マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

第9回『やねせん亭』へ

2010年05月24日 | 身辺雑記

 5月21日(金)、午後6時25分「不忍通りふれあい館」に飛び込み、6時30分開演の「やねせん亭」に辛うじて間に合い、一人待つ家人への義理が果たせました。

 妹夫妻の別荘に出発する5月19日の朝、5月21日は夜6時半から「やねせん亭」の予定を入れていた事に気が付きました。一方で5月21日は妹達と「黒斑山」登山の日、ダブル・ブッキングしていたのです。周りの人を急かすことも憚られ、のんびりとした登山の上、小諸にある「あぐりの湯」で汗を流しての後、Kさんの車で帰京するのでは到底定刻には間に合わず、已む無く軽井沢発16時52分の新幹線を利用しました。これが18時5分、1時間13分で上野着。驚くほどの速さです。後は西日暮里までのJRとタクシーで定刻5分前に入館出来たのでした。

 定刻5分前に到着したにも拘わらず、直ぐに開演のベルが鳴り、宝井琴柑の講談が始まりました。「今日は突然、三遊亭きつつき師匠が飛び入り出演となり、私の出演時間が5分早まりました」との事。漸く事情が飲み込めました。二ツ目に昇進したとの報告に万来の拍手。テンポ良く塚原卜伝と宮本武蔵の出会いを語ります。

 第9回やねせん亭はこの様にして始まりました。三遊亭きつつき・兼好・王楽・円左衛門の常連の他、今日は「スーパージャック(レビュー)」が初出演。昔のSKDの踊りに似たものです。
 きつつきの演目は”ちんちん揚げ”。「先週伊東に行き、街を散歩していたら”ちんちん揚げ”の看板を発見、慌ててズボンの前を手で隠しました」と、テレビやラジオでは聞けない話題を語り始めました。何でもネタにしてしまう落語家の気合を感じます。前回がいささか停滞気味のきつつき、今回は下ネタで爆笑を誘い絶好調とお見受けしました。

 兼好はマクラに、篠山紀信氏が公然わいせつ罪のみならず礼拝所不敬罪でも略式起訴された事を取り上げ、「きつつきさんは落語の練習をいつも谷中墓地で大声でやっています。さっきの”ちんちん揚げ”を大声で練習したら、礼所不敬罪で逮捕されかねません」などと今日は怪しい話題が多くなってきました。琴光喜の野球賭博疑惑もマクラに。
 初めての登場が金原亭馬治。師匠は馬生。演目は「親子酒」。馬冶の語り初めて聞きましたが、旨い。特に酔っ払った仕草が絶妙。私も酔うとああなるのではと感心しました。禁酒の約束を破った父が女房に向かい、「婆さん、こいつの顔はさっきからいくつにも見える。こんな化け物に身代は渡せない」 するとこれまた禁酒の誓いを破り、したたかに飲んだ息子は、「俺だって、こんなぐるぐる回る家は要りません」落ちは分かっていても、楽しく聞きました。
 とりは円左衛門。丁度1週間前「戸野廣浩司」記念館で聞い演目と同じだったので、少しがっかりし、登山の疲れも出てきて、申し訳ないことですが”船を漕ぎ”気が付いたら語りは終了していました。円左衛門さん、御免なさい。


六義園「心泉亭」で源氏物語

2010年05月23日 | 身辺雑記

 5月22日(土)の午後、六義園内にある「心泉亭」で、家人が趣味とする「源氏物語読合わせの会」が行われました。六義園の「心泉亭」の予約が出来たので、普段とは場所を変え、昼食会も兼ねての開催でした。
 
 3ヶ月ほど前の2月14日に『六義園と和歌浦』と題し、「柳沢吉保が六義園に和歌浦をなぜ写したか」とのサブタイトルのもと、「和歌山市立博物館長 寺西貞弘」さんの講演が、六義園内「心泉亭」で開催されました。この講演の申し込みに行った際、同時に「心泉亭」の申し込みもしました。この「心泉亭」の申し込みは誰でも6ヶ月前から出来ます。少し遅かったので希望する日の予約は叶いませんでしたが、ともかく会場が確保出来、会の皆さんにもその旨を早くから伝えてありました。

