トーク番組の収録の後、相庭と簡単な食事をして次の仕事の予定を聞きいた。
相庭がまた西沢の気に入らない仕事を幾つか引き受けていることに、それとなく皮肉を言っておいて西沢はその場を後にした。
相庭は決してひどい仕事を持ってくるわけではないし、引き受けておけばそれなりの見返りがある。
掛け出しなら喉から手が出そうなくらい美味しい話だってたくさんあるのだ。
ひと言ふた言文句は言っても西沢が引き受けるのはそれなりのメリットがあるからで、相庭はそれをよく心得ている。
何しろ西沢が赤ん坊モデルの時からの付き合いだから、相庭の中には西沢についての百科事典並みの情報が詰まっていると言っても過言ではない。
しかも相庭は自分に何かことがあった時に西沢が困らないように…と言うよりは西沢家に迷惑がかからないように…自分のスペアを用意している。
相庭の子どもの中でも相庭二世と噂に高い次男玲人(れいじ)は相庭以上に相庭らしく西沢にとって手強い相手だった。
マンションの地下駐車場に車を止めた後、一旦マンションの外に出て部屋に灯りが点いていないのを確かめた。
亮やノエルが来ていないのを確認すると駅前に向かって歩き始めた。
誰も来ていないなら駅前のパブでちょっと一杯引っ掛けてこようかな…などと会社帰りの小父さんっぽいことを考えていた。
が…突然…背後に争いの気配を感じた。
西沢は来た道を引き返し亮の家のある方へ向かった。
マンションを越した次の交差点の小さな公園の近くで、中年の男が数人の若者に取り囲まれていた。
オヤジ狩りか…と一瞬思ったが能力者の集団であることがすぐに分かった。
中年の男は能力者としてはそれほど強い力を持っているわけではないが、腕っ節は強いと見えて襲い掛かってくる連中を次々と薙ぎ倒していた。
これは…なかなか…小父さま…かなりできますね…。
しかし…若者たちの中にちょっとした能力の使い手が居て男は動きを封じられてしまい、あっけなく地面に転がされた。
おやおや…このまま放ってはおけないね…。
西沢はそれらの若者を逃がさないようにそっと彼等に近付いた。
極力近くまで行ったところで彼等を一斉に捕らえた。
動けなくなって驚き慌てている若者たちを可笑しそうに見つめながら彼等にかけられた暗示を素早く解いていった。
若者たちは夢から覚めたようにあたりを見回すと、時計を覗いてやべぇこんな時間だと言わんばかりに急ぎ慌てて帰って行った。
「大丈夫ですか…? お怪我は…? 」
西沢は男に声をかけた。
男はうんうんと頷いていたが、転んだ拍子に足を怪我したようで破れた背広のズボンが痛々しかった。
「有難う…どうやら助けて貰ったようだ…。 」
そう言ってよっこらせ…っと立ち上がったものの、男の片足は相当痛むようで歩きにくそうだった。
「この先のマンションが僕の家なんです。 お立ち寄りください。
痛みくらいはとって差し上げられるかもしれない…。 」
西沢はそう言うと男の肩を支えた。
男は申し訳ない…と礼を言いながらも西沢の好意に甘えることにした。
居間の絨毯の上に座って男が敗れたズボンの裾をたくしあげてみると、強く打ち付けたためにかなり内出血している上にひどく擦り剥けた皮膚が現れた。
骨は折れてはいないようだったがパンパンに腫れていた。
「僕の友だちが来ているとこのくらいの怪我はあっという間に治してくれるんですが…僕の力ではせいぜい痛みを取るくらいがやっとです。 」
申し訳なさそうに言うと西沢は応急の治療を始めた。
しばらくすると皮膚の剥けたところが乾燥してきて瘡蓋状態になった。
「少しこのまま休んでいてください。 多少なりと腫れがひいてきますから。」
そう言って立ち上がり、西沢は奥へ引っ込んだ。
瘡蓋になって表面のひりひり感が薄れたので男は少し楽になった。
自分の周りを見回す余裕が出てきた。
男ひとりの所帯にしては随分と片付いた部屋だった。
洒落たサイドボードの中には高級そうなガラス器や洋酒が収納されてあり、上には小さな絵や写真が飾られてあった。
