西沢が仕事を休止したことは誰も知らなかった。
滝川でさえも…。
滝川が知る限りでは西沢はいつもと変わりない様子で仕事部屋に居たから、まさか書いているのがイラストやエッセイではなく…皆に宛てた手紙や遺書だとは考えてもいなかった。
潮時だ…と西沢が感じたのはこの夏…国内だけでなく海外でも大洪水と大渇水の頻発によって世界各国に大被害が出たと報じられた時…。
冬は異常寒波で各地被害甚大だった上に追い討ちをかけられたようなものだ。
気たちの地球補修が間に合っていない証拠で、一向にはかどらない作業に苛立つ声が聞こえてくるようだった。
誰も気付いていない気たちの焦れる声…。
だが…普通の人間がその声に気付く時には…手遅れ…滅びはその刹那に訪れる…。
ある程度それを早めに察知できる特殊能力者が団結して頑張るしかないが…利害が直結しない目的での能力者の団結は難しい。
なぜ自分たちだけが動かねばならないのか…などと考える者が必ず出てくる。
先ず自分たちが率先して…などと殊勝なことを考える者の方が少ないと見ていい。
そう…西沢のように我を捨てて尽力する者は馬鹿だと思われるだろう…。
放っておけばいいのに…と笑われるのがおちだ。
放っておけば…そのうち人類みんな仲良く一斉にあの世行き…まあ…それもひとつの選択だが…。
西沢だって別に人類を救うなどという御大層な目的を掲げているわけではない。
西沢がそうするのは…あくまで自分の大切な人たちの延命のため…自分の関わる家門の者たちのため…個人的な理由からだ。
死ぬとは決まっていない…必ずしも…しかし…相手は人間ではない。
戦いにならずとも何が起こるか予想もできない。
少なくとも彼らの一部は人間に対して悪意を抱いている。
その悪意がどう形に表れるか…。
勿論…西沢ひとりがどう足掻いたところでどうなるものでもなかろうが…黙って滅ぼされるのだけはご免だ。
弟…亮を護ると決意して奇妙な事件に足を突っ込んだ時から…西沢にはすでに覚悟はできていた。
親に顧みられない亮がひとりで生きて行けるようにと、亮に遺すべきものを蓄えてもいたが、ようやく父親である有が亮に近付き始めたのを見て少し安心した。
英武のことも実母のことも一応の解決を見たし、和が亡くなって以来ずっと心のしこりになっていた滝川への蟠りも解いた。
輝との間には子供もいないし…何かの時は克彦が力になってくれる。
後はノエルが自分の意思でしっかり生きて行ってくれることを願うだけだ。
そのことは…滝川や有や亮に託していこう…。
もうひとりの自分を見るという信じ難い現象を体験した旭と桂は、時々、助言者である西沢と連絡を取りながら生徒や仲間の救出に手を尽くしていた。
自分たちの主催する集会や勉強会に西沢を潜ませ、出席者を扇動しようとする者たちを捕らえては洗脳から解放していった。
特に注意すべきはあの宮原夕紀という少女…彼女はどうやら背後にいる悪意ある気たちにとって動かしやすい存在らしい。
何しろ任務遂行のためには自分の婚約者を他の能力者に襲撃させることさえなんとも思わないような鉄の心の持ち主だ。
無論がっちり洗脳されているからなのだろうが…。
「あれ以来…お稽古にも現れてはおりません。
あのお嬢さんも私の姿を真似た何者かに操られているのでしょうから心配なのですが…。 」
紅村旭は生徒のひとりである夕紀のことを案じていた。
もとはと言えば旭のところへお稽古に来ていて捕えられ洗脳されたのだから…。
この夏に妙な現象に出会って青い顔して訪ねて来たふたりに、西沢は今この地球に起きていることを話して聞かせた。
自分たちが相手にしているのが自分たちの産みの親であるエナジーであること…そのエナジーには人のように意思があること…直面している滅びの危機…そうした内容のことを隠さずに話した。
陽の気と陰の気から啓示を受けたというふたりにはかなりの予備知識があったから、西沢の理解することはそんなに難しいことではなかった。
それ以来…何かと協力し合っている。
旭も桂も能力者としては単独と言ってもよく古い家門の出身ではないことから、御使者の件について西沢からは話すことはなかったが、それでも能力者仲間からの情報で御使者と呼ばれる能力者が動いていることくらいは知っていた。
おそらくは西沢のことであろうとふたりとも薄々察している様子だった。
「紅村先生…桂…お願いしたいことがあります。
戦って敵う相手ではありません…僕に何かあってもどうか僕のことは捨てておいてください。
