マーちゃんの数独日記

かっては数独解説。今はつれづれに旅行記や日常雑記など。

藤田美術館から太閤園へ

2017年05月19日 | 映画・美術・芝居・落語

 奈良旅行の2日目は藤田美術館・太閤園・大和文華館と廻った。
 近鉄奈良駅から藤田美術館までは、近鉄奈良線で生駒山中を潜り抜け、後はJRを乗り継いで大阪城北詰で下車。大阪城北詰も駅が地下にあった。地上に出るとその辺りは高い塀に囲まれた大きな屋敷町の雰囲気。その塀伝いに歩いていくと藤田美術館はあった。多宝塔がまず目に入って来た。









 私はこの美術館について初めて知ることばかり。今、手元には『藤田美術館の至宝 国宝曜変天目茶碗と日本の美』(出版:朝日新聞社)がある。この旅行を前に妻が購入し送ってもらった本だ。その冒頭の「ごあいさつ」が簡にして要を得ている。
 <大阪市の中心に立つ藤田美術館は、多彩な東洋・日本美術を所蔵する国内トップクラスの美術館です。明治時代に活躍した実業家・藤田傳三郎氏と、長男平太郎、次男徳次郎両氏の二代三人によって収集された名品を公開するため、昭和29年(1954)に開館しました。
 ・・・様々な事業で財を成した藤田傳三郎氏は、明治維新後の廃仏毀釈によって、仏教美術品が失われる危機を憂慮し、私財を投じて仏像や仏画などの文化財保護に尽力しました。(以下略)>
 茶の湯を趣味とする数奇者であった傳三郎は茶道具に対しても卓抜の鑑識眼を持ち、曜変天目を所蔵するまでに至った。

 美術館自身はこじんまりとした二階建ての木造建物で、現在は「ザ・コレクション」後期の部として全部で27点が展示され、そのうち国宝が3点、重文11点という豪華さ。私達が訪れた際の目玉は国宝の「曜変天目茶碗」・「玄奨三蔵絵第5巻」・「紫式部日記絵詞」。

 「曜変天目茶碗」は遍く知られるように、現在時点で世界に3椀しか確認されていない。いずれも国宝で、ここと静嘉堂文庫と大徳寺にある。その名宝をゆっくり見学していると、学芸員がやって来て簡単な説明を始めてくれた。
 
その説明が面白かった。「曜変天目」については”天目茶碗にはいろいろありまして、その満たす条件ごとにナンチャラ天目が存在します。瑠璃色の斑紋があるのが曜変天目です」と語った後、曜変天目を懐中電灯で照らしてくれた。暗くて見えなかった茶碗の外側が電灯の明かりで照らされると、そこにも瑠璃色の斑紋がはっきりと見えた。(写真:図録より。学芸員により、下の写真に見られる外側の斑紋を肉眼で見られた)



 実はこの建物は今年の6月から、建て直しのため長期休業に入るとの説明も加えられ、ここをよく訪れると推測される方々から残念がる声しきり。私にはその直前の大サービスとも思える突然の説明会だった。
 「玄奨三蔵絵第5巻」では山中の険しい崖から谷に滑落した人馬が描かれていて生々しい。この絵の全巻はビデオで見られた。












 昼食は「太閤園」で。ここは藤田財閥の遺産を基礎に築かれた建物で、現在はプライダルホールになっていて、その1階がレストランで、私達3人は右のサンドイッチ+ケーキを食した。お値段は1800円だったか。そこから見える庭園は椿山荘に似ていた。それもそのはず、椿山荘も太閤園も藤田観光の建物で、どちらも超高級感が漂う。
 その後「藤田邸跡公園」へ。今回は、その広大な庭園は入り口付近を垣間見ただけだが、立派な日本庭園を持ち春は桜の名所とか。何時かは訪れたいと思う。(以下の写真は太閤園の庭園)

 
 


璉珹寺から興福寺仮講堂へ

2017年05月16日 | 

 奈良国立博物館を後に、私達はタクシーで「ならまち」方面へと向かった。普段東京では滅多にタクシーを利用しないが、奈良駅近辺の3人での移動では一人当たりの費用がバス利用(210円)よりも安くなるし、当然移動が簡便となる。
 昼食に予定していた「鹿の舟」が臨時休業と知り、そのお店の方から紹介された「あしびの郷」へと、「ならまち」の中心街を散策しながら移動。昼食はヘルシーで値段も手頃だっ。








 昼食後璉珹寺へ。そこへ行く途上で、右写真の“秘佛開扉 女人裸形阿弥陀佛”の看板が目に入って来た。仏様に性はないはずなのに、何故女人の阿弥陀佛?との疑問を抱きながら璉珹寺へ向かった。
 璉珹寺は、「ならまち」の外れに、崇道天皇社の少し先に在った。パンフレット「璉珹寺の栞」によれば「璉珹寺は紀寺の跡といい、縁起によると、天平年間聖武天皇の勅願で行基菩薩の開基とされ、紀有常公が改めて伽藍を建立して中興となっている。・・・」とあった。こじんまりとした緑豊かなお寺だ。