それと対になった本棚の方には主の趣味を思わせる…見るだけで頭の痛くなるような専門書が所狭しと並んでいた。
その前にその場にそぐわない本が二冊ほど無造作に置かれてあることに男は気付いた。
背表紙に大きな文字で『Noel』と書かれてあり、本の価値を台無しにしているように見えた。
名前を書いちゃいかんとは言わんが…書く場所を考えろ…。
男はけしからんとでもいうように溜息をついた。
「如何ですか…? 」
西沢に声をかけられて男は振り返った。
茶器をお盆にのせて運んできた西沢が具合を窺うように男を見ていた。
訊かれて初めて気付いたが先程よりは腫れも引いてきており、痛みもかなり和らいでいた。
随分楽になりました…と男は答えた。
それはよかった…と微笑みながら西沢はお茶を勧めた。
「西沢…紫苑さんですな…? ノエルがいつもお世話になっております。
ノエルの父で高木智哉と申します。
私までが面倒をおかけして誠に申し訳ないことです…。 」
座りなおして挨拶しようとするのを…どうかそのままで…と止めながら西沢は…そう言って頂くほどのことは致しておりません…と軽く頭を下げた。
「ノエルの仕事を…ご覧になりませんか? 」
西沢はまた立ち上がって仕事部屋に入り、何冊かのスケッチブックを持って戻ってきた。
躊躇う智哉に開いて見るように促した。
智哉は少し間をおいてスケッチブックの表紙を開いた。
そこには西沢の描いた様々な姿態のノエルの姿があった。
ちょっと振り返った時の仕草…笑い転げる様子…眠る姿…ふと見上げる顔…。
何年か前まで智哉がその眼で見つめてきたノエルがそこに居た。
智哉は思わず眼を細めた。
勿論…あのチョコレートの絵もあった。
父親としては赤面してしまうような…亮との絡みのポーズも…。
幾つかの裸体のデッサンも…。
「ノエルの仕事は…ここでは僕の描く人物の身体の動きや表情を実際に表現してもらうことです。
イラストの中の人物の顔自体は僕が創り出したものですが、ノエルのおかげで表情も動作もリアルに描くことができてとても助かっています。
滝川のところでは広告やパッケージに使う写真などを撮っているようです。
幾つか滝川に見せて貰った限りでは僕の眼から見てかなりいいできだと思いますけど…。 」
西沢はそんなふうにノエルの働きを評価した。
智哉は黙ってデッサンを見つめていた。
女性役のノエルの姿に戸惑いは覗えるが、いかにも温かい眼差しを向けて…。
「今は僕と滝川だけの個人的なバイトをお願いしているのですが…作品が公開されている以上は他からも声がかからないとは言えません。
そうなると…本職が相手ではとてもじゃないがうまく立ち回る事なんてできないでしょうから…近く代理人をつけることも考えています。 」
西沢が今後のことを話すと…いいえ…というように智哉は首を横に振った。
「こういう仕事は…できればあなたと滝川さんの依頼だけにお願いしたい。
バイトならまだしもそれで食っていけるような世界じゃない…。
範囲を広げることには反対です…バイトを辞めろとは言わないが…。 」
西沢は…その点はご安心を…と笑みを浮かべた。
「それで食べていくほどの力は…残念ながらふたりにはありません。
僕が心配しているのは…彼等の若さにつけこんで騙しにかかる連中が出てくる可能性があるということです。
なに…ご心配には及びません。 時が来ればノエルも自分に適した世界を見つけることでしょう。
それまで護ってくれる者をつけておいてやろうという…僕の親心ですよ。
そういう点では彼等は恵まれている…。 」
言いにくいことを随分はっきり言う人だと…智哉は思った。
「有り難いことです…。 ですが…なぜそこまでノエルのことを想って下さるのでしょう?」
智哉は疑わしげに西沢の目を覗き込んだ。
西沢はさらに穏やかに微笑んだ。
「ノエルが自暴自棄になることのないようにと願ってのことです。
かつての僕がそうであったように…彼は自分の存在意義に疑いを抱いています。
存在する価値がないと思い込み自分を大切にできないでいるのです。