 食事は「人形町今半」の仕出し弁当を頼んでおきました。すき焼弁当は1575円、すき焼丼が1050円と、比較的手頃な値段で届けてくれます。ご近所に2件ほど有名な仕出し屋さんはあるのですが、一軒は味が落ちたとの評判、もう一軒は店を畳みました。ここ「心泉亭」でミニクラス会をやったとき、その為初めてのお店に依頼して失敗しています。家人はそれを踏まえて少し遠いながら「人形町今半」に注文したのでした。

         (心泉亭へ通じる小道)
 昨日の5月22日、今週の土曜日も快晴です。私は配膳係の役割で参加。12時10分頃六義園到着。快晴とあって多数の方が訪れています。待つこと10分ほどでお弁当到着。「心泉亭」へ運び、会の他の方々と机を並べ座布団を配置し、湯を沸かしました。到着された方はそれぞれ注文のお弁当を持って着席。開け放った縁側から新緑豊かな六義園の庭と和歌浦に模した池も見渡せ、ここから眺める風景にこちらの気持ちも伸びやかなものとなります。新緑の頃の六義園の素晴らしい風景が目の前に展開されるのでした。

        (心泉亭入口)


      (心泉亭を外から写す)


    
 全員の方が揃ったところで昼食開始。後刻談では、結構なお味だったとのこと、皆さんの評判は良かったようです。1時になり私は「黒田塾」研修参加のため中座しましたが、会は3時半頃に終了。
 当日は「谷中琵琶Style」の琵琶演奏が枝垂れ桜前の特設会場で行われ、隣室はその方々の控え室に利用されていて、演奏終了後その労をねぎらいに来れた所長の中山さん、家人とも挨拶を交わされたそうです。きめ細かな対応に感心します。会のメンバーはその後は園内を散策して解散。
 来年は小石川後楽園内「涵徳亭」も良いね、などと家人と話しています。 
 


『黒斑山』(再びの百名山 その6)

2010年05月21日 | 再びの百名山

 5月21日(金)、快晴のなか黒斑山に登りました。深田久弥氏の「日本百名山」には浅間山は登場します。しかし浅間山は噴火活動が懸念され頂上半径500m以内は現在入山禁止となっています。そこでその代替として選ばれたのが「黒斑山(くろふやま)」です。と言って誰が選んだのかは知りません。そのような説が流れ、単純にそれを信じ、謂わば自己流に「百名山」と決めて登って来ました。

 5月19日(水)、妹夫妻とともに高島平から車で、軽井沢の二人の別荘に出掛けました。ご近所に住む従兄達に、母の法事が無事終了したことの報告を兼ねた軽井沢行きでもありました。5月20日(木)やって来た、山仲間のKさんご夫妻も含めて5人で「黒斑山」を目指す計画を立てていました。
 
 5月21(金) 
 別荘→(車 35分)→車坂峠→(徒歩 1時間50分)→黒斑山→’(徒歩 1時間40分)→車坂峠

 夜来の雨も上がり、快晴のなか別荘を出発。浅間サンラインを飛ばす右手には浅間山と黒斑山が青空を背景にくっきりと見渡せます。浅間サンラインと別れ、車坂峠を目指すと、高低差1200mほどの一気ののぼり。着いた峠の『高峰高原ホテル』の駐車場から望むと、眼下には小諸市街や佐久盆地が。目を遠くに転じると八ヶ岳連峰の雪景色が。そしてその右側には2週間前に登った蓼科山も見渡せます。茅野側から見た八ヶ岳や蓼科山と比べるとこちら側から見る北側斜面は当然のことながら残雪が豊富です。 
    
