「事実は小説より奇なり」と言いますが、この本は「事実は小説より奇跡なり」を教えてくれる”往復書簡集”中心の本です。
もう3年ほど前、新聞のコラム欄で本の紹介記事を読み、買ってきて読みました。
登場人物の一人、岩佐寿弥さんは2003年の夏、NHKが終戦特集として、かって放送した昔の番組をDVD録画していました。8月22日、そのうちの『昭和万葉集』を見ていました。その中に登場した短歌の詠み人「川口汐子」さんは、自分が奈良女高師付属国民学校の4年生だつた昭和19年に、教生として出会った「雪山先生」ではないかと思い至ります。そこで彼女がインタビューを受けているアップショットを齣止めし、昔のアルバムと見比べます。その結果、間違いなく「川口汐子」さんは昭和19年当時教生にいらしたあの「雪山先生」に違いない事を確信するに至ります。
昭和19年当時小学校4年生だった岩佐少年、雪山先生に憧れ、”密かな恋心”を抱いていたのでした。その先生との、映像を通してではあるが衝撃的な再会でした。昭和19年と言えば太平洋戦争真っ最中のとき、誰でも暗い時代を想定しがちですが、ここ奈良の国民学校では、担任の先生や教生の先生の指導のもと、生徒達がのびやかに、自由に学び遊んでいたのでした。「雪山先生に恋焦がれていく感情。昭和19年はわたしの中に沸き立つような喜びとなって刻印されているのです」とも書いていますが、忘却の彼方へと飛び去った刻印が、奇跡的にも思い出された岩佐さんは、逡巡した挙句、川口先生へ上記の様な内容の手紙を出します。9月21日の事です。
川口先生からは10月2日付けの返信が出されます。先生にとっても昭和19年は忘れる事の出来ない年でした。教生としての実習、川口大尉との結婚、その思い出深い時に出会った一生徒からの分厚い封書に接し、喜びに満ちた返信が、岩佐さんのもとに届きます。
この様にして始まった手紙のやり取り。お互いの手元には共通のアルバムが残されていました。更に当時の雪山先生の手元には、びっちりした細字で書かれた、200ページにもわたる「教生日記」が残されていたのです。この「教生日記」を通じ、昭和19年の教室での様々が思い出され、お二人の感情は19歳の少女と9歳の少年となったり、70歳と60歳の今に立ちかえったり、不思議な感情の交感が繰り広げられます。思い出は尽きる事なく続くのでした。
往復書簡は二人の再会からその後へ物語へと続きますが、これは創作されたメルヘンでは無く、事実が織りなすメルヘンなのです。一読して羨ましいと思いました。
その本を読み終えてから3年、妻がNHKアーカイブ「荷風と谷崎 終戦前夜の晩餐」録画のついでに「あの夏 60年目の恋文」を録画していました。その「あの夏 60年めの恋文」のタイトルを見て、妻はこう言いました「あなたが感動したあの本に関係するのではないの」と。その通りでした。二人の往復書簡集を基に2006年に製作されたドキュメンタリーが「BS20年 ベストセレクション」として再放送されたものを、偶然にも妻が録画していてくれたのでした。本で読むのとは違う、より強い感動に満たされました。60年近くの歳月を経て、お二人が奇跡的に再会し、更に、そこから又新たな物語を紡ぎ出す。映像は川口先生のお孫さんの視点も加わり重層的な物語に仕上がっていました。感動とともに羨望も感じるドキュメンタリー。何度か涙しました。この放送を観て「あの夏・・・」を再読しました。
最後に川口汐子さんの次の歌で終わっています。
『少年も少女も齢(よはひ)重ねたりふつふつと粥煮ゆるときのま』
本は「れんが書房新社」から出版されています。蔵書としている図書館も多々あると思います。私の拙い感想文よりそちらの一読をお勧めします。
NHKの番組を”購買”することも可能になってきていると聞いていますが、その道筋を私は知りません。
観終わり、読み終わり、心豊かな気分に満たされています。
2006年に放送された番組の再放送を何気に観ていて、集合写真に雪山汐子先生のまん前に親父がはにかんだ顔で写っていて大変驚きました。
白井先生、中田さん(アダ名がナンナン)など、よく生前に親父が話していた方々の話がございました。
親父は山中猪一郎と申します。
お父様の山中猪一郎様も岩佐寿弥さんもナンナンも雪山先生に教えて頂いた同級生だった、ということでしょうか。この様にしてお父様に“再会”されるとは羨まし感じます。もう一度本を読みます。