徒然なるままに…なんてね。

思いつくまま、気の向くままの備忘録。
ほとんど…小説…だったりも…します。

現世太極伝(第四十五話 三人目の父…相庭)

2006-04-14 20:53:13 | 夢の中のお話 『現世太極伝』
 しばらく休みたい…と西沢が連絡してきたのは秋に入ってすぐのことだった。
大きな仕事を終えたばかりで丁度切りのいい時期ではあった。
 分かりました先生…充電中ということでお得意さんたちには連絡しておきます。
西沢が仕事をしてもしなくても経済的に困ることのない相庭は気楽にそう答えた。
西沢からの電話が切れると相庭はすぐに玲人(れいじ)を呼んだ。

 「木之内…紫苑が動く…。 もはや…西沢家の封印など何の意味も持たぬ。
紫苑自らが封印を解いた…。 
 玲人…決して目を離すなよ…木之内にとっては存続か断絶かの運命の分かれ道。
木之内は傍流と言われているが…紫苑には本流の血が流れている。
この血を絶やしてはならない…。

 それに…紫苑はこれまでにも…誰にも語ることなく秘かに務めを果たしてきた。
誰に指示されることもなく御使者として為すべきことを為してきた。
 どの御使者よりもよく働いてくれたお蔭で…有り難いことにこの地域だけは騒ぎが小さくて済んでいる。
それだけでも報いられるべきだ…。 」

 相庭は半ば誇らしげにそう話した。 
分かりました…と玲人は深く頷いた。

 「この頃では紅村旭や花木桂とも連携して動いているようです。
西沢、滝川、島田、宮原、木之内…の他にも同地区のめぼしい一族はみな御使者に救われただけでなく、御使者を中心に協調・協同関係を結んでいます。

 また…国内の主だった家門に与えた影響は非常に大きいものがあります。
裁きの一族について馴染みのない家門にも活動範囲の広い滝川を通じて御使者に協力せよとの情報が伝わり、全国に散らばっている御使者の助けになっています。」

 玲人の話を聞きながら相庭は紫苑との長い歳月を振り返った。
紫苑が誕生しようとしている時、如何なる不幸が重なってか木之内では次々と親族が亡くなり、残ったのは有の家族だけだった。
 歴史ある木之内の存続を危ぶむ声が長老衆から上がり、せめてその血だけでも存続させよとの使命を帯びて相庭は単身、間もなく木之内有の血を引く孫が誕生することになっている西沢厳の懐に入った。
 生まれてくる嬰児の護衛というだけではなく、他家の手に渡ってしまったその血が誤って暴走しないように見張るためでもある。

 以来…ずっと紫苑の守り役を務めてきた。
我が子以上に心砕いて…。 
 紫苑はなんと思っているかは知らんが…俺にとっちゃ息子も同然…それ以上の存在かも知れんて…。

 「玲人…紫苑を死なせるなよ…。 おまえにとっても弟みたいなもんだ…。」

 相庭がそう言うと…分かってますよ…と言わんばかりににたっと笑って、玲人はその場から立ち去った。 

 有さんよ…あんたが立場上紫苑のために動いてやれない分…俺が代わって動いてやる…それが俺の償いだ…。
少なくとも俺や玲人が生きている限りは…絶対…木之内を終わらせない…。



 秋だというのに異様に暑い。まるでまだ八月が続いてでもいるような陽気だ。
夕暮れに虫の音が聞こえだしたことだけが辛うじて秋だな…と思わせる。    
してみると…虫は人間よりも季節に敏感だということか…。

 亮もノエルも今夜は早く帰ってきたとみえて、ふたりの楽しげな笑い声が玄関先まで響いてくる。
 邪魔をしては悪いかな…と思いつつも有はいつものように幾つかの土産物の入った袋を手に居間の扉を開けた。

 「あ…亮のお父さん…お帰りなさい…。 」

 ノエルがにこにこと笑いながら飛んできた。
有はただいま…と答えながら空いている方の手でそっとノエルのお腹に触れた。

 「うん…良好だね…。 健康そのもの…。 」

 そう言いながらノエルに袋を渡した。
有難う…と袋を受け取って亮のところへ戻った。

 わっ…これ北海道のチョコ…中国のお茶もあるよ…えっこれシンガポールのだ。
お父さん…あっちこっち旅行してたの…? 