     (登山途中:浅間山の一部前掛山)


 
    
      (黒斑山山頂から見る浅間山)



     (前掛山とその後方の浅間山頂)
 
9時丁度登山開始。ここ車坂峠は標高2000m弱の地点で、新緑はまだですが、高度を上げるにつれ、浅間山のスケールの大きな景色が現れます。ゆるやかで登り易い登山道、1時間50分で山頂(標高2404m)へ。ここから眺める浅間山の姿は雄大で美しい。何度もこの山を訪れた事のある妹夫妻も、今日の様な快晴時に黒斑山を見るのは初めてとの事。Kさん夫妻も暫し無言でこの風景に見惚れていました。





 この黒斑山は実は浅間山を囲む第一外輪山で、標高も一番高く、高山植物が豊富な事もあり、近年人気が急上昇の山。平日にも拘わらず、定年退職したと思しき方々何人ともすれ違いました。浅間山の代替山とされるのも頷けます。浅間山が登山禁止になったお陰で有名になったとはいえ、十分にピンチヒッターの役割を果たしています、などと言えば黒斑山に失礼かもしれません。(写真は外輪山の一つ蛇骨岳)




 
 同じ登山道を引き返し、1時間40分で峠へ。小諸にある「あぐりの湯」で汗を流し、3時半に帰荘。(写真は「あぐりの湯」からの展望:左から高峰山、黒斑山、浅間山)
 

 

 

 

 

 帰ってきて何故”黒斑”と呼ばれるのか調べると、次の記述に出会いました。
 <黒斑という山名の由来はあきらかではないが、東側の急崖である旧火口壁をはじめとして、随所に出現する黒味を帯びた岩石がその理由ではないかと容易に想像できる。その黒い岩肌と紅葉のコントラストは、美しいばかりではなく神秘的でさえある>
 
 この記述にある急崖側は入山禁止地域ではありません。秋にもう一度訪れて見たいものです。
 


『黒田塾』第5回

2010年05月18日 | 行政書士奮戦記

 5月15日(土)、黒田塾5回目の研修日です。今日も快晴、多分土曜日は7週連続の晴れ。この連続数どこまで伸びるか注目しています。

 今日は、まず先週提出した課題についての評価から。「遺言・相続についての無料相談会」を実施する前提で、その案内文を作り提出する課題が出されていました。返却された課題に、黒田先生のコメントが書かれています。私は課題を4色で作成しましたが、配色については「もう少し、うすい色でもよいかと思います」との、事務所の名前については「大き目にして、目立たせては」とのコメント。地図だけ「見やすい地図です」のお褒めの言葉。
 授業の合間に、非常によく出来た5人の方の課題を見ると、上手だなと感心します。どの案内文も見易く、読み易いのです。更にその先を読みたくなるような文章で書かれています。その案内文と比較して、自分の課題の何処が問題点か直ぐ分かりました。人を惹きつけるものではないのです。4色も使い、いわば”チンドン屋”さん的なもの。ワープロを用い文章作成はよくやりますが、カラー装飾は苦手。その苦手意識から、兎も角仕上げようとの意識が先行し、読む側の心を汲んでいなかったと気づかされます。

 続いて、具体的にある行政書士さんが作成した「遺言公正証書」の説明を受けました。「遺言公正証書」なるもの初めて見ます。この証書の構成2段階になっています。まず前文で公証人を主語として「後記遺言者の嘱託により後記証人の立会をもって次の遺言の趣旨の口述を筆記しこの証書を作成する」と述べ、本文は遺言者を主語として、数ヶ条に亘って遺言内容が書かれています。この本文は建て前では遺言者が口述したことになっていますが、実務上は、例えば行政書士などが、遺言者と相談して作りあげた原案のメモを予め公証人に渡しておいたものです。

