見分けるといっても…と男は少し首を傾げた。
潜在記憶を持つ人間は掃いて捨てるほど居るし…抑制といっても…その記憶を封印できたらまずまず…。
なんなんだ…それは…?
答えにならない答えに西沢は内心むっとした…が…すぐに思い直した。
確かに潜在記憶保持者は星の数ほど居る…。
何かの影響で発症しないだけで…ひょっとしたら自分もそのひとりかもしれないわけだから…。
眼に見えない30億対塩基配列…その差異を感じ取れと言われても所詮…無理。
ましてや…配列を組み替えることなど…論外…。
「症状が現れると…無意識のうちに敵と見做した相手を攻撃するようになる…。
けれども…それは彼等の罪ではない。
そう行動するように…情報として組み込まれているからだ。
それは我々も同じ…。
ただ…現在に至る過程で情報が失われてしまっただけのこと…。
だから…相手が発症するか或いは発症者か否かを見分けることは非常に難しい。」
男は穏やかにそう語った。
HISTORIANは…そういう敵を相手に根気よく悪い芽を摘んでいるのだ。
万のつく歳月の間ずっと…。
「悪い芽を摘む…記憶の封印ですか…? 」
西沢の問いに男は微笑んだ。
罪もない相手を殺してしまうわけにはいかないのでな…。
「能力者自身にそれだけの力があれば…太古の記憶を消してしまえばいい。
それが無理なら…封印するか…別の記憶にしてしまうか…何れにせよ…記憶を操るのは…それほど簡単なことではない…。
それにたとえ…目の前のひとりの記憶を消したとしても…情報は次世代へと受け継がれる。
つまりは…いつかまた…同じ危機が訪れるということだ…。
この戦いには終わりがないのだよ…。 」
万のつく歳月…HISTORIANの気の遠くなるような戦いの日々を思うと、西沢は胸焼けでも起こしそうな気分になった。
「ニシザワ…あなた方に我々と共に戦えというような無理難題を押し付けるつもりはない…。
終わりのない戦いに巻き込むのは酷だからな…。
あの手紙はあくまで警告書…家族や知人に症状が現れることもないわけではないし…敵と見做されて襲われる場合もあるから…よく注意して上手く対処してくれということだ。
能力者が相手となると…我々も無事では済まないからね…。
あなた方の周りだけでも見ていてくれると助かる…。 」
思わず溜息が出た。 それならそれで…最初からそう書いてくれ。
その方がずっと手紙に信憑性が出る。 胸の内でそう思った。
いかにも謎めいたSFっぽい文章など逆効果だ。
「それはそうと…急に発症者が続出したのは何故なんです…? 」
不穏の連鎖反応だ…と男は答えた。
「世界は必ずしも平和に向かってはいない…。
誰かが独裁的にことを運ぼうとすると…不穏のプログラムが目覚めるのだ…。
歴史上のあらゆる悲劇には…上に立つ者の暴走だけではなく…名も無き人の暴挙もついてまわる。
世界が今…とてつもなく不安定である証拠だよ…。
但し…この国でこれほど早くプログラムが動き出すとは考えていなかった。
大戦当時ならともかく…今のこの国にはあまり危機感がないから…目覚めるとすれば最後の方だと高を括っていたので…我々も慌てたし出遅れた。
そのために…あなた方に余計な不安を与えてしまって申し訳なかった…。 」
やはり…作為があったと考えるべきなのか…?
西沢は玲人の報告を思い出していた。
男はしばらくの間…じっと西沢を見つめて何か心配そうに考えていたが…やがて思い詰めたような表情で西沢に忠告した。
「ニシザワ…引っ張り込んでおいて申し訳ないが…深入りは危険だ…。
そう…あなたの身の安全のために…判別方法を話すことは差し控えようと思っていたのだが…今ほんの少し…あなたの意思を読んでしまった…。
あなたのことだから…我々が黙っていてもすぐに判別の方法を思いつくだろう。
話さないことに意味は無いから言ってしまうが…今のところ発症を判別するためには…我々のように戦う相手に敵と見做される以外に方法は無い。
だが…それは自分を囮にすることで…絶えず命の危険に晒される虞がある…。
あなたは…自分の背負うものの為となれば喜んで命を差し出しかねない人だ…。
以前の戦いがそれを如実に物語っている…。
あなたに共に生きるべき人が出来たなら…最早…それは避けるべきだ。
その人を泣かせてはならない…。
あなたには命を懸けてまで我々と同じ道を歩まねばならない理由はない…。
あなたは終わりのない戦いを運命付けられたHISTORIANではないのだから…。」
男は…たとえ我々から距離を置いてでもそれなりに助力して頂ければそれだけで十分に有り難い…と語った。
以前の戦い…? この男がどうして…知っているのだろう…?
