『日本人はどこから来たのか?』を読んで知り得た事柄をまとめておきたい。
本書後半部では(2)ユーラシア大陸東端に達したホモ・サピエンスはどのようなルートを経て日本列島に上陸したのかが語られる。
日本では3万8000年前に、突如人類遺跡が爆発的に現れ始める。それ以前の遺跡には確証がない。3万8000年前以降に、3つのルート、すなわち対馬、沖縄、北海道から、時期的にはこの順で、別々に、それまでいわば無人の野であった日本へ、初めて祖先が足を踏み入れた。
この列島に初めてホモ・サピエンスが到達したのはいつだったのが非常に大事なポイントだ(と初めて知った)。日本列島周辺の地理的状態が2万年前と、4万年前では大きく違うからだ。 右のA図は推定される5万~3万年前の日本列島の地図。現在の地形をそのまま海面を80m下げた地図で、①瀬戸内海は無く、本州・四国・九州はつながって一体となった「古本州島」を形成し、朝鮮半島とは、今よりも狭い海峡で隔てられていた。②北海道は、サハリンを介してロシアのアムール河口域まで陸続きだった。③図からは北海道は「古本州島」と陸続きのように見えるが、津軽海峡を挟んで実は離れている。この海峡は深いのだ。(右はA図)
右のB図は2万年前頃の日本列島で、3万年前を過ぎる頃から列島の寒さはさらに厳しくなり、2万年前頃にそのピークを迎える。現在より約130mも下がった位置にあった。対馬は古本州島に取り込まれ、日本海はほとんど湖と化していた。朝鮮半島と陸続き化したかに見えるが、この間も数キロメートルの海峡が横たわっていた。(右はB図)
日本への渡来を3万8000年前とすればA図での渡来となり、図の様な3つのルートが考えられる。
3つのルートのうち、最も早く日本に入ったのが対馬。朝鮮半島から対馬を経て北部九州へ至るルートで、海を越える必要があった。日本列島の土を最初に踏んだ祖先たちは航海者だった。
次の渡来は沖縄ルート。沖縄地方における旧石器時代の人骨が宮古島(ピンザアブ人 3万年前の人骨)や石垣島(白保竿根田原 2万4千年前の人骨)などで相次いで発見されている。台湾から黒潮を横断し沖縄列島に至るルートは100Kmをはるかに超え航海が必要。沖縄に来た祖先として、遺跡証拠からヒマラヤを南ルートで越えた人々としている。その航海の本当の苦労を知ろうと、筆者を中心にしたグループが航海の再実験を行っている。
北海道ルートは、サハリンから北海道へと南下するルート。2万5000年前頃から北海道への移住を支持する証拠として北海道の縄文人のDNA分析がある。シベリア集団の南下は実在したと捉えている。
3万8000年前の古本州島に現れた集団が、基本的にその後の縄文人へと連続していった可能性が高い。旧石器時代~縄文時代のこの地域において、“最初の日本列島人”たちの系譜が途絶えることなく、劇的な集団の交替が起こった証拠は見出されていない。
縄文人と弥生人の交わりについやアイヌ人について、本書では簡単に語られている。より詳細な話を知りたいと思うが、それはまた別の書を待たねばならないようだ。