僕の場合は亡くなった母から要らない子…と言われたことからでしたが…ノエルの場合はもっと酷い…。
身体のことで一番ショックを受けているのはノエル自身なのに…ケアされることもなく突き放されたままで…相談する相手もなかった。
単純に男と思われていた時のノエルは大切な跡取り息子としてあなたに惜しみない愛情を注がれていた。
ところが両性具有が分かるとあなたはノエルに対して、まるでそれがノエルの責任でもあるかのような態度に出るようになった。
ノエル自身は以前と変わらず元気な男の子なのに…それだけで十分なはずなのにあなたはさらに男らしくなることを強要した。
手術まで持ち出して…。
心の逃げ場のないノエルはそういう身体の自分は父親にとって価値の無い存在…そう思い込んでしまった。
木之内亮という逃げ場ができて…仕事で僕や滝川の役にも立って…書店でも重宝されて…ノエルは随分楽しそうな顔を見せるようになりました。
自分の存在価値が少しずつ見えてきて自信もついてきた。
ありのままで良いんだ…と少しずつ思えるようになってきたんです。 」
西沢は特に激することもなく淡々と語った。
青二才が私を責めようというのか…静かに西沢の話を聞きながらも智哉は内心腹立たしく思った。
他所の家庭のことに首を突っ込むとは…こちらの事情も知らぬくせに利いたふうな口を抜かすな…。
声には出さないそんな怒りの言葉が西沢には読み取れた。
「あなたの心配は分かります…。 ノエルを見ていると時には女かと思うような仕草や振る舞いをすることがある…。
ですが…それは傍から見ての事で…本人は変わらず自分は男だと認識している。
あの身体だから男と寝ることも可能でしょうが…そうしたとしても自分が女だという意識はまったくないと思います。
ありのままに思うままに行動しているだけで…。
ありのままを受け入れられないのは親であるあなた…ですよ。
あなたにもそれなりの言い訳はあるのでしょうが、あなたが一番ノエルを愛している人なのだから…少しだけ見方を変えてあげてください…。
あなたが受け入れてあげないと…ノエルは自分自身を受け入れることができない。
母が亡くなった為に…生きていてもいいのだろうか…という疑問の答えを僕は聞くことができなかった。
このまま生涯…僕の中にそれは残るでしょう…。
最も…自分では生きてて当然…と勝手に答えを出していますが…それはあの人の出した答えじゃない…。
どうかあなたは…ありのままのノエルを愛していると言ってあげてください…。
あなたがこの世にあるうちに…。 」
よくしゃべる男だ…と呆れながらも智哉にも西沢の誠意だけは伝わってきた。
西沢の言うことも分からなくはない…。
しかし…未来を託すべき最愛の息子が半分女だったと知らされた時に動揺しない父親がいるだろうか…。
最初から分かっていれば何とか諦めもつくが…十六年も完全な男として育ててきたものを…そうだったんですかで片付けられるわけがない。
智哉とすれば自分の妻の態度すらも解せなかった。
それならそれで仕方がない…要はこれからをどうするかよ…などと妙に割り切ったようにノエルに話していた。
女というのは変なところで度胸が据わるからなぁ…。
智哉は割り切れない思いをひとりで抱えるしかなかったのだ…。
「あなたがノエルのことを親身に考えてくださっているのはよく分かりました。
有り難いことだと思います…思いますが…私の胸のうちは複雑です…。 」
大きな溜息を吐きながらそう智哉は西沢に言った。
西沢は決して智哉の思いを否定しなかった。
「そうでしょうね…。 僕としてもあなたを責めているわけではありません…。
どうか以前のお父さんに戻ってください…とお願いしているだけで…。 」
以前のお父さんに…以前の自分はノエルにどう接していたのだろう…。
あれから三年余り…いや…四年近いか…。
ずっとノエルとはまともな口を利いていない…口を開けば小言か喧嘩だ…。
喧嘩にもならない時が多かった…。
智哉はぼんやりとそんなことを考えながら…お節介な西沢の包み込むような笑顔を眩しげに見ていた。