うっかり…読まれてしまったのだろうか…?
気の放った能力者向け大映像を知らない西沢は不審げに首を傾げたが…徹夜仕事の寝不足で気が緩んでいるのかも知れないなぁ…とあまり気にも留めなかった。
「亮のお父さん…ただいまぁ…。 」
変わりない元気な声が居間に響いた。有は新聞の向こうから顔を覗かせた。
亮を背後に従えてノエル颯爽のご帰還…。
「お帰り…ノエル。 けど今は…ノエルのお父さんでもあるんだぞ。 」
そう言って有はノエルに向かって手を差し伸べた。 そこんとこ強調しとかなきゃ…ね。
また…この親父は…と亮は呆れた。
そうだね…本当に僕のお父さんだね…ノエルはにこにこしながらその手の方へ寄ってきた。
「う~ん…良好…。 さすがに紫苑だ。 」
有はいつものようにノエルの御腹に触れて異常の有無を調べた。
はいはい…僕のように考え無しじゃありませんから…と亮は胸の内で呟いた。
「ノエル…無理はしてない…? 紫苑とは上手くいってる…? 」
有は心配そうにノエルの顔を覗きこんだ。
とろけそうなくらいだってば…まったく問題ありませんって…。
「わかんないけど…多分…大丈夫…。 だって…別に今までと変わったことしてないから…。
でも…紫苑さんは仕事が大変みたい…忙しそうで…。
ほとんど徹夜で…ずっと夜食作ってたんだけど…今日は先生が帰ってきてるから代わりに作ってくれるって…。
亮んちへ遊びに行っていいよって言ってくれたんだ。 」
そうか…紫苑はそんなに忙しいのか…。
おそらく…例の件で時間を取られてしまってるんだろうなぁ…。
ノエル…新婚さんなのに寂しいこったな…。
そうでもないと思うよ…こいつ結構気ままに遊んでるから…。
「亮…さっきから何ぶちぶち言ってんの? 」
ノエルが怪訝そうに首を傾げた。
いいえ…なんでもありません…と亮はにっこり笑って見せた。
ノエルの大好きなサンドビーズのクッションの海…この部屋に来るたびに子どものように遊ぶ。
その屈託ない姿を見つめながら…なんで僕のものじゃないんだろう…と思った。
僕の方が先に出会って…僕の方が先に愛した…。
なんで…僕じゃだめなんだろう…。
優しいノエル…時々女の子のように…温かく僕を包んでくれる…。
「亮…何か少し増えてるね…。 このでっかいの新しく買ったんだね…。 」
乗用車のタイヤより大きいくらいの向日葵色のクッション…ノエルは嬉しそうに身体を預けた。
「ふにゃふにゃ~。 溺れそうだぁ。 」
沈み込んでいくノエルの身体に覆い被さるように亮が圧し掛かった。
瞬間…哀しそうな眼で亮を見つめただけでノエルは特に抵抗もしなかった。
「ノエル…。 」
紫苑さんが…好きに遊んでおいで…って…輝さんとでも亮とでも…。
帰る場所だけ…覚えていればいいって…。
まるで自分に言い訳するようにノエルは呟いた。
僕が普通の女の子なら…そうは言わないよね…。
子ども産めたら…きっと言わない…。
その点は気楽なんだろうね…紫苑さん…。
ううん…そんなふうに思っちゃいけないんだ…。
紫苑さん優しいから…僕を自由にさせてくれてるだけだって思わなきゃ…。
ああ…亮…亮ならどうする…?
こんなふうに僕を野放しにする…?
遊んでおいでなんて…言う…?
「言わないよ…大好きだから…誰にも渡したりしないよ…。 」
ノエルの耳元で亮が囁く…。
紫苑さん…紫苑さん…だめ…疑っちゃいけないよね…?
僕のために命を投げ出してくれた人なのに…。
亮…つらいよ…僕…何もしてあげられない…。
紫苑さんのために何ひとつ…。
「ノエルは紫苑の命を救ったじゃないか…。 十分だよ…。
紫苑は満足しているよ…保証する…。
あれで…寂しがりやだから…きみが居てくれると嬉しいんだよ。 」
ノエルは答えなかった。
唇噛んで…それでも少しだけ声が漏れた。
紫苑さんじゃないのに…紫苑さんとは違うのに…。
「僕なら…絶対…離さない…。 」
けど…けど…紫苑ほどには…深く愛せない…。
ノエル…本当はね…紫苑はね…。
亮は話してしまいたかった…。 紫苑の本心…深い海のような愛…。
話してはいけなかった。 誰も話さなかった。
すべてはノエルのために…ノエルの幸せのために…。
次回へ
潜在記憶を持つ人間は掃いて捨てるほど居るし…抑制といっても…その記憶を封印できたらまずまず…。
なんなんだ…それは…?
