今、私達は情報過多な世界に生きている。あり余る情報に囲まれている。インターネットに象徴される様に、情報の中には、正しく、有効なものがある反面、不正確で、無益なものも紛れ込んでいる。それは、新聞の記事やテレビから流れくるデーターにも言える。週刊誌の記事だと、その真贋を疑いつつ読むことがある。東電発の情報だと、嘘だろうと思いつつ聞いている。社会的なレベルから、日常会話に至るまで、情報の質が、実は試されている。
例えば誰かが「鶴竜て、実は我儘なんだってね」と語ったとすると、彼を嫌いな人はそのまま聞き流すかも知れないが、彼を贔屓にするわけではないが、私は、「それって、どこからの情報」と聞くだろう。「Aさんから聞いたの」との応えを聞けば、いわゆる又聞き情報かと、聞き流してしまうだろう。人伝て情報は、間に入る人が多いほど質が落ちてくる。それをゲーム化した遊びさえあった。情報の正しさを自身に問わねばならない時代だと思う。 前置きが長くなったが、こんなことがあった。3月22日(土)のラジオ体操終了後、“三匹のおっさん”が散歩途中で、吉祥寺を通過した際、小出浩平氏の歌碑を発見。「こいのぼり」の作詞・作曲者と書かれ、詞と音符が刻まれていた。その歌詞を見て、誰かが「何故、お母さんが登場しないのだろう」と言った。私は「二番に登場するのでは」と思った。帰宅してネットで調べると、童謡「こいのぼり」には2つの唄があった。
“やねより高い鯉のぼり~”と“甍のなみの~”の2つで、”やねより・・・”は1番だけで(かっこ付けて2番あるものあり。おとうさんがおかあさんに替わる)、”甍のなみ・・・”は3番まであった。なおネット上をうろうろしているうちに、”近藤宮子”なるワードに出会い、この言葉で検索する(付記②)とビックリする記述を発見した。
”やねより・・・”の作詞の著作権を巡って、近藤宮子氏から1983年に裁判が提起され、高裁まで争われた結果、作詞者は近藤氏と確定していた。吉祥寺にある碑には間違いがあった。・・・という判断は正しいのだろうか?。出版本(下記①)」があり、裁判記録を確かめてはいないが、裁判確定とのサイトが2個以上あることと、裁判確定とまで書く以上は検証に耐えられる情報だろうと、私は信じることにした。ネットサーフィンしなければ、吉祥寺の碑をそのまま信じて、人にも語ったことだろう。
相撲の話に戻れば、春場所幕内最高優勝の鶴竜は井筒部屋所属で師匠は元逆鉾。
私が贔屓にする豊真将は、十両優勝。千秋楽に勝てば把瑠都以来8年ぶりの全勝優勝だった。彼は綴山部屋所属で、師匠は元寺尾。その逆鉾と寺尾は兄弟。私がそのことを語るとBさん曰く「確か二人は異母兄弟」とのこと。私の知識になかったことなのでこれもネットで調べると、二人とも母の旧姓北尾。ガサネタと分かった。
今鶴竜の土俵入りで推測情報が飛び交っている。私も参加させてもらえれば、明治神宮奉納土俵入りではなく、”来場所からの”鶴竜土俵入りの太刀持ちは”勢”で露払い豊真将。さて?
(付記。①『国文学者 藤村作と長女近藤宮子とその時代:大家重夫著 全音楽譜出版社』。予約完了。後日眺める予定。
②”近藤宮子”で検索可能)