僕を助けようとして無駄に力を使わないで下さい。
僕のことよりも…でき得る限り早急に生き長らえる術を考えてください。
ご家族やお仲間の命を護るためには…どうすればよいのかを…。
何より…絶対に生き抜いてください。 簡単に滅ぼされてはなりません。
それが僕からのお願いです。 」
三人が顔を合わせた折に…突然…西沢がふたりを前にそんなことを言い出した。
まるで遺言のようだ…と旭も桂も不吉なものを感じた。
しかし、西沢はいつものように穏やかに微笑んで何ということもないような顔を見せていた。
あまりに平然としているので、その時はふたりとも御使者のお役目とはそういうものなのか…とも思ったりしたのだが…。
今から店に向かいます…と谷川店長宛に亮とノエルから電話が入ったのは昼過ぎのことだった。
午後の講義がひょっとしたら休講かもしれないので、そうなったら電話をくれるという約束がしてあったからだった。
時計を見るとすでに5時を過ぎている…。
店の方には取り敢えず休暇中の弟に応援を頼んだが、谷川はひどく不安な気持ちになっていた。
事故にでもあったのではないか…。
何もなければ…ふたりが同時に消えてしまうなど有り得ない。
これまでふたりが無断で仕事をサボったことなんて一度もなかった…。
それに…と思った時、足を引き摺った男の子が店の中へ転げ込んできた。
男の子はあちらこちら怪我をしているようだった。
「店長さん! 亮が…ノエルが…! 」
谷川は慌てて傍に駆け寄った。谷川の弟も急いで寄って来た。
「きみどうしたの? 何があったの? きみは誰? 」
男の子の両肩に手を掛けながら谷川は訊ねた。
「僕…島田直行…ふたりの友だちで…す。
連れて行かれたんです…ふたりとも…僕を助けてくれて…代わりに…。
西沢さんに電話した…けど…通じなくて…。 」
谷川はすぐに受話器を取った。電話はすぐに通じた…が出たのは帰宅したばかりの滝川だった。
滝川は西沢に携帯で連絡を取りながら書店へと素っ飛んで来た。
「直行! どうしたんだ? 何があった? 」
書店に着くや否やバックルームで待っていた直行に飛び掛らんばかりの勢いで滝川は訊ねた。
「ああ…滝川先生…ノエルと亮が…攫われた…。 」
直行は顔見知りの滝川を見てほっとしたのか少し涙ぐんだ。
駅のところで…夕紀に呼び止められて…話があるからって…。
夕紀が普通じゃないってことは分かってたんだけど…でも…でも…やっぱりほっとけなくて…ついて行ったんだ…。
夕紀の後についていく直行を目撃した亮とノエルは秘かに跡をつけた。
案の定…直行を捕まえるために何人かの大人の能力者が現れた。
直行ってやつはつくづく狙われやすい男だ…と亮は思った。
ところが…狙われていたのはノエルと亮の方だった。
直行を囮にしてノエルと亮を誘き出す…夕紀は恋人をそんなことにまで利用した。
直行が痛めつけられているのを見れば亮やノエルが止めに入らないわけがない。
そう考えたのだ。
大人の能力者の中には旭の顔をしたエナジーが混ざっている。
エナジーが相手では如何に喧嘩の強いノエルでも敵うわけもない。
あっという間に捕まってしまった。
捕らえられたノエルを亮は必死に取り返そうとした。
しかし…ノエルでさえ歯が立たないものを亮に勝てるわけがなくあっけなくふたりとも倒されて連れて行かれた。
後に残された囮の直行はその場でしばらく伸びていた。
気が付いてすぐに西沢に連絡しようとしたが通じず…挫いた足を引き摺って駅に向かい、何とか書店まで辿りついた。
滝川は一部始終を携帯で西沢に伝えた。
西沢が亮とノエルを捜しに行くと言うので滝川もすぐに跡を追うと伝えて携帯を切った。
「谷川さん…悪いが至急西沢本家や滝川本家に連絡を取ってください。
できれば…有さんにも…。
至急…警戒態勢に入るようにと…そうすれば滝川本家がすべての家門に連絡を取ります…。
直行を西沢本家に連れてって頂けると有り難いが…。
直行…おまえは島田の克彦さんと宮原の長老に連絡を取れ…。 」
分かりました…と谷川店長は頷いた。直行は不思議そうに店長を見た。
店長はちょっと微笑んだ。
僕も西沢や木之内と同じ一族だよ…と直行を安心させるように言った。
滝川は急ぎ書店を飛び出した。
亮やノエルのことも心配だったが…自虐傾向のある紫苑のことが案じられた。
紫苑…無茶するなよ…。
そう胸のうちで呼びかけながら直行から聞いたふたりの誘拐現場へと向かった。