次回へ
相庭がまた西沢の気に入らない仕事を幾つか引き受けていることに、それとなく皮肉を言っておいて西沢はその場を後にした。
相庭は決してひどい仕事を持ってくるわけではないし、引き受けておけばそれなりの見返りがある。
掛け出しなら喉から手が出そうなくらい美味しい話だってたくさんあるのだ。
ひと言ふた言文句は言っても西沢が引き受けるのはそれなりのメリットがあるからで、相庭はそれをよく心得ている。
何しろ西沢が赤ん坊モデルの時からの付き合いだから、相庭の中には西沢についての百科事典並みの情報が詰まっていると言っても過言ではない。
しかも相庭は自分に何かことがあった時に西沢が困らないように…と言うよりは西沢家に迷惑がかからないように…自分のスペアを用意している。
相庭の子どもの中でも相庭二世と噂に高い次男玲人(れいじ)は相庭以上に相庭らしく西沢にとって手強い相手だった。
マンションの地下駐車場に車を止めた後、一旦マンションの外に出て部屋に灯りが点いていないのを確かめた。
亮やノエルが来ていないのを確認すると駅前に向かって歩き始めた。
誰も来ていないなら駅前のパブでちょっと一杯引っ掛けてこようかな…などと会社帰りの小父さんっぽいことを考えていた。
が…突然…背後に争いの気配を感じた。
西沢は来た道を引き返し亮の家のある方へ向かった。
マンションを越した次の交差点の小さな公園の近くで、中年の男が数人の若者に取り囲まれていた。
オヤジ狩りか…と一瞬思ったが能力者の集団であることがすぐに分かった。
中年の男は能力者としてはそれほど強い力を持っているわけではないが、腕っ節は強いと見えて襲い掛かってくる連中を次々と薙ぎ倒していた。
これは…なかなか…小父さま…かなりできますね…。
しかし…若者たちの中にちょっとした能力の使い手が居て男は動きを封じられてしまい、あっけなく地面に転がされた。
おやおや…このまま放ってはおけないね…。
西沢はそれらの若者を逃がさないようにそっと彼等に近付いた。
極力近くまで行ったところで彼等を一斉に捕らえた。
動けなくなって驚き慌てている若者たちを可笑しそうに見つめながら彼等にかけられた暗示を素早く解いていった。
若者たちは夢から覚めたようにあたりを見回すと、時計を覗いてやべぇこんな時間だと言わんばかりに急ぎ慌てて帰って行った。
「大丈夫ですか…? お怪我は…? 」
西沢は男に声をかけた。
男はうんうんと頷いていたが、転んだ拍子に足を怪我したようで破れた背広のズボンが痛々しかった。
「有難う…どうやら助けて貰ったようだ…。 」
そう言ってよっこらせ…っと立ち上がったものの、男の片足は相当痛むようで歩きにくそうだった。
「この先のマンションが僕の家なんです。 お立ち寄りください。
痛みくらいはとって差し上げられるかもしれない…。 」
西沢はそう言うと男の肩を支えた。
男は申し訳ない…と礼を言いながらも西沢の好意に甘えることにした。
居間の絨毯の上に座って男が敗れたズボンの裾をたくしあげてみると、強く打ち付けたためにかなり内出血している上にひどく擦り剥けた皮膚が現れた。
骨は折れてはいないようだったがパンパンに腫れていた。
「僕の友だちが来ているとこのくらいの怪我はあっという間に治してくれるんですが…僕の力ではせいぜい痛みを取るくらいがやっとです。 」
申し訳なさそうに言うと西沢は応急の治療を始めた。
しばらくすると皮膚の剥けたところが乾燥してきて瘡蓋状態になった。
「少しこのまま休んでいてください。 多少なりと腫れがひいてきますから。」
そう言って立ち上がり、西沢は奥へ引っ込んだ。
瘡蓋になって表面のひりひり感が薄れたので男は少し楽になった。
自分の周りを見回す余裕が出てきた。
男ひとりの所帯にしては随分と片付いた部屋だった。
洒落たサイドボードの中には高級そうなガラス器や洋酒が収納されてあり、上には小さな絵や写真が飾られてあった。
それと対になった本棚の方には主の趣味を思わせる…見るだけで頭の痛くなるような専門書が所狭しと並んでいた。
