活けたばかりの花々の全体のバランスを見ながら旭は…よし…っと頷いた。
出窓に置かれたその水盤の花々を時々遠目に観察しながら、大切な道具類をてきぱきと片付けた。
時計を見る。約束の時間まであと少し…。
注文の品が届いたら何処に飾ろう…。
居間でも良いけれど…季節物だし…季節に関係なくいつでも見ることができる場所なら…寝室かな…。
少し前にあの絵を買いたいと仲介人に申し出た…。
仲介人は何回も交渉してくれたようだけれど…結局…あの絵は手に入らなかった。
その代わりに少し小さいサイズのものでよければ同じテーマのものを描いて貰えると回答があった。
少し残念だけれど…それもオリジナルには違いない。
それに現物を見て気に入らなければ返してもいいという話しだし…。
仲介人は今日の10時頃と時間を指定してきた。
旭は少しだけカーテンの陰から外を覗いて玄関先にあの仲介人の姿を探したが、まだ誰の影もそこにはなかった。
まだ少し早いから…と部屋の真ん中辺りまで引っ込んだ時、車寄せに車の止まる音がした。
旭は慌ててインターホン受話器を取りながらモニター画面を見て唖然とした。
そこに映っていたのは仲介人ではなく画家本人だった。
急いで玄関の扉を開けると…画家…西沢はにこっと笑いながらご注文の品をお届けに上がりました…などと何処かの配達員のような口を利く。
西沢の意図は分からないが旭は取り敢えず応接間に通した。
ソファを勧めておいてお茶を淹れに走った。
どうなっているんだろう…本人が来るなんて聞いていないし…。
お茶を淹れながら深呼吸して動悸を抑えた。
数分後…落ち着いた顔を取り戻した旭は、品のいいティーセットをお盆にのせて応接間へと戻ってきた。
旭の趣味で設えられた英国風インテリアの部屋の中で西沢はひとつの絵のように溶け込んで見えた。
「その節は素晴らしい贈り物を頂戴いたしまして有難うございました。
少し遅くはなりましたが心ばかりの御礼を…と思い立ちまして参じました。」
西沢は口上を述べると美しい包装用紙できちんと包まれた箱を差し出した。
「ご笑納頂ければ幸いに存じます…。 」
旭は恐縮してそれを受け取った。
「御礼など考えて頂かなくても宜しかったのに…無作法ですが…拝見させて頂いても宜しいでしょうか? 」
西沢はどうぞ…と微笑んで頷いた。旭は丁寧に包装紙を開いていった。
固めの箱の蓋を開けると額に嵌め込まれて飾るばかりになっているあの絵が入っていた。旭が仲介人を通じて注文したものに違いない。
仲介者の言っていた通り少し小さいサイズだが、レプリカではなく紛れもなく西沢が描いたあの雪の夜の絵…もとの絵を思い出してみてもまったく違和感を感じさせない。
私は今…そこに居る…雪明りの夜の景色の中に…。
最初に居たあの場所から…少しだけ歩いてみた…ここもまた静寂…。
旭は再びあの不思議な感覚を覚えた。しばし眼を閉じて雪と夜のその感触に浸る。
「素晴らしい…。 でも…本当に頂いてしまって宜しいのでしょうか?
