1931年生まれの手塚が24歳になった1956年の夏、霧ヶ峰高原車山肩に山小屋「ころぼっくるひゅって」を創設して、今年で56年になります。以来この小屋で生活し、幾多の山に登るかたわら、数多くのエッセイを記して来ました。
日本ペンクラブ会員・日本山岳会会員・全日本スキー連盟指導員の経歴が彼の活動範囲の広さを物語ります。
「邂逅の山」(筑摩書房)や「霧ヶ峰通信」(信濃毎日新聞社)を読むと、当時無人境だった高原での、困難を極めた山小屋生活と、それに耐え抜いて来た様子が良く分かります。
”39座の愛しき山々”との副題のついた本作は、はるか昔(昭和20年台~30年台)に、彼が登攀した山々が、記憶を頼りに思い起こされます。まずは霧ヶ峰周辺の山々、例えば八ヶ岳や鉢伏山・美ヶ原が語られ、その範囲は次第に信濃全般へと広がり、三俣蓮華岳や乗鞍岳・穂高・槍ヶ岳へと及びます。利尻山・岩手山・阿蘇山などもその間に登場しますが・・・。
齢80歳を迎え、もうこれらの山々を訪れることはないだろと推し量りながら、今なおこれらの山々を懐かしく思出し、尽きせぬ恋慕を語ったのが本書です。この本はこれから山に登ろうとする人々への道案内書ではありませんが、本書を読んで、山へ入ってみたくなるような香りに満ちています。
私はこの39座の殆どに登りましたが、本書を読み終え、八子ヶ峰へ登り、未だ訪れていない針の木峠を越えてみたいとの思いに捉われました。
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