 ノエルは屈託なくそんなことを聞く…。
仕事なんだよ…ノエル…俺の仕事はね…あちらこちら飛び回って企業に必要な情報を収集したり提供したりすることなんだ…。 そういう会社の社員なわけ…。
有は表向きの自分の仕事内容を話した。

 「そんな話初めて聞いた…。 」

 亮が呆れたように言った。
この齢になるまで親の仕事も知らずにいたんだ…。
それじゃあ…あのいろんな国のお土産は親父が買ったものだったのかなぁ…。
…な…わけないか…彼女が居るのは事実なんだから…。 

 「まあまあ…忙しく働いておるんですよ…これでも…。 」

 そう言いながらどっとソファに腰を下ろした。
はいっ…お父さん…とノエルがコーヒーを淹れて渡してくれた。
有難う…と受け取りながら有は嬉しそうに微笑んだ。

 少し前までは口を利くことすらなかった亮と僅かずつではあるが会話ができるようになってきた。
紫苑とノエルのお蔭だな…。
失われた時を取り戻すことはできないが…これからを築くことはできる…。

 紫苑と同じように指令を受けたのは卒業の年だった。
就職活動をしていた有のもとへ受けてもいない大企業から採用通知が届いたのだ。
何かの間違いだと思った。
 その企業へ連絡を取ってみると実際に受験したことになっていて、指定日に来社するようにとの指示があった。

 指示に従って企業を訪れると特別な部署に連れて行かれ、そこで初めてその採用そのものが指令であることが分かった。
以来…ずっとその部署で働き続けている。

 今は重職についているから自ら飛び回ることも少なくなったが…当時は…心には紫苑のことがある上に、身体は絶え間なく仕事で旅から旅の生活を強いられ、妻や亮の相手をする時間も思いやる気持ちの余裕も無く…とうとう家庭崩壊を招いてしまった。
それもこれも言い訳かも知れんが…な…と有は胸の内で苦笑した。

 もし…亮の母親が同族の能力者だったら…もっと話も通じただろうし…裏のお務めのことも理解して貰えたかも知れないが…亮の母親は普通の女性で、眷族についての話はひと言も口に出すことができなかった。
 両親がなぜ普通の女性を選んで自分に勧めたのかは謎だが…今となってはそういう運命だったのかもしれないとも思う。 

亮も俺の血を引いている。 何れかは指令を受ける可能性はある…。

 できる限り…亮の力を隠し通そうと考えた時もあった。
亮の力が外に漏れれば…必ず指令が来る…。
 木之内がもはや断絶に近い状態にある時に、敢えて亮を危険な目に遭わせたり、つらい思いをさせる必要が何処にある…そう考えてのことだった。

 有の弟稔と妹ミサは…亮は知らないことだが…有の実母が早世したため後妻に入った叔母の連れ子で有にとってはいとこにあたる。
 親族結婚のために木之内の血はどこかで引いてはいるものの、裁きの一族の血は引いていない。
 木之内で本流の血を引くのは今となっては有、紫苑、亮の三人だけになってしまっている。
 木之内家としては稔やミサの血を引いていれば成り立つわけだが、本流の血を引くという暗黙の権威は失われる。

 有が思い直したのは…この先何事か起きた場合に、血の断絶によって木之内という後ろ楯を失った亮が、たったひとりで動くことになれば余計に危険だ…と感じたからだった。
 少なくとも裁きの一族の目が多少なりと亮に向けられていれば、万が一の場合にはその護りを受けることもできる。
非情な指令を送りつけてもくるが同族を見殺しにはしない一族だから…。

 ノエルがマーライオンの菓子箱を開けた。
はい…と有に差し出す。
有が中の焼き菓子をひとつ取るとにっこり笑って亮にも渡す。 
まるで女の子のような優しい仕草だ…。

 けれどそれは瞬時のこと…次の瞬間にはノエルは荒々しい動きを見せる。
戯れに格闘技の真似事などすると身体は小さいのに身のこなしが良く、亮より格段に強い。
参った…と音を上げる亮をケラケラと笑って擽ったりしている。

 この不思議な男の子が家に居るお蔭で…有はこの頃では時折帰ってくるこの場所を確かに家と感じ、亮との生活の場を家庭と捉えることができるようになってきていた。
 そのことから言えば、居候ノエルはすでに有と亮にとって欠くべからざる家族になっているのかもしれない。 

 それでも何時かは…自分の本当の居場所へと戻っていくのだろう…。
望んではいけないことだが…ノエルが完全な女の子であったなら…亮の嫁さんに迎えることもできるのになぁ…などということまでつい考えてしまう。
馬鹿げているとは思いつつも…。

 笑い転げている若いふたりを見つめながら、有はひとり過去へ未来へと思いを馳せていた…。





次回へ

現世太極伝(第四十四話 壊しちゃって!)

