徒然なるままに…なんてね。

思いつくまま、気の向くままの備忘録。
ほとんど…小説…だったりも…します。

続・現世太極伝(第三十三話 引くに引けない…。)

2006-07-05 16:03:08 | 夢の中のお話 『続・現世太極伝』
 ノエルくん…お疲れ! ちょっとだけ残業を終えた吉井さんが早番で帰り支度をしていたノエルに声を掛けた。
お疲れさま…とノエルも答えた。
吉井さんも他のバイト学生たちもまだノエルの新しい生活には気付いていない。

 と言うか…あまりに変化がないから気付くわけもない…。
学校とバイト先ではノエルは相変わらず…女子学生たちの噂の的…超美形の男の子…だった。
 超美形なんて言われても…カノジョできなかったんだからね…。
噂なんてあてになんない…。
代わりに旦那さんができちゃったけど…。

 紫苑さん…まだ仕事かなぁ…。 身体壊さないといいけど…。
玄関の扉を開ける時…ノエルはちょっと躊躇った。
 亮のところへはたびたび遊びに行っているけれどあっちの方は久しぶり…。
結婚してからは初めてなので…ちょっと後ろめたい…。

 ただいま~と小さな声で言った。
家の中からは夕餉の仕度のいい匂いが漂ってきた。

 「お帰り…。 」

 西沢は久々にキッチンに居た。 鍋がぐつぐつ言っている。
紫苑さん…仕事…片付いたんだ…?
ノエルは嬉しそうに言った。

 「やっとね…またすぐ次が来るけど…。 」

 菜箸を置いて西沢はノエルの方へ近付いた。
有がしたようにノエルの御腹にそっと手を触れた。

 「うん…今回はさほどひどくない…。 亮もちょっぴり大人になったかな…。」

 そう言うとすぐに鍋の方へと戻って行った。
亮と遊んでも怒んないんだもんな…。 紫苑さん…変だよ…。

 「怒って欲しいの…ノエル? 怒れないよ…だって腹立たないもん…。
ノエルが全身引っ掻いてぼろぼろになっちゃうよりはずっとましでしょ…。 」

 西沢は軽く笑った。
そう…だけど…さ。 ノエルはちょっと不満げに唇を尖らせた。

 「あれ…先生は…? 」

昨夕…ノエルの代わりに西沢の夜食を作ってくれたはずの滝川だが今日はまだ帰っていないようだった。

 「明日から個展が始まるから…仕事帰りに展示場の様子を見に行ってるよ。 」

 よし…っと。 ノエル…恭介の分…ラップして…。 
帰ったら夜食に食べるかも知れないからね…。
 
 「相手が滝川先生だったら…? そしたら紫苑さん怒る…? 」

 はぁ…? 西沢が呆れたような声で訊き返した。 
何…馬鹿な冗談言ってんの…。
ノエルは真剣な顔をして西沢を見ていた。
  
 「恭介でも同じ! 怒りません! そんなに叱られたいの…ノエル…?
そうだね…それだったら…僕の知らない人だったら怒るよ…男でも女でも。
要は信用できる相手かどうか…の問題かな…。 」

 西沢はさらっと受け流した。
それって…なんか…僕の保護者って感じ…ノエルはつまらなそうに溜息を吐いた。



 滝川の個展が開かれるデパートの展示場前には平日だというのに結構人が集まっていた。
それも買い物ついでの中高年だけでなく、わざわざ写真を見に来たらしい…わりと若い人たちの姿が目立った。

 お目当ては展示場の中の特設コーナー…紫苑の世界…。
これまでに撮った写真で写真集に載せたものだけでなく秘蔵ものを公開するというので…滝川のリアリスティックな写真のファンだけでなく、独特のファンタジーな世界を好む人や西沢紫苑のファンがつめかけたのだ。

 初日ということもあって滝川は朝から招待客に挨拶するために展示場にいたのだがまあまあな盛況振りに気を良くしていた。
 特設コーナーの方も鑑賞客に十分満足して貰っているようで…紫苑さまさまだ…とほくそ笑んだ。

 昼近くなって入場口の方が俄かに騒がしくなったと思ったら、西沢がノエルを連れて展示場へ来ていた。
珍しくラフな姿で現れたのはノエルに合わせたせいだろう。

 「ようこそ…紫苑…ノエル。 」

 ノエルが抱えていた花束を滝川に渡した。
有難う…と滝川は微笑んだ。

 「亮も誘ったんだけど…今日は玲人さんとこのバイトだって…。 
中日くらいに来るって言ってたよ…。 」

 ノエルが小声で囁いた。
そう…中日なら僕も待機してるよ…と滝川は答えた。
ゆっくり鑑賞してってくれ…と言っても…見慣れたおまえ自身の顔だが…。
クスッと西沢が笑った。

 特設コーナーの中で西沢は自分の姿と向き合うことになった。
モデル紫苑の顔・顔・顔…何だか不思議な世界に飛び込んだようだった。
 周りで鑑賞していた人たちにとってはもっと不思議な光景だったかもしれない。
写真の人物が目の前に居るのだから…。
 