答えにならない答えに西沢は内心むっとした…が…すぐに思い直した。
確かに潜在記憶保持者は星の数ほど居る…。
何かの影響で発症しないだけで…ひょっとしたら自分もそのひとりかもしれないわけだから…。
眼に見えない30億対塩基配列…その差異を感じ取れと言われても所詮…無理。
ましてや…配列を組み替えることなど…論外…。
「症状が現れると…無意識のうちに敵と見做した相手を攻撃するようになる…。
けれども…それは彼等の罪ではない。
そう行動するように…情報として組み込まれているからだ。
それは我々も同じ…。
ただ…現在に至る過程で情報が失われてしまっただけのこと…。
だから…相手が発症するか或いは発症者か否かを見分けることは非常に難しい。」
男は穏やかにそう語った。
HISTORIANは…そういう敵を相手に根気よく悪い芽を摘んでいるのだ。
万のつく歳月の間ずっと…。
「悪い芽を摘む…記憶の封印ですか…? 」
西沢の問いに男は微笑んだ。
罪もない相手を殺してしまうわけにはいかないのでな…。
「能力者自身にそれだけの力があれば…太古の記憶を消してしまえばいい。
それが無理なら…封印するか…別の記憶にしてしまうか…何れにせよ…記憶を操るのは…それほど簡単なことではない…。
それにたとえ…目の前のひとりの記憶を消したとしても…情報は次世代へと受け継がれる。
つまりは…いつかまた…同じ危機が訪れるということだ…。
この戦いには終わりがないのだよ…。 」
万のつく歳月…HISTORIANの気の遠くなるような戦いの日々を思うと、西沢は胸焼けでも起こしそうな気分になった。
「ニシザワ…あなた方に我々と共に戦えというような無理難題を押し付けるつもりはない…。
終わりのない戦いに巻き込むのは酷だからな…。
あの手紙はあくまで警告書…家族や知人に症状が現れることもないわけではないし…敵と見做されて襲われる場合もあるから…よく注意して上手く対処してくれということだ。
能力者が相手となると…我々も無事では済まないからね…。
あなた方の周りだけでも見ていてくれると助かる…。 」
思わず溜息が出た。 それならそれで…最初からそう書いてくれ。
その方がずっと手紙に信憑性が出る。 胸の内でそう思った。
いかにも謎めいたSFっぽい文章など逆効果だ。
「それはそうと…急に発症者が続出したのは何故なんです…? 」
不穏の連鎖反応だ…と男は答えた。
「世界は必ずしも平和に向かってはいない…。
誰かが独裁的にことを運ぼうとすると…不穏のプログラムが目覚めるのだ…。
歴史上のあらゆる悲劇には…上に立つ者の暴走だけではなく…名も無き人の暴挙もついてまわる。
世界が今…とてつもなく不安定である証拠だよ…。
但し…この国でこれほど早くプログラムが動き出すとは考えていなかった。
大戦当時ならともかく…今のこの国にはあまり危機感がないから…目覚めるとすれば最後の方だと高を括っていたので…我々も慌てたし出遅れた。
そのために…あなた方に余計な不安を与えてしまって申し訳なかった…。 」
やはり…作為があったと考えるべきなのか…?
西沢は玲人の報告を思い出していた。
男はしばらくの間…じっと西沢を見つめて何か心配そうに考えていたが…やがて思い詰めたような表情で西沢に忠告した。
「ニシザワ…引っ張り込んでおいて申し訳ないが…深入りは危険だ…。
そう…あなたの身の安全のために…判別方法を話すことは差し控えようと思っていたのだが…今ほんの少し…あなたの意思を読んでしまった…。
あなたのことだから…我々が黙っていてもすぐに判別の方法を思いつくだろう。
話さないことに意味は無いから言ってしまうが…今のところ発症を判別するためには…我々のように戦う相手に敵と見做される以外に方法は無い。
だが…それは自分を囮にすることで…絶えず命の危険に晒される虞がある…。
あなたは…自分の背負うものの為となれば喜んで命を差し出しかねない人だ…。
以前の戦いがそれを如実に物語っている…。
あなたに共に生きるべき人が出来たなら…最早…それは避けるべきだ。
その人を泣かせてはならない…。
あなたには命を懸けてまで我々と同じ道を歩まねばならない理由はない…。
あなたは終わりのない戦いを運命付けられたHISTORIANではないのだから…。」
男は…たとえ我々から距離を置いてでもそれなりに助力して頂ければそれだけで十分に有り難い…と語った。
以前の戦い…? この男がどうして…知っているのだろう…?