 不動産・現金及び預貯金債権・物品などを誰に相続・遺贈するかが書かれているほか、
 ①祖先の祭祀を主催すべき者の指定
 ②この遺言の執行者の指定
 ③生命保険等の事務処理の手続きの代行者の指定
 ④葬儀の執行者への委託
 ⑤本遺言執行が困難ななった場合の弁護士への依頼
 ⑥行政書士活動に関する書類等の遺贈とその受遺者への業務依頼
 等が述べられ、それぞれの業務担当者への謝礼・報酬等の支払い方法も詳しく書かれ、最後には長文の付言まで載っていました。全11条、15ページの遺言状で、実に細部まで、配慮が行きとどいた遺言。遺言状は1~2ページと考えていた私の想像を超える長文でした。今後、何度も参考にさせて頂きたいと思います。


『ペタンク』を経験

2010年05月18日 | 身辺雑記

                                                        
 5月17日(月)のラジオ体操の時、福寿会会長のKさんから「今日、六義園運動場でペタンクがあるから見に来ない」と誘われました。ペタンクがどんな競技かは知っていました。ただ”下手な横好き”的に遊びの間口が広がっている私は自分自信を警戒しています。Kさんのお誘いが単に見物だけでなく、いずれは競技への参加を希望するものと感じられましから、珍しく「最近やることが多くて」などの煙幕を張る一方で、「見物だけなら」と運動場へ出向くことにしました。


      (会場の六義園運動場)
 10時少し前運動場へ到着すると開会式は既に終了し、試合開始直前でした。ペタンク競技は、簡単に言えば、陸上でのカーリングです。各チーム3名の選手によって勝負が争われます。







     (オレンジ球を原点と名付けた)
 ゲームを初めて見学し、ルールを理解しました。最初に投げた小さいボールを”原点”と呼べば、各チーム全部で6個のボールを投げ、原点に一番近いボールを投げたチームをAとすると、この勝負チームAの勝ち。相手チーム(チームBと呼ぶ事にして)のボールで原点に一番近いボールの内側にあるAチームのボールの個数がAチームの得点。例えば原点に近い順に、A,A、A,Bとボールが止まれば、Aチーの得点が3点、Bチームの得点は0点となります。このゲームを何回か繰り返し、得点の合計で勝敗を決めます。方法論として相手ボールを弾く事もありです 。



      (理想的投球方法の一つ)
 この大会の組み合わせ表を見ると参加チーム数は64を超えています。200人近い高齢者の方が参加している訳です。私が属する町内会の福寿会は最初の試合から登場しましたが、1点差の惜敗。見ていて私の血が騒ぎました。私ならこう投げるのになどと思案します。それを察したのかKさん、「次のゲーム私に代わって出てよ」と。




 結局次の試合に出させて貰いました。ラジオ体操に何時もラジカセ持参のSさんも見えていて「原点の手前にボールを止めるのがベスト」とアドバイスしてくれました。しかし初めての事、ボールが原点を超えがち。結局大差で敗れ、悔しさが残りました。
 このペタンク競技なるもの、高齢者向けに日本で考案されたゲームとばかり思い込んでいましたが、フランスで発生したゲームとの事。帰宅して
ウィキペディア(Wikipedia)で調べると、
 『ペタンク(Pétanque)とはフランス発祥の球技で、名称は南フランス・ブロバンスの方言「ピエ・タンケ(両足を揃えて)」に由来する。地面に描いたサークルを基点として木製の目標球(上記の文では原点と呼びました)に金属製のボールを投げ合って、相手より近づけることで得点を競うスポーツである』とありました。

 他のチームの様子も観察すると、皆夢中になってなっています。86歳のSさん参加のチームが準優勝したと後日知りました。
 ゲートボールが下火となりつつある今日この頃、ペタンク競技は高齢者向けのゲームとしてブームとなるのでしょうか。全日本選手権も開催されているようで、今年が第25回目の大会。文京区の大会は年2回。この程度なら次回は最初からチームの一員として参加させて頂こうかなどと考えが変わりました。