徒然なるままに…なんてね。

思いつくまま、気の向くままの備忘録。
ほとんど…小説…だったりも…します。

三番目の夢(第五話  癒されぬ修の傷)

2005-09-01 19:04:02 | 夢の中のお話 『彷徨える魂』
 朝から降り続いている雨のせいか、まだ5時をまわったばかりだというのに夜のように暗く、居間に集まっていた透たちもだれ気味で、参考書を片手に半分居眠り状態だった。

 寝ぼけ顔で耳を澄ませると玄関の方で、はるが驚いたように何時になく大声を上げるのが聞こえた。
 透が何事かと起き上がると居間の入り口に懐かしい顔があった。

 「宇佐さん! 」

 透は自分のでかさも忘れて、にこにこと笑い顔で立っている体のごつい男に飛びついた。男は嬉しそうに透の背中をぽんぽんと叩いた。

 「透! でかくなったなあ! 元気か? 」

目を覚ました雅人と隆平が誰…?というようにそちらを見た。

 「おい。透。兄弟増えてねえか…? 冬が逝っちまった話は聞いてたが…。 」

男は不思議そうにふたりを見た。

 「冬樹の腹違いの兄貴で雅人。 親戚の隆平。 修さんが引き取ったんだ。 
この人は、修さんの友達でイタリア料理のシェフ。 宇佐さんて言うんだ。」

透が紹介すると雅人と隆平はぺこっと頭を下げた。

 「ねえ。 何時イタリアから帰ってきたの? こっちで店開くの? 」

 「帰ってきたのはちょっと前になるな。しばらく他でシェフをやってたから…。
こっちで自分の店を出すつもりで物件探しをしてるんだ。 」

宇佐はまたにこにこと笑った。
 
 「ねえ。 何か作って。 久しぶりに宇佐さんのパスタ食べたいよ。」
 
透がねだると宇佐は嬉しそうに頷いた。リュックを下ろして中を見せながら言った。

 「そのつもりでな。いろいろ仕込んできたんだ。おい。おまえたちも手伝え。 今夜はパスタパーティしようぜ。 」

 宇佐は雅人や隆平にも声をかけた。そういうことなら…というわけで参考書は床の上でしばらくお休み頂くことになった。

 高校、大学時代、紫峰家に遊びに来ると宇佐は、はるの仕事を手伝ったり、料理を作ったりしてくれた。
 修が留学している間には、貴彦に預けられれていた透と冬樹のために貴彦の家を訪れて、よく子ども料理教室を開いてくれた。

 透や冬樹だけでなく貴彦の娘たちやその友達も一緒に料理を教わったので、当時結構、親たちからも喜ばれたものだった。

 家業が洋食屋だったこともあってその知識は豊富で腕前も確かだった。
修が帰国したのと入れ替わりにイタリアへ修行に出ていたのだ。

紫峰家の厨房から久々に子どもたちの笑い声が響いてきた。  



 いつもより少し早い時間なのに校門をくぐると辺りはもう真っ暗だった。
自宅のマンションまではバスで2区ほどの近い距離なので徒歩で通っている。
いままで1時間ほどもかけて通っていたことを思えば何と楽なことか…。
唐島はゆっくり歩き始めた。

 急いで帰っても誰も待ってはいない部屋である。
幼い時から孤独には慣れてはいたが、明かりがついていない部屋に帰るのは寂しくないわけではない。少し前に同居していた姉を病気で失ったばかりなので…。

 「唐島先生。」

 背後から呼びかける声があった。
振り返ってみると篠田という教師が足早に近付いてきていた。

 「いや~。 先生もこちら方面でしたか。 」

 聞いてみると篠田は唐島の2ブロックぐらい先のマンションにいるらしい。
唐島より少し年上で、修がいた当時は教師になったばかりだったという。

 「この間は盛り上がりましたな。修の話を肴に。いや実際面白い奴でしたよ。」

 篠田は愉快そうに言った。唐島は思わずドキッとした。あの初老の先生が言ったとおり、ここにも修を知っている人がいる。

 「だけど…あいつ妙な癖がありましてね。 」

篠田は唐島と並んで歩きながら話始めた。

 
 ど派手で豪快なパフォーマンスを全学年の男子が本当にやってのけた体育祭の後、三年生の受験が間もなく始まるということもあって、しばらくはみんな静かに過ごしていた。

 年頃が年頃なだけに暇があるとろくなことをしない連中が出てくる。
その日も何人かの男子が教室で誰かが持ち込んだエロ本を回し読みしていた。

 そこへ修がやって来たので修にも見せてやろうということで、みんながそっと手招きした。   

 「なにそれ? 」

 「プレミア付きの袋綴じもの。 超刺激的で超過激。」
 
 みんなは修の目の前に特に過激な写真のページを広げて見せた。
すると修はいきなり真っ青になって踵を返すと、そのままトイレに飛び込んでゲーゲーやり始めた。

 あんまりゲーゲーやっているので、心配したその中のひとりが保健室へ連れて行った。ちょうど校医さんが来ていて胃腸風邪だろうということだった。

 「なんちゅうか…すげえタイミングだよな。 エロ写真見た途端に胃腸風邪でゲロゲロってのはさ。 修らしいといえば修らしいけど…。 」

 ところが修の体調の異変はそれ一度きりではすまなかった。
数日後にまた別の雑誌を持ち込んで眺めていた生徒たちが、篠田が教室に入ってきたのに驚いて思わず雑誌を落とした。  