次回へ
滝川でさえも…。
滝川が知る限りでは西沢はいつもと変わりない様子で仕事部屋に居たから、まさか書いているのがイラストやエッセイではなく…皆に宛てた手紙や遺書だとは考えてもいなかった。
潮時だ…と西沢が感じたのはこの夏…国内だけでなく海外でも大洪水と大渇水の頻発によって世界各国に大被害が出たと報じられた時…。
冬は異常寒波で各地被害甚大だった上に追い討ちをかけられたようなものだ。
気たちの地球補修が間に合っていない証拠で、一向にはかどらない作業に苛立つ声が聞こえてくるようだった。
誰も気付いていない気たちの焦れる声…。
だが…普通の人間がその声に気付く時には…手遅れ…滅びはその刹那に訪れる…。
ある程度それを早めに察知できる特殊能力者が団結して頑張るしかないが…利害が直結しない目的での能力者の団結は難しい。
なぜ自分たちだけが動かねばならないのか…などと考える者が必ず出てくる。
先ず自分たちが率先して…などと殊勝なことを考える者の方が少ないと見ていい。
そう…西沢のように我を捨てて尽力する者は馬鹿だと思われるだろう…。
放っておけばいいのに…と笑われるのがおちだ。
放っておけば…そのうち人類みんな仲良く一斉にあの世行き…まあ…それもひとつの選択だが…。
西沢だって別に人類を救うなどという御大層な目的を掲げているわけではない。
西沢がそうするのは…あくまで自分の大切な人たちの延命のため…自分の関わる家門の者たちのため…個人的な理由からだ。
死ぬとは決まっていない…必ずしも…しかし…相手は人間ではない。
戦いにならずとも何が起こるか予想もできない。
少なくとも彼らの一部は人間に対して悪意を抱いている。
その悪意がどう形に表れるか…。
勿論…西沢ひとりがどう足掻いたところでどうなるものでもなかろうが…黙って滅ぼされるのだけはご免だ。
弟…亮を護ると決意して奇妙な事件に足を突っ込んだ時から…西沢にはすでに覚悟はできていた。
親に顧みられない亮がひとりで生きて行けるようにと、亮に遺すべきものを蓄えてもいたが、ようやく父親である有が亮に近付き始めたのを見て少し安心した。
英武のことも実母のことも一応の解決を見たし、和が亡くなって以来ずっと心のしこりになっていた滝川への蟠りも解いた。
輝との間には子供もいないし…何かの時は克彦が力になってくれる。
後はノエルが自分の意思でしっかり生きて行ってくれることを願うだけだ。
そのことは…滝川や有や亮に託していこう…。
もうひとりの自分を見るという信じ難い現象を体験した旭と桂は、時々、助言者である西沢と連絡を取りながら生徒や仲間の救出に手を尽くしていた。
自分たちの主催する集会や勉強会に西沢を潜ませ、出席者を扇動しようとする者たちを捕らえては洗脳から解放していった。
特に注意すべきはあの宮原夕紀という少女…彼女はどうやら背後にいる悪意ある気たちにとって動かしやすい存在らしい。
何しろ任務遂行のためには自分の婚約者を他の能力者に襲撃させることさえなんとも思わないような鉄の心の持ち主だ。
無論がっちり洗脳されているからなのだろうが…。
「あれ以来…お稽古にも現れてはおりません。
あのお嬢さんも私の姿を真似た何者かに操られているのでしょうから心配なのですが…。 」
紅村旭は生徒のひとりである夕紀のことを案じていた。
もとはと言えば旭のところへお稽古に来ていて捕えられ洗脳されたのだから…。
この夏に妙な現象に出会って青い顔して訪ねて来たふたりに、西沢は今この地球に起きていることを話して聞かせた。
自分たちが相手にしているのが自分たちの産みの親であるエナジーであること…そのエナジーには人のように意思があること…直面している滅びの危機…そうした内容のことを隠さずに話した。
陽の気と陰の気から啓示を受けたというふたりにはかなりの予備知識があったから、西沢の理解することはそんなに難しいことではなかった。
それ以来…何かと協力し合っている。
旭も桂も能力者としては単独と言ってもよく古い家門の出身ではないことから、御使者の件について西沢からは話すことはなかったが、それでも能力者仲間からの情報で御使者と呼ばれる能力者が動いていることくらいは知っていた。
おそらくは西沢のことであろうとふたりとも薄々察している様子だった。
「紅村先生…桂…お願いしたいことがあります。
戦って敵う相手ではありません…僕に何かあってもどうか僕のことは捨てておいてください。