  
      (写真:璉珹寺山門)
 
本堂へ上がると直ぐに秘仏が目に入って来た。本尊の阿弥陀如来立像は光明皇后がモデルとされている。下半身に袴を穿き上半身は肌を露わにした白色裸形の仏像。確かにこの仏様は胸が微かに膨らみ女性に見える。最近は5月いっぱい開帳されるが、以前は秘仏とされ滅多に開帳されなかった為か、傷みは無く、綺麗な姿の仏様。袴は50年の一度取り換えられるとの事。主役は県指定の文化財だが、脇侍の観世音菩薩立像と勢至菩薩立像が重文という組み合わせ。
 女性2人は”女人裸形”の宣伝に眉を顰めたが、美しい仏像との感想。










 次いで「興福寺仮講堂」へとタクシー移動。興福寺は現在「国宝館」が耐震補強工事の為に休館中で、仮講堂で「天平乾漆群像展」が開催されていた。阿弥陀如来像を中心として、四隅に四天王像を配置し、八部衆像・梵天像・帝釈天像・金剛力士像など、実に多数の国宝・重文が一堂に配置されていた。
 なかでも阿修羅がひときは目立つ。私は凛とした少年の様に見えるこの像が大好きで、自分の部屋にポスターを飾ってあるほど。実像を観るのは3度目だが、今回は何故かその姿が小さく見えた。”阿修羅”は怒りの形相のはずだが、この像には内面的な雰囲気が漂う。(写真:興福寺五重塔)

 
 多くの国宝が展示され殆ど移動しないで拝観できるのは有り難かったが、もっと間近で拝観したかった。(写真:金剛力士像の阿形)
 
女性2人は新大宮の奈良ロイヤルホテルへ。私は奈良駅に接続するスーパーホテルへと一時別れ、近鉄奈良駅で合流。予約しておいた、おでん屋「よばれや」で夕食。
 気になったことがある。例えば、大和郡山に本店のある和菓子「菊屋」の支店が三条通りに、新たに店を構え始めたごとく、JR奈良駅付近が盛況になってきているに反し、近鉄奈良駅から「ならまち」へと通じる、餅飯殿通り商店街にかっての活気が見られないことだ。閉店した店もあった。「よばれや」にも以前の勢いは全く感じられず客も疎らだった。


奈良美術行で「快慶展」を観る

2017年05月14日 | 映画・美術・芝居・落語

  奈良での初日、59日(火)は、奈良国立博物館→璉珹寺(れんじょうじ)→興福寺仮講堂と巡った。  
 奈良博では48日~64日で、「特別展 快慶」が開催されていた。ここでは、最終日に行った「京都国立博物館」もそうだが、「東京国立博物館」で購入したパスポートが使用出来て有り難かった。
  運慶と並び称される仏師・快慶の彫刻群を初めて観た。本展では、日本各地から借用し、アメリカからもお出まし願って、快慶の代表的な作品を一堂に集めたとのこと。国宝が7点、重文が50数点という豪華さ。快慶は実に沢山の仏様を造られたものだと驚かされる。(ポスター写真:釈迦如来立像。キンべル美術館)






 1192(建久3)年の後白河院追善の造像に始まり、東大寺再建造像、長谷寺本尊再興などを経て、後年には彼が生涯をかけて追及したと言われる阿弥陀如来立像まで、快慶の足跡が懇切丁寧に説明されている解説文を熟読した。初めて知ることばかりだが、そのなかでも特に、彼自身熱心な阿弥陀信仰者として造仏に臨んでいたことを、なるほどなと感銘しながら読んだ。(写真:地蔵菩薩立像。藤田美術館)











 どの仏様も神々しく仰ぎみるばかりだが、その作品群の中では私には、仏相の像より人間相にちかい像に親しみの様な感じを抱いた。例えば重文「深沙大将立像」(舞鶴・金剛院蔵)。筋肉隆々たる姿が素晴らしい。国宝「僧形八幡神座像」は美しい。
 今まで、快慶には運慶の脇役のようなイメージを抱いていたことが、それは間違いと思い知らされた。その仏像は実に優美で美しい。殊に「釈迦如来像」が米国・キンベル美術館に渡ってしまったことを口惜しく感じながら奈良博を後にした。(写真:国宝 僧形八幡神座像。東大寺)
 



       
深沙大将立像(京都・金剛院蔵) 阿弥陀如来立像(滋賀・
圓常寺


 