 たまたま通りかかった修の目の前にとんでもない写真がばらまかれた。
修はまたトイレへ直行。今度は篠田が保健室へ連れて行った。

 不思議なことに単なるヌード写真とか、他愛のない猥談とかには普通にのってくるし、そんな過激な反応はしない。それが同級生たちにとって謎だった。


 「どうもね。 レイプとかオーラルとかそういう行為の記載があいつにとってめちゃめちゃ気持ち悪いらしいんです。
 
 そういう写真もだめなら、ほら写真のわきとかに想像を駆り立てるような見出しとか文章とか載せるでしょう。 あれが目に入っただけでゲロゲロ状態。

 2~3度そんなことがあってから笙子がえらい怒りましてね。
修に変な本を見せるなと男子生徒にくってかかりまして、それ以来、猥談はともかく、そっちの方に関係する本や写真は修の目の届かない所でってことになったようです。 」

 篠田はそう言って唐島を見た。唐島は何気ないその視線にさえ心臓が止まるかと思うほどショックを受けていた。

 「そうですか…。 そんなことが…。」 

 「行動だけを見てるとね。 
豪放磊落とはこのことかと思うようなことをやらかしてくれるんですけど…。
本当はわりと繊細な神経の持ち主なんですねえ。 」

 篠田は自分で頷いた。
修には闇のの部分があった…と初老の先生は言っていたが、まさにこれもそのひとつなのだろう。
唐島は胃の腑がぎゅっと締め付けられるような痛みを覚えた。



 修からメールが入ったのは夕方のことだった。
今夜は笙子のマンションの方にいるから遊びに来ないかという誘いだった。

 史朗の住居は笙子のマンションからさほど離れていない。
仕事の便宜上でもあるが笙子の便宜上でもある。
 仕事上のパートナーであり、愛人でもあり、常に夫の修より近い距離にいる。
修はそれを承知の上で年下の史朗を可愛がっている。

 史朗が呼び鈴を鳴らすと修が迎えてくれた。
珍しくエプロン姿である。

 「修さん。料理できるんですか? 」

史朗は驚いて訊いた。

 「全然…。 友達に教わったこのスパゲッティくらいだ。
僕が先に帰ってきたのでたまにはと思ったんだけど…笙子は外泊だって…。 
ひとりじゃ食べきれないからね。 史朗ちゃんにメールしたんだよ。」

修はそう言って笑った。

 「あ…。じゃあ僕、サラダでも作りますよ。 」

史朗はそう言うと手際よく準備を始めた。

 「へえ。 史朗ちゃん料理できるんだ。 」

 「やだな。料理ってほどじゃないでしょ。野菜洗って切るだけなんだから。」

男ふたりの食卓が何とか整った。
 修は史朗のためにワインを開けた。修自身はそれほどの酒好きではないが、史朗は結構いける口である。

 以前に酒を飲んだ勢いで修に愛の告白をしてしまったので、この頃は少し控え気味にしているらしい。
今更…遅いと修は思うのだが…。

 「手際いいね。 史朗ちゃん。 惚れ惚れするよ。 」

 「親亡くして作ってくれる人なんてなかったから…慣れてるだけです。 
笙子さんに出会うまでは…ほんとひとりだったから…。 」

 史朗は高校を間もなく卒業するという時に両親を事故で亡くして、笙子の会社でアルバイトをしながら大学まで行った。

 その時にはまだ、笙子ともそんな関係ではなく、史朗の将来性を見込んだ笙子が史朗の生活を援助し、修が奨学金を提供したに過ぎない。

 史朗はその恩を決して忘れておらず、卒業してからも笙子の会社で一生懸命働き、会社を拡大するのに貢献したのである。

 修は史朗の誠実な人柄を信用しているし、笙子への忠誠心も疑いなく、修を慕ってくれる心根が本心可愛くもある。

 食事が済むとコーヒーを入れている修の横で、史朗はてきぱきと片づけを済ませていった。
 時々このキッチンで笙子の手伝いをしている史朗は、修より何処に何が入っているかなどを良く心得ている。

 「後は僕がやるからいいよ。 ありがとう。 」

コーヒーを居間のテーブルに運びながら修は声をかけた。

 史朗は大方すべてを片付け終えて修の待つ居間のテーブルの方へやって来た。
他愛のない話をしながら子どものように屈託なく笑って時を過ごした。

 修はふと今の自分を少年だった唐島に重ね合わせた。目の前の史朗はあの頃の修自身なのか…。疑うこともしないで、楽しそうに笑っている…。

 「史朗ちゃん。 君が僕を好きだと言ってくれたから訊くのだけれど…。
もしもいま、僕が腕尽くでレイプしたら君は僕を許せるかい? 」

 史朗は驚いて目を見張った。修は冗談を言っているわけではなく、真面目に問うているのだと分かった。

 「腕尽くで…ですか。 絶対…嫌ですね。 それは許せません。
どんなに好きな相手でも…強制されるのは嫌です。 

 僕の中に相手を受け入れるだけの心の準備ができていなければ…気持ちの高揚がなければ…それは悲しいだけです。
その場の雰囲気もあるとは思うのですが…。 」

 史朗は慎重に答えた。修は納得したように頷いた。

 「そうだよね。 僕がおかしいわけじゃないんだ。 やっぱり嫌だよね。
男だって女だって誰かに強制されるのは…。 」

修は呟くように言った。

 「修さん。 何かあったんですか?  」

史朗は心配そうに訊ねた。修は笑顔で首を横に振った。

 「なんでもないよ。 ごめんね。 史朗ちゃん。 変な事を訊いて。 
史朗ちゃんをレイプしようなんて全然思ってないからご安心を。 」
 
 修はいつものようにおどけていったが、史朗はどこか不自然なものを感じた。
修はそれきりその話はしなかった。史朗も何となくそれには触れない方がいいような気がして何も訊かなかった。

 夜が更けて史朗が帰っていくまで、ふたりはなんと言うこともない話に興じ、意味のないことが可笑しくて仕方がない無邪気な子どものように笑って過ごした。

 



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