仲介人さんを通じて依頼したものなのですが…。 」
心配そうに旭は訊ねた。
西沢はさらに相好を崩して頷いた。
「ご懸念には及びません。
相庭は画商ではなく僕のマネージャーみたいな存在で、商売にならなくてもそれなりの手間代は手に入ります。
さらに言えば…僕を監視するために養父がつけた間諜ですから給料は僕と養父から二重取りしています。
気にしないで下さい。 」
間諜…冗談がお好きなようだ…。
旭はそう言って笑った。
「西沢先生…一度お伺いしたいと思っておりました。
先生はなぜ太極の望まれることをご存知なのですか…? 」
ふと思い出したように急に真顔になって旭は西沢に訊ねた。
西沢は亮やノエルのことには触れず、西沢と太極との対話がずっと続いていることを打ち明けた。
両極のバランスの崩れが深刻化していて、このまま是正されなければやがては太極消滅の危険性があること。
是正のためには両極の協力が不可欠であるにも拘らず、二手に分かれた能力者同士が勢力を争っているため、ますます崩壊が助長されていること。
意思を持つエナジー…気たちがそれを憂えて、人間を消滅させるか否かを真剣に考え始めていること…などを掻い摘んで話した。
「両極同士の争い…と以前にも仰いましたが…解せぬことです。
時折…桂のところの過激な連中が邪魔をするのでそれを撃退することはありますが…特にこちらから誰かを攻撃させるような指示は出してはおりません。
確かに若い人たちに崩壊の危機にある地球の自然についてよく話はします。
両極を引き合いに出して生命エナジーのバランスについても説明し、バランスを保つためにはどうするべきかを考えてもらいます。
私は啓蒙と考えておりますが…まあ…暗示と言われればそうかもしれません。
そうした活動を始めたのは私が植物を相手に仕事をしているからです。
草木一本一本に宿る命を蔑ろにしてはならないという私なりのコンセプトによるものなのですが…生徒さんやそのお知り合いはともかくも無関係な方を力で無理やり引っ張ってくるようなまねは致しておりません。
あなたのお知り合いの亮という学生が誰かに狙われていたという情報は聞いていますが、それも決して私の命じたことではありません…。 」
良心にかけて恥ずべきことはしていない…旭はそう断言した。
嘘ではない…と西沢は感じた。
「では…このところ若手たちの争いが大人たちに波及して自然保護などの趣旨とは無関係なところでの争いに発展してしまっていることもご存じない…? 」
旭は眼を丸くした。まさか…そんな馬鹿なことが…。
「私はただ…特殊能力を持つ若い人たちに地球の危機的状況を警告し、その力を以って回避に努めさせるように陽の気から啓示を受けたに過ぎません。
桂も同じことだと思いますが…。
私たちは謂れのない攻撃を防ぐために戦うことはあっても、自分から相手に争いを仕掛けたりはしません。 」
とんでもないことだ…と旭は嘆息した。
「宮原夕紀という少女は…あなたにとって使者のような存在なのですか?
以前…彼女を訪ねて大学の方へも行かれたようですが…。 」
西沢は夕紀の名前を出した。
これも旭には心当たりのないことだと見えて…えっ?…と聞き返した。
「私が…大学へ…? 宮原さんは生け花の生徒さんで週二回ほど教室にいらっしゃる熱心な方ですけれど…こちらからお訪ねするような関係ではありません。」
動いているのは…旭の姿を借りたあの意思を持つエナジー…か…。
桂の方もその可能性が大きいな…。
活動の拠点を作らせておいて…ふたりのもとへ集まってきた能力者を勝手に利用しているわけか…と西沢は考えた。
直行が早まった行動をしていたらとんでもないことになっていたな…僕のところで止めておいて正解だった。
「紅村先生…お気をつけ下さい…。 どうやらあなたの顔を利用しているものが居るようです。
啓蒙された若手をあなたの知らないところで勝手に動かしています。
これまでの経緯から推察すれば…彼等は人間の存続よりも滅亡の方向に意思を傾け始めているのかも知れません。 」
旭は愕然とした。地球のために良かれと思って始めた自然環境保護の啓蒙活動をそんなことに利用されているとは…。
「信じ難いことですが…言われてみれば思い当たるようなことも…。
このところ出かけても居ない所で私を見かけたなどと言われることがあるのです。
見間違いだろうと気にもしていませんでしたが…。 」
何だか背筋の寒くなるような話だ…。
旭の知らない内に旭の顔だけがひとり歩きして人類の滅亡に加担している…そんなこと望んでも居ないのに…。
西沢の言うことを単純に鵜呑みにはできないけれど…一度きちんと仲間たちの動きを調べておく必要がある…と旭は思った。
特に…宮原夕紀という少女のことは…。
お疲れさま…の言葉とともにシャッターが閉まって本日の勤務も終わり…。
冷房の効いた店内とは異なって外の空気は重く暑苦しい。
駅前のコンビニで冷たいジュースやパンなどを買って亮とノエルは家に向かった。
西沢が出かけているので今日はマンションには寄らない。
店長に借りた極めてお宅っぽい恐怖もんのRPGを攻略する予定。
ふたりは冗談口を叩きながら楽しげに歩いていた。
ふいに…木之内くん…と後ろから男の声がした。
振り返ると亮の知らない中年のわりと体つきのがっしりした男が立っていた。
「親父…。 」
男を見てノエルが驚いたように言った。ノエルの父親…高木智哉だった。
こいつがノエルを悩ませる父親か…と思いながらも亮は一応丁寧に智哉に向かって頭を下げた。
「ノエルがいつも泊めて貰っているそうだね。 世話をかけて申し訳ない。 」
智哉も小さく頭を下げた。
何の用だよ…とノエルは思った。
「いいえ…僕はひとり暮らしなので…ノエルが来てくれると楽しいです。
たまに帰ってくる父もノエルのことは歓迎してます…。 」
亮のその言葉を聞いて智哉は…そうか…というように頷いた。
「きみに訊いておきたいことがあってな…。 」
口調は穏やかだが友好的でないことは確かだった。
「きみがどちらのノエルと付き合っているのか…ということをだ。 」
えっ…どちらって…? 亮は一瞬問われたことの意味が分からなかった。
が…すぐに気付いて憤慨した。
「どちらもこちらもノエルはひとりです。
何もかもひっくるめてありのままのノエルと付き合っています。
いけませんか? 」
亮はそう訊き返した。
智哉は瞬時ひるんだ。
「いかんことは…ないが…高木家としてはノエルはあくまで男…。
きみが異性としての感情を以って付き合っているとすれば…放っておくわけにもいかんからな…。 」
ほっといてくれ…とノエルは胸のうちで叫んだ。
「僕は高木家の人間ではないので…ごく自然な関係を続けるだけです。
そんなふうに男だ女だと拘ってしまったら…恋人はおろか友達を作ることもできずにノエルは本当にひとりぼっちになってしまう。
そんな孤独な人生を送らせたいですか…?