奈良行深夜バスに乗車して

2017年05月12日 | 

  昨日、33日の奈良旅行から帰宅した。今回は久し振りに往きに「奈良行深夜バス」を利用した。その顛末記。
 妻とその友人のトモさんは「奈良の美術」巡りの旅を計画し、「JR東海ツアーズ50+」に参加を申し込んでいた。奈良ロイヤルホテル2+新幹線往復特急券+東京・奈良往復乗車券がセットで23,900円とお安い。問題は朝6時発の新幹線「のぞみ1号」が希望通りに取れるか否か。他の時間帯だと値段が高くなる。妻は、高い確率で予約可能とは思いつつ、予備に「スーパーホテルロハス奈良駅」をも予約していた。
 それらの準備を横目で眺めていて、私も奈良に行きたくなった。「50+」への申し込みは無理だったので、「ロハス奈良駅」のシングル16000円の早割りを予約した(前日予約だと9000円台)。ただ、ジパング倶楽部の3割引きの適用を受けても、東京⇔奈良往復は新幹線特急券込みで約20000円。とすると交通費と2泊宿泊代の合計で32000円となってしまい、女性2人と比較して大分高くなる。少しでも安く上げたかった。
 その時にヒントとなったのが、天城高原に若菜さんと出掛けた時の話。彼から「奈良行深夜バス」は快適の話を聞いていた。指圧の水野さんも経験があり、比較的眠れたとの話。1列3人席がそのポイントらしい。奈良交通に直接電話し5月8日(月)2315分新宿バスタ発の便「やまと」を予約した。連休明けなので一番安い値段の5900円だった。
 問題はしっかり眠れるか否か。数年前に利用したが辛かった。そこで今回は色々な準備をした。まずアイマスクを購入し、更に“ためしてガッテン”の曖昧情報に踊らされて買ってしまった睡眠薬の残も使うことにし、更に”睡眠液”も準備することにした。
 さて当日、興味津々の思いで乗車。確かに1列に3人。各人の”寝室”はカーテンで仕切られ、ゆったり感がある。リクライニングシートは120度くらい傾いた。新宿をスタートして間もなく電気が完全に消されてから、アイマスク着け、睡眠薬と睡眠液を飲んで、睡眠に入ろうとしたが、高速道路を走る車の音が気になってなかなか眠れない。耳栓は用意していなかった。
 奈良着の朝620分までの間に3時間ほど睡眠出来たろうか。熟睡とは程遠かったが、以前に夜行バスを利用したときほどの苦痛はなかった。今後利用するか否かは自妙なところ。寝ている間に現地に到着してしまうこの方法、時間と費用の節約にはなるが体力勝負の面が大きい。今、深夜便は多い。新世界を垣間見た気はする。軽井沢の事故もあった。安全・安心の会社選択が重要か。

 奈良着後、休息の為に、朝7時から営業の、ネットで調べておいた「極楽湯」(440円)にバスで出掛けた。
 望み通り「のぞみ1号」が予約出来、9時20分に近鉄奈良駅に到着出来た妻たちと合流し、「奈良美術」の旅はスタートした。




『二条城行幸図屏風』を「泉屋博古館」で観る(その2)

2017年05月07日 | 映画・美術・芝居・落語

 ”学芸員泣かせ”というこの屏風、色鮮やかで、観衆の一人ひとりが実に表情豊かに描かれている。しかも行列の通過した通りは私達に馴染みの深い道。観るのが楽しくなる条件が備わっていた。
 後水尾天皇は堀川通りを南下し二条城に向かった(図のルートA)。今、城の正門前には工芸店「和光」がある。丸太町との交差点には、おでん屋「たぬき」がある。いずれも馴染みとなって時々訪れるお店。「ハーヴェストクラブ京都」に宿泊したときに、よく早朝散歩をしたのが「御所」から中立売通。将軍が天皇をお迎えに行った通りだ(ルートB)。

 図録には屏風の4つの鍵が解説されていた。
 保存状態・・・江戸時代から住友家に秘蔵されて来たためか、絵具の退色や剥落が少ない。
 記録性・・・朝廷方と幕府方が集結した行幸の列。配列から出で立ちまで色々な記録と合致する故、歴史資料としての価値が高い。
 見事な描写・・・人物から建築までなにひとつ同じものがなく、細やかに描き分けられている。寛永年間のやまと絵正系絵師の静かな情熱の結晶。
 観衆パワー・・・沿道に押し寄せた老若男女の姿。それは風俗資料の宝庫。行幸というデモンストレーションは、彼ら観衆の存在で初めて成立する。 とあった。
 しかし、最大の謎は謎のままだ。“やまと絵正系絵師”とは誰なのか。更にまたいつ頃描かれたのか。図録では、制作時代を、記憶のさめやらぬ寛永期と想像している。しかし、制作者は、この時代に活躍した土佐派や住吉派とは異なっていると断言。制作者の謎は解明されてはいない。

 図録には、見て分かり易く、楽しくなるような、観衆の姿が紹介されている。右写真は「中立売通の町屋」。子供にオシッコをさせる母親。厳しい統制はまだここにはない。











 
右写真の絵では乱闘が始まっている。行列が通り終わるまで何時間かかったかは分からないが、長時間であっただろうことは想像に難くない。何が起こっても可笑しくはない。









 おっとこんな姿態も描かれている。















 オシャレをしてきたであろう人々も登場する。
















 バ
ーベキューでは無かったが、炭火を持ち込み、現地調理を楽しむ一団も。お燗が主目的のようだが・・・。
 私が経験したことで例えるならば、観衆席は、相撲見物と花見と葵祭見学と御柱見物がごちゃ混ぜになったような雰囲気だ。