良を離れの「門外不出」が破られたことは、私達には有難いことだったが、観音様にとっては不本意極まりないことだったのではないだろうか。
 実は、法隆寺からの国宝・地蔵菩薩立像も展示されていた。こちらの仏様も大御輪寺から聖林寺へ移され、明治6(1873)年に、更に法隆寺へ移座され、現在は同寺大宝蔵院に安置されている、とのこと。平安時代9世紀の作で、高さ172.7cmの菩薩さま。


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