その前にその場にそぐわない本が二冊ほど無造作に置かれてあることに男は気付いた。
背表紙に大きな文字で『Noel』と書かれてあり、本の価値を台無しにしているように見えた。
名前を書いちゃいかんとは言わんが…書く場所を考えろ…。
男はけしからんとでもいうように溜息をついた。
「如何ですか…? 」
西沢に声をかけられて男は振り返った。
茶器をお盆にのせて運んできた西沢が具合を窺うように男を見ていた。
訊かれて初めて気付いたが先程よりは腫れも引いてきており、痛みもかなり和らいでいた。
随分楽になりました…と男は答えた。
それはよかった…と微笑みながら西沢はお茶を勧めた。
「西沢…紫苑さんですな…? ノエルがいつもお世話になっております。
ノエルの父で高木智哉と申します。
私までが面倒をおかけして誠に申し訳ないことです…。 」
座りなおして挨拶しようとするのを…どうかそのままで…と止めながら西沢は…そう言って頂くほどのことは致しておりません…と軽く頭を下げた。
「ノエルの仕事を…ご覧になりませんか? 」
西沢はまた立ち上がって仕事部屋に入り、何冊かのスケッチブックを持って戻ってきた。
躊躇う智哉に開いて見るように促した。
智哉は少し間をおいてスケッチブックの表紙を開いた。
そこには西沢の描いた様々な姿態のノエルの姿があった。
ちょっと振り返った時の仕草…笑い転げる様子…眠る姿…ふと見上げる顔…。
何年か前まで智哉がその眼で見つめてきたノエルがそこに居た。
智哉は思わず眼を細めた。
勿論…あのチョコレートの絵もあった。
父親としては赤面してしまうような…亮との絡みのポーズも…。
幾つかの裸体のデッサンも…。
「ノエルの仕事は…ここでは僕の描く人物の身体の動きや表情を実際に表現してもらうことです。
イラストの中の人物の顔自体は僕が創り出したものですが、ノエルのおかげで表情も動作もリアルに描くことができてとても助かっています。
滝川のところでは広告やパッケージに使う写真などを撮っているようです。
幾つか滝川に見せて貰った限りでは僕の眼から見てかなりいいできだと思いますけど…。 」
西沢はそんなふうにノエルの働きを評価した。
智哉は黙ってデッサンを見つめていた。
女性役のノエルの姿に戸惑いは覗えるが、いかにも温かい眼差しを向けて…。
「今は僕と滝川だけの個人的なバイトをお願いしているのですが…作品が公開されている以上は他からも声がかからないとは言えません。
そうなると…本職が相手ではとてもじゃないがうまく立ち回る事なんてできないでしょうから…近く代理人をつけることも考えています。 」
西沢が今後のことを話すと…いいえ…というように智哉は首を横に振った。
「こういう仕事は…できればあなたと滝川さんの依頼だけにお願いしたい。
バイトならまだしもそれで食っていけるような世界じゃない…。
範囲を広げることには反対です…バイトを辞めろとは言わないが…。 」
西沢は…その点はご安心を…と笑みを浮かべた。
「それで食べていくほどの力は…残念ながらふたりにはありません。
僕が心配しているのは…彼等の若さにつけこんで騙しにかかる連中が出てくる可能性があるということです。
なに…ご心配には及びません。 時が来ればノエルも自分に適した世界を見つけることでしょう。
それまで護ってくれる者をつけておいてやろうという…僕の親心ですよ。
そういう点では彼等は恵まれている…。 」
言いにくいことを随分はっきり言う人だと…智哉は思った。
「有り難いことです…。 ですが…なぜそこまでノエルのことを想って下さるのでしょう?」
智哉は疑わしげに西沢の目を覗き込んだ。
西沢はさらに穏やかに微笑んだ。
「ノエルが自暴自棄になることのないようにと願ってのことです。
かつての僕がそうであったように…彼は自分の存在意義に疑いを抱いています。
存在する価値がないと思い込み自分を大切にできないでいるのです。