僕なら願い下げだ…。 」
ノエルの父親を前にしたら積もる不満でもっと感情的になるだろうと思っていたが、自分でも不思議に思うくらい亮は淡々と話していた。
反感を持っているかもしれない年上の男に対して決して眼を逸らさない亮の不敵な態度は下手をすれば生意気とも取られる虞があった。
が…智哉はふたりの前でそれに腹を立てているような気配は少しも見せなかった。
じっと亮の顔を見つめていたが納得したかのように無言で何度も頷いた。
何を納得したのかは謎だが…。
「きみの考えはよく分かった。ノエルはまだ当分きみの世話になるんだろう…。
厄介をかけて申し訳ないが…よろしく頼む…お父さんにもそうお伝えしてくれ。
引き止めて失礼した…。 」
亮にそう詫びの言葉をかけるとゆっくりと智也は踵を返した。
「ノエル…無遠慮な振る舞いをするんじゃないぞ! 面倒かけずにな! 」
ノエルの顔を敢えて見ることもなく厳しい口調でそれだけ言い渡すとそのまま振り返らずに帰って行った。
「行こうぜ…。 」
じっとその背中を睨みつけているノエルに亮は笑顔で声をかけた。
うん…と答えながらノエルもつられて笑顔を見せた…。
次回へ
出窓に置かれたその水盤の花々を時々遠目に観察しながら、大切な道具類をてきぱきと片付けた。
時計を見る。約束の時間まであと少し…。
注文の品が届いたら何処に飾ろう…。
居間でも良いけれど…季節物だし…季節に関係なくいつでも見ることができる場所なら…寝室かな…。
少し前にあの絵を買いたいと仲介人に申し出た…。
仲介人は何回も交渉してくれたようだけれど…結局…あの絵は手に入らなかった。
その代わりに少し小さいサイズのものでよければ同じテーマのものを描いて貰えると回答があった。
少し残念だけれど…それもオリジナルには違いない。
それに現物を見て気に入らなければ返してもいいという話しだし…。
仲介人は今日の10時頃と時間を指定してきた。
旭は少しだけカーテンの陰から外を覗いて玄関先にあの仲介人の姿を探したが、まだ誰の影もそこにはなかった。
まだ少し早いから…と部屋の真ん中辺りまで引っ込んだ時、車寄せに車の止まる音がした。
旭は慌ててインターホン受話器を取りながらモニター画面を見て唖然とした。
そこに映っていたのは仲介人ではなく画家本人だった。
急いで玄関の扉を開けると…画家…西沢はにこっと笑いながらご注文の品をお届けに上がりました…などと何処かの配達員のような口を利く。
西沢の意図は分からないが旭は取り敢えず応接間に通した。
ソファを勧めておいてお茶を淹れに走った。
どうなっているんだろう…本人が来るなんて聞いていないし…。
お茶を淹れながら深呼吸して動悸を抑えた。
数分後…落ち着いた顔を取り戻した旭は、品のいいティーセットをお盆にのせて応接間へと戻ってきた。
旭の趣味で設えられた英国風インテリアの部屋の中で西沢はひとつの絵のように溶け込んで見えた。
「その節は素晴らしい贈り物を頂戴いたしまして有難うございました。
少し遅くはなりましたが心ばかりの御礼を…と思い立ちまして参じました。」
西沢は口上を述べると美しい包装用紙できちんと包まれた箱を差し出した。
「ご笑納頂ければ幸いに存じます…。 」
旭は恐縮してそれを受け取った。
「御礼など考えて頂かなくても宜しかったのに…無作法ですが…拝見させて頂いても宜しいでしょうか? 」
西沢はどうぞ…と微笑んで頷いた。旭は丁寧に包装紙を開いていった。
固めの箱の蓋を開けると額に嵌め込まれて飾るばかりになっているあの絵が入っていた。旭が仲介人を通じて注文したものに違いない。
仲介者の言っていた通り少し小さいサイズだが、レプリカではなく紛れもなく西沢が描いたあの雪の夜の絵…もとの絵を思い出してみてもまったく違和感を感じさせない。
私は今…そこに居る…雪明りの夜の景色の中に…。
最初に居たあの場所から…少しだけ歩いてみた…ここもまた静寂…。
旭は再びあの不思議な感覚を覚えた。しばし眼を閉じて雪と夜のその感触に浸る。
「素晴らしい…。 でも…本当に頂いてしまって宜しいのでしょうか?