うっかり…読まれてしまったのだろうか…?
気の放った能力者向け大映像を知らない西沢は不審げに首を傾げたが…徹夜仕事の寝不足で気が緩んでいるのかも知れないなぁ…とあまり気にも留めなかった。
「亮のお父さん…ただいまぁ…。 」
変わりない元気な声が居間に響いた。有は新聞の向こうから顔を覗かせた。
亮を背後に従えてノエル颯爽のご帰還…。
「お帰り…ノエル。 けど今は…ノエルのお父さんでもあるんだぞ。 」
そう言って有はノエルに向かって手を差し伸べた。 そこんとこ強調しとかなきゃ…ね。
また…この親父は…と亮は呆れた。
そうだね…本当に僕のお父さんだね…ノエルはにこにこしながらその手の方へ寄ってきた。
「う~ん…良好…。 さすがに紫苑だ。 」
有はいつものようにノエルの御腹に触れて異常の有無を調べた。
はいはい…僕のように考え無しじゃありませんから…と亮は胸の内で呟いた。
「ノエル…無理はしてない…? 紫苑とは上手くいってる…? 」
有は心配そうにノエルの顔を覗きこんだ。
とろけそうなくらいだってば…まったく問題ありませんって…。
「わかんないけど…多分…大丈夫…。 だって…別に今までと変わったことしてないから…。
でも…紫苑さんは仕事が大変みたい…忙しそうで…。
ほとんど徹夜で…ずっと夜食作ってたんだけど…今日は先生が帰ってきてるから代わりに作ってくれるって…。
亮んちへ遊びに行っていいよって言ってくれたんだ。 」
そうか…紫苑はそんなに忙しいのか…。
おそらく…例の件で時間を取られてしまってるんだろうなぁ…。
ノエル…新婚さんなのに寂しいこったな…。
そうでもないと思うよ…こいつ結構気ままに遊んでるから…。
「亮…さっきから何ぶちぶち言ってんの? 」
ノエルが怪訝そうに首を傾げた。
いいえ…なんでもありません…と亮はにっこり笑って見せた。
ノエルの大好きなサンドビーズのクッションの海…この部屋に来るたびに子どものように遊ぶ。
その屈託ない姿を見つめながら…なんで僕のものじゃないんだろう…と思った。
僕の方が先に出会って…僕の方が先に愛した…。
なんで…僕じゃだめなんだろう…。
優しいノエル…時々女の子のように…温かく僕を包んでくれる…。
「亮…何か少し増えてるね…。 このでっかいの新しく買ったんだね…。 」
乗用車のタイヤより大きいくらいの向日葵色のクッション…ノエルは嬉しそうに身体を預けた。
「ふにゃふにゃ~。 溺れそうだぁ。 」
沈み込んでいくノエルの身体に覆い被さるように亮が圧し掛かった。
瞬間…哀しそうな眼で亮を見つめただけでノエルは特に抵抗もしなかった。
「ノエル…。 」
紫苑さんが…好きに遊んでおいで…って…輝さんとでも亮とでも…。
帰る場所だけ…覚えていればいいって…。
まるで自分に言い訳するようにノエルは呟いた。
僕が普通の女の子なら…そうは言わないよね…。
子ども産めたら…きっと言わない…。
その点は気楽なんだろうね…紫苑さん…。
ううん…そんなふうに思っちゃいけないんだ…。
紫苑さん優しいから…僕を自由にさせてくれてるだけだって思わなきゃ…。
ああ…亮…亮ならどうする…?
こんなふうに僕を野放しにする…?
遊んでおいでなんて…言う…?
「言わないよ…大好きだから…誰にも渡したりしないよ…。 」
ノエルの耳元で亮が囁く…。
紫苑さん…紫苑さん…だめ…疑っちゃいけないよね…?
僕のために命を投げ出してくれた人なのに…。
亮…つらいよ…僕…何もしてあげられない…。
紫苑さんのために何ひとつ…。
「ノエルは紫苑の命を救ったじゃないか…。 十分だよ…。
紫苑は満足しているよ…保証する…。
あれで…寂しがりやだから…きみが居てくれると嬉しいんだよ。 」
ノエルは答えなかった。
唇噛んで…それでも少しだけ声が漏れた。
紫苑さんじゃないのに…紫苑さんとは違うのに…。
「僕なら…絶対…離さない…。 」
けど…けど…紫苑ほどには…深く愛せない…。
ノエル…本当はね…紫苑はね…。
亮は話してしまいたかった…。 紫苑の本心…深い海のような愛…。
話してはいけなかった。 誰も話さなかった。
すべてはノエルのために…ノエルの幸せのために…。
次回へ