僕の場合は亡くなった母から要らない子…と言われたことからでしたが…ノエルの場合はもっと酷い…。
身体のことで一番ショックを受けているのはノエル自身なのに…ケアされることもなく突き放されたままで…相談する相手もなかった。
単純に男と思われていた時のノエルは大切な跡取り息子としてあなたに惜しみない愛情を注がれていた。
ところが両性具有が分かるとあなたはノエルに対して、まるでそれがノエルの責任でもあるかのような態度に出るようになった。
ノエル自身は以前と変わらず元気な男の子なのに…それだけで十分なはずなのにあなたはさらに男らしくなることを強要した。
手術まで持ち出して…。
心の逃げ場のないノエルはそういう身体の自分は父親にとって価値の無い存在…そう思い込んでしまった。
木之内亮という逃げ場ができて…仕事で僕や滝川の役にも立って…書店でも重宝されて…ノエルは随分楽しそうな顔を見せるようになりました。
自分の存在価値が少しずつ見えてきて自信もついてきた。
ありのままで良いんだ…と少しずつ思えるようになってきたんです。 」
西沢は特に激することもなく淡々と語った。
青二才が私を責めようというのか…静かに西沢の話を聞きながらも智哉は内心腹立たしく思った。
他所の家庭のことに首を突っ込むとは…こちらの事情も知らぬくせに利いたふうな口を抜かすな…。
声には出さないそんな怒りの言葉が西沢には読み取れた。
「あなたの心配は分かります…。 ノエルを見ていると時には女かと思うような仕草や振る舞いをすることがある…。
ですが…それは傍から見ての事で…本人は変わらず自分は男だと認識している。
あの身体だから男と寝ることも可能でしょうが…そうしたとしても自分が女だという意識はまったくないと思います。
ありのままに思うままに行動しているだけで…。
ありのままを受け入れられないのは親であるあなた…ですよ。
あなたにもそれなりの言い訳はあるのでしょうが、あなたが一番ノエルを愛している人なのだから…少しだけ見方を変えてあげてください…。
あなたが受け入れてあげないと…ノエルは自分自身を受け入れることができない。
母が亡くなった為に…生きていてもいいのだろうか…という疑問の答えを僕は聞くことができなかった。
このまま生涯…僕の中にそれは残るでしょう…。
最も…自分では生きてて当然…と勝手に答えを出していますが…それはあの人の出した答えじゃない…。
どうかあなたは…ありのままのノエルを愛していると言ってあげてください…。
あなたがこの世にあるうちに…。 」
よくしゃべる男だ…と呆れながらも智哉にも西沢の誠意だけは伝わってきた。
西沢の言うことも分からなくはない…。
しかし…未来を託すべき最愛の息子が半分女だったと知らされた時に動揺しない父親がいるだろうか…。
最初から分かっていれば何とか諦めもつくが…十六年も完全な男として育ててきたものを…そうだったんですかで片付けられるわけがない。
智哉とすれば自分の妻の態度すらも解せなかった。
それならそれで仕方がない…要はこれからをどうするかよ…などと妙に割り切ったようにノエルに話していた。
女というのは変なところで度胸が据わるからなぁ…。
智哉は割り切れない思いをひとりで抱えるしかなかったのだ…。
「あなたがノエルのことを親身に考えてくださっているのはよく分かりました。
有り難いことだと思います…思いますが…私の胸のうちは複雑です…。 」
大きな溜息を吐きながらそう智哉は西沢に言った。
西沢は決して智哉の思いを否定しなかった。
「そうでしょうね…。 僕としてもあなたを責めているわけではありません…。
どうか以前のお父さんに戻ってください…とお願いしているだけで…。 」
以前のお父さんに…以前の自分はノエルにどう接していたのだろう…。
あれから三年余り…いや…四年近いか…。
ずっとノエルとはまともな口を利いていない…口を開けば小言か喧嘩だ…。
喧嘩にもならない時が多かった…。
智哉はぼんやりとそんなことを考えながら…お節介な西沢の包み込むような笑顔を眩しげに見ていた。
次回へ