仲介人さんを通じて依頼したものなのですが…。 」
心配そうに旭は訊ねた。
西沢はさらに相好を崩して頷いた。
「ご懸念には及びません。
相庭は画商ではなく僕のマネージャーみたいな存在で、商売にならなくてもそれなりの手間代は手に入ります。
さらに言えば…僕を監視するために養父がつけた間諜ですから給料は僕と養父から二重取りしています。
気にしないで下さい。 」
間諜…冗談がお好きなようだ…。
旭はそう言って笑った。
「西沢先生…一度お伺いしたいと思っておりました。
先生はなぜ太極の望まれることをご存知なのですか…? 」
ふと思い出したように急に真顔になって旭は西沢に訊ねた。
西沢は亮やノエルのことには触れず、西沢と太極との対話がずっと続いていることを打ち明けた。
両極のバランスの崩れが深刻化していて、このまま是正されなければやがては太極消滅の危険性があること。
是正のためには両極の協力が不可欠であるにも拘らず、二手に分かれた能力者同士が勢力を争っているため、ますます崩壊が助長されていること。
意思を持つエナジー…気たちがそれを憂えて、人間を消滅させるか否かを真剣に考え始めていること…などを掻い摘んで話した。
「両極同士の争い…と以前にも仰いましたが…解せぬことです。
時折…桂のところの過激な連中が邪魔をするのでそれを撃退することはありますが…特にこちらから誰かを攻撃させるような指示は出してはおりません。
確かに若い人たちに崩壊の危機にある地球の自然についてよく話はします。
両極を引き合いに出して生命エナジーのバランスについても説明し、バランスを保つためにはどうするべきかを考えてもらいます。
私は啓蒙と考えておりますが…まあ…暗示と言われればそうかもしれません。
そうした活動を始めたのは私が植物を相手に仕事をしているからです。
草木一本一本に宿る命を蔑ろにしてはならないという私なりのコンセプトによるものなのですが…生徒さんやそのお知り合いはともかくも無関係な方を力で無理やり引っ張ってくるようなまねは致しておりません。
あなたのお知り合いの亮という学生が誰かに狙われていたという情報は聞いていますが、それも決して私の命じたことではありません…。 」
良心にかけて恥ずべきことはしていない…旭はそう断言した。
嘘ではない…と西沢は感じた。
「では…このところ若手たちの争いが大人たちに波及して自然保護などの趣旨とは無関係なところでの争いに発展してしまっていることもご存じない…? 」
旭は眼を丸くした。まさか…そんな馬鹿なことが…。
「私はただ…特殊能力を持つ若い人たちに地球の危機的状況を警告し、その力を以って回避に努めさせるように陽の気から啓示を受けたに過ぎません。
桂も同じことだと思いますが…。
私たちは謂れのない攻撃を防ぐために戦うことはあっても、自分から相手に争いを仕掛けたりはしません。 」
とんでもないことだ…と旭は嘆息した。
「宮原夕紀という少女は…あなたにとって使者のような存在なのですか?