 西沢先生…と誰かが声を掛けた。
知らない男だった。
いろいろメモを取っているところを見ると何処かの記者のようでもある。

 「始めまして…。 S新聞の添田と申します。
少しお話しを伺っても宜しいですか…? 」

 男は丁寧に挨拶し…名刺を手渡した。
どうぞ…と西沢は答えた。  
  
 添田は鑑賞している写真について幾つか当たり障りのない質問をした。
西沢も同じように在り来たりな答えを返した。

 「有難うございました。 おや…そちらの方は…? 」

 突然…興味深げな視線を向けられてノエルは固まった。
家内です…と西沢は事も無げに答えた。

 「おや…初耳…ご結婚なさったんですか…? 
いやいや…それはそれは…おめでとうございます…。
若くて美人の奥さまでなにより…。 」

 有難うございます…と西沢は何食わぬ顔で笑った。
ノエルは気が気じゃなかった。 引きつった顔に無理やり笑みを浮かべた。
記者は特に詮索することもなくあっさりと引き下がった。

記者が消えてしまうとノエルは心配そうに訊いた。

 「話しちゃって良かったの? 黙ってれば分かりゃしないのに…。 」

 なんで…? 事実でしょ…。 
嘘なんかついたら何書かれるか分かったもんじゃないよ。

 「僕は芸能人じゃないから…結婚って正直に言っちゃえばそれでお仕舞いなの。
それ以上…騒がれることもないし…付き纏われることも無いわけ…。 」

 あ…なるほど…後に尾を引かないわけね…。
とは言っても…人目が気になって…鑑賞どころじゃないや…。
ノエルは少し俯き加減に紫苑の後をついて行った。

 展示場を出てもノエルはあまり顔を上げなかった。
何処に居ても西沢が目立つから嫌でも視線を浴びることになる。
来る時にはそれほど苦痛ではなかった人の目が…嫌に煩わしく思えた。

 下りのエスカレーターに一歩足を踏み出そうとした時…俯いたままのノエルの身体を誰かがいきなり後ろから突き飛ばした。
 背後から悲鳴が上がると同時にノエルはバランスを崩して前を行く西沢の方へと転げ落ちた。
 異変に気付いて振り返った西沢がノエルを必死で受け止めたが…それでもノエルの重みと勢いで数段は西沢もともに滑り落ちた。
何とか他人を巻き添えにしなくてすんだけれど…危ないところだった。

 誰かが叫んでいた。人が突き落とされた…と…。
エスカレーターが緊急停止し…西沢はノエルを抱き上げて立ち上がり、エスカレーターを下った先にある休憩用のベンチに運んだ。

 「ノエル…ノエル…大丈夫か? 頭は…? 」
 
 頭は大丈夫…他んとこあっちこっち打っただけ…。
もともと身の軽いノエルは咄嗟に頭を庇って大怪我を免れたが転げたショックでまだ呆然としていた。
 
 警備員やデパートの責任者が慌てて飛んできた。
目撃した人が上の階で警備員に状況を話しているのが見えた。

騒ぎを聞いた滝川が青い顔をして駆けつけた。

 「大丈夫か…ふたりとも? 」

 いやあ…ひどい悪戯をする奴が居るよ…。
エスカレーターの上からノエルを突き飛ばしたらしいんだ…。
 悪戯…と西沢は言った。
幸い…軽い打ち身で済んだから…出来るだけ大きな騒ぎにはしたくなかった。 
 
 デパート側の責任者はほっと胸を撫で下ろした。
エスカレーターで人が死んだとなりゃ…とんでもないイメージダウン…。
まして通り魔の仕業となれば…客が怖がって逃げ出してしまう。
 取り敢えず…すぐに警備員を回らせよう…社員を各階エスカレーターに配備して監視にあたらせて…。

 事件には違いないのでお巡りさんも飛んできたが、犯人は後ろから突然襲ったわけだから…当のノエルに何も分かるわけがなく…店内に取り付けられたモニターに映った犯人の顔にも心当たりはまったくなかった。
 
 最初からノエルを狙っていたというわけではなく、たまたまそこに居たノエルを突き落とした…何人かの目撃者にはそんな感じに見えたという。
警察はこの件をほぼ通り魔事件と考えたようだった。

 事情を訊かれながら誰かの視線を背中に感じた西沢がふと見上げると、添田がエスカレーターの上の方から野次馬の如く見下ろしていた。
 
 
 ふたりが解放されてようようマンションに戻った時には…怪我の痛みよりもむしろその後…事情を訊かれる度に何度も同じことを繰り返し話さなければならないという作業に倦んでいた。
 
 西沢が今…もっとも懸念しているのは…ノエルが発症者によって敵と見做されたのではないか…ということだった。

 突発的に襲いかかったとすれば…世間で言うところの通り魔ではなく発症者だということは十分に考えられる。
だとすれば…ノエルは三宅と同じでいつ何時攻撃を受けるか分からない不安の中で過ごさなければならなくなる。

いや…ノエルだけじゃない…。 亮も同じだ…磯見に気付かれているからな。

深入りするなって…HISTORIAN…?
 
 皮肉か…? これじゃぁ…引けと言われても一歩も引けやしない…。
妻と弟を一度に人質にされたようなもんだ…。
 選択の余地なしだ…。
このまま突き進むしかない…か。

 やれやれ…忙しいことで…ほっとする間もありゃしない…。
西沢は思わず苦笑いした…。 






次回へ