僕を助けようとして無駄に力を使わないで下さい。
僕のことよりも…でき得る限り早急に生き長らえる術を考えてください。
ご家族やお仲間の命を護るためには…どうすればよいのかを…。
何より…絶対に生き抜いてください。 簡単に滅ぼされてはなりません。
それが僕からのお願いです。 」
三人が顔を合わせた折に…突然…西沢がふたりを前にそんなことを言い出した。
まるで遺言のようだ…と旭も桂も不吉なものを感じた。
しかし、西沢はいつものように穏やかに微笑んで何ということもないような顔を見せていた。
あまりに平然としているので、その時はふたりとも御使者のお役目とはそういうものなのか…とも思ったりしたのだが…。
今から店に向かいます…と谷川店長宛に亮とノエルから電話が入ったのは昼過ぎのことだった。
午後の講義がひょっとしたら休講かもしれないので、そうなったら電話をくれるという約束がしてあったからだった。
時計を見るとすでに5時を過ぎている…。
店の方には取り敢えず休暇中の弟に応援を頼んだが、谷川はひどく不安な気持ちになっていた。
事故にでもあったのではないか…。
何もなければ…ふたりが同時に消えてしまうなど有り得ない。
これまでふたりが無断で仕事をサボったことなんて一度もなかった…。
それに…と思った時、足を引き摺った男の子が店の中へ転げ込んできた。
男の子はあちらこちら怪我をしているようだった。
「店長さん! 亮が…ノエルが…! 」
谷川は慌てて傍に駆け寄った。谷川の弟も急いで寄って来た。
「きみどうしたの? 何があったの? きみは誰? 」
男の子の両肩に手を掛けながら谷川は訊ねた。
「僕…島田直行…ふたりの友だちで…す。
連れて行かれたんです…ふたりとも…僕を助けてくれて…代わりに…。
西沢さんに電話した…けど…通じなくて…。 」
谷川はすぐに受話器を取った。電話はすぐに通じた…が出たのは帰宅したばかりの滝川だった。
滝川は西沢に携帯で連絡を取りながら書店へと素っ飛んで来た。
「直行! どうしたんだ? 何があった? 」
書店に着くや否やバックルームで待っていた直行に飛び掛らんばかりの勢いで滝川は訊ねた。
「ああ…滝川先生…ノエルと亮が…攫われた…。 」
直行は顔見知りの滝川を見てほっとしたのか少し涙ぐんだ。
駅のところで…夕紀に呼び止められて…話があるからって…。
夕紀が普通じゃないってことは分かってたんだけど…でも…でも…やっぱりほっとけなくて…ついて行ったんだ…。
夕紀の後についていく直行を目撃した亮とノエルは秘かに跡をつけた。
案の定…直行を捕まえるために何人かの大人の能力者が現れた。
直行ってやつはつくづく狙われやすい男だ…と亮は思った。
ところが…狙われていたのはノエルと亮の方だった。
直行を囮にしてノエルと亮を誘き出す…夕紀は恋人をそんなことにまで利用した。
直行が痛めつけられているのを見れば亮やノエルが止めに入らないわけがない。
そう考えたのだ。
大人の能力者の中には旭の顔をしたエナジーが混ざっている。
エナジーが相手では如何に喧嘩の強いノエルでも敵うわけもない。
あっという間に捕まってしまった。
捕らえられたノエルを亮は必死に取り返そうとした。
しかし…ノエルでさえ歯が立たないものを亮に勝てるわけがなくあっけなくふたりとも倒されて連れて行かれた。
後に残された囮の直行はその場でしばらく伸びていた。
気が付いてすぐに西沢に連絡しようとしたが通じず…挫いた足を引き摺って駅に向かい、何とか書店まで辿りついた。
滝川は一部始終を携帯で西沢に伝えた。
西沢が亮とノエルを捜しに行くと言うので滝川もすぐに跡を追うと伝えて携帯を切った。
「谷川さん…悪いが至急西沢本家や滝川本家に連絡を取ってください。
できれば…有さんにも…。
至急…警戒態勢に入るようにと…そうすれば滝川本家がすべての家門に連絡を取ります…。
直行を西沢本家に連れてって頂けると有り難いが…。
直行…おまえは島田の克彦さんと宮原の長老に連絡を取れ…。 」
分かりました…と谷川店長は頷いた。直行は不思議そうに店長を見た。
店長はちょっと微笑んだ。
僕も西沢や木之内と同じ一族だよ…と直行を安心させるように言った。
滝川は急ぎ書店を飛び出した。
亮やノエルのことも心配だったが…自虐傾向のある紫苑のことが案じられた。
紫苑…無茶するなよ…。
そう胸のうちで呼びかけながら直行から聞いたふたりの誘拐現場へと向かった。
次回へ