以前…彼女を訪ねて大学の方へも行かれたようですが…。 」
西沢は夕紀の名前を出した。
これも旭には心当たりのないことだと見えて…えっ?…と聞き返した。
「私が…大学へ…? 宮原さんは生け花の生徒さんで週二回ほど教室にいらっしゃる熱心な方ですけれど…こちらからお訪ねするような関係ではありません。」
動いているのは…旭の姿を借りたあの意思を持つエナジー…か…。
桂の方もその可能性が大きいな…。
活動の拠点を作らせておいて…ふたりのもとへ集まってきた能力者を勝手に利用しているわけか…と西沢は考えた。
直行が早まった行動をしていたらとんでもないことになっていたな…僕のところで止めておいて正解だった。
「紅村先生…お気をつけ下さい…。 どうやらあなたの顔を利用しているものが居るようです。
啓蒙された若手をあなたの知らないところで勝手に動かしています。
これまでの経緯から推察すれば…彼等は人間の存続よりも滅亡の方向に意思を傾け始めているのかも知れません。 」
旭は愕然とした。地球のために良かれと思って始めた自然環境保護の啓蒙活動をそんなことに利用されているとは…。
「信じ難いことですが…言われてみれば思い当たるようなことも…。
このところ出かけても居ない所で私を見かけたなどと言われることがあるのです。
見間違いだろうと気にもしていませんでしたが…。 」
何だか背筋の寒くなるような話だ…。
旭の知らない内に旭の顔だけがひとり歩きして人類の滅亡に加担している…そんなこと望んでも居ないのに…。
西沢の言うことを単純に鵜呑みにはできないけれど…一度きちんと仲間たちの動きを調べておく必要がある…と旭は思った。
特に…宮原夕紀という少女のことは…。
お疲れさま…の言葉とともにシャッターが閉まって本日の勤務も終わり…。
冷房の効いた店内とは異なって外の空気は重く暑苦しい。
駅前のコンビニで冷たいジュースやパンなどを買って亮とノエルは家に向かった。
西沢が出かけているので今日はマンションには寄らない。
店長に借りた極めてお宅っぽい恐怖もんのRPGを攻略する予定。
ふたりは冗談口を叩きながら楽しげに歩いていた。
ふいに…木之内くん…と後ろから男の声がした。
振り返ると亮の知らない中年のわりと体つきのがっしりした男が立っていた。
「親父…。 」
男を見てノエルが驚いたように言った。ノエルの父親…高木智哉だった。
こいつがノエルを悩ませる父親か…と思いながらも亮は一応丁寧に智哉に向かって頭を下げた。
「ノエルがいつも泊めて貰っているそうだね。 世話をかけて申し訳ない。 」
智哉も小さく頭を下げた。
何の用だよ…とノエルは思った。
「いいえ…僕はひとり暮らしなので…ノエルが来てくれると楽しいです。
たまに帰ってくる父もノエルのことは歓迎してます…。 」
亮のその言葉を聞いて智哉は…そうか…というように頷いた。
「きみに訊いておきたいことがあってな…。 」
口調は穏やかだが友好的でないことは確かだった。
「きみがどちらのノエルと付き合っているのか…ということをだ。 」
えっ…どちらって…? 亮は一瞬問われたことの意味が分からなかった。
が…すぐに気付いて憤慨した。
「どちらもこちらもノエルはひとりです。
何もかもひっくるめてありのままのノエルと付き合っています。
いけませんか? 」
亮はそう訊き返した。
智哉は瞬時ひるんだ。
「いかんことは…ないが…高木家としてはノエルはあくまで男…。
きみが異性としての感情を以って付き合っているとすれば…放っておくわけにもいかんからな…。 」
ほっといてくれ…とノエルは胸のうちで叫んだ。
「僕は高木家の人間ではないので…ごく自然な関係を続けるだけです。
そんなふうに男だ女だと拘ってしまったら…恋人はおろか友達を作ることもできずにノエルは本当にひとりぼっちになってしまう。
そんな孤独な人生を送らせたいですか…?
僕なら願い下げだ…。 」
ノエルの父親を前にしたら積もる不満でもっと感情的になるだろうと思っていたが、自分でも不思議に思うくらい亮は淡々と話していた。
反感を持っているかもしれない年上の男に対して決して眼を逸らさない亮の不敵な態度は下手をすれば生意気とも取られる虞があった。
が…智哉はふたりの前でそれに腹を立てているような気配は少しも見せなかった。
じっと亮の顔を見つめていたが納得したかのように無言で何度も頷いた。
何を納得したのかは謎だが…。
「きみの考えはよく分かった。ノエルはまだ当分きみの世話になるんだろう…。
厄介をかけて申し訳ないが…よろしく頼む…お父さんにもそうお伝えしてくれ。
引き止めて失礼した…。 」
亮にそう詫びの言葉をかけるとゆっくりと智也は踵を返した。
「ノエル…無遠慮な振る舞いをするんじゃないぞ! 面倒かけずにな! 」
ノエルの顔を敢えて見ることもなく厳しい口調でそれだけ言い渡すとそのまま振り返らずに帰って行った。
「行こうぜ…。 」
じっとその背中を睨みつけているノエルに亮は笑顔で声をかけた。
うん…と答えながらノエルもつられて笑顔を見せた…。
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