2006-04-12 17:13:35 | 夢の中のお話 『現世太極伝』
 早番の朝、書店のバイトへ行く道すがら、ノエルはウィンドウからちょっと喫茶店の中を覗いた。
 モーニングセットを運んでいた悦子が目敏く気付いて手を振ってくれた。
何気ない振りをしてノエルも小さく手を振り返した。
 悦子が手を振ってくれるだけでなんかこう…わくわくするけど…その後がちょっと切ない。
 バックルームでエプロンを着けて鏡を見る…バイト前の習慣になってしまった。
何回見たって僕は僕…変わりゃぁしないのに…。

 箒と塵取りを持って店の前へ出ると粘っこい熱気が身体に纏いついた。
地面がカラカラだ…水撒こうかな。
どこかで渇水だって言ってたから…撒かないほうが良いのかな…。

 トラックが店の前に停まり荷物を降ろし始めた。
吉井さんが出てきて運転手の差し出した受け取りに判を押した。

ノエル…悪いんだけど荷物運んでくれない…? ちょっと腰痛めちゃってね。

 吉井さんが申しわけなさそうに言った。
ノエルは手早く荷物を台車に載せ店の中に運び入れた。 

 有難う…結構…これが重いのよね…本ばかりだから…やっぱり男の子だねえ。
見た目より力があるわ…。

 そう言われて悪い気はしなかった…ノエルは少しだけ笑って見せた。
褒め言葉を気にして…鏡と睨めっこして…馬鹿みたい…そんなこと全部気休めだ。
 腕力があるとかないとか…身体が華奢だとか逞しいとか…本当に問題なのはそんなことじゃない…。
 だって…あのことがなければ…僕は今すぐにだって声をかける…。
華奢なノエルのままだって気になんかしない…。

 馴染みのお客たちが判で捺したように、暑いねぇから始まってあれこれ世間話をして帰っていく。
愛想笑いで受け答えしながら有難うございましたで送り出す…。

 「ノエル…雑誌届けてきてくれる? 」

 新刊をチェックして店頭に並べ終わった頃、吉井さんが店ごとにひとまとめにした週刊誌をノエルに渡した。
届け先は喫茶ブランカと美容室エヴァ…。

 昼近くなって気温はますます上昇…。
連日30度を超える暑さ…30度なら可愛い方かな…今日はもっといってそうだ。
 美容室から喫茶店に移動するだけで全身汗…。
温暖化の影響だって言うけど氷河どころか僕だって溶けそう…。

 「谷川書店です…。 」

あら…ノエルご苦労さま…と悦子が雑誌を受け取りに来た。

 「暑いね…ノエル…後でアイス食べに行かない? あがり…何時? 」

えぇ~っ? ちょっとびっくり…。

 「5時…だけど…。 」

 決まり…私の方がちょっと早いけど買い物してから本屋さんの方へ行くからね…待っててね…。
 悦子はにっこりと笑ってノエルを見つめた。
思わず…うん…と返事をしてしまった。

 吉井さんと入れ替わりに4時に亮が店に入った。
何だかノエルがそわそわ落ち着かない様子で妙だと思っていたら…5時の時報とともに店の前に悦子が現れた。
 
 なるほどね…悦ちゃんと初デートなわけだ…そりゃ落ち着かんわ…。 

 店から遠ざかっていくふたりの後姿を見ながら亮は苦笑した。
振り向くと亮の後ろで店長がニヤニヤしながら同じようにふたりを見ていた。



 書店と反対側の駅の改札前にあるアイスクリーム専門店…さすがにこの季節は賑わっている。ふたりが一緒に座れる席はなさそうだ。
 すぐ近くに千春の好きなケーキ屋がある。
千春と亮が初めてデートをしたところだけど…この頃のお相手は英武らしい。
 ケーキとアイス…ちょっと迷いながらも…混んでるけど今日はアイス…と悦子はノエルの腕を引っ張りながら席待ちの女性でいっぱいの店の中へと入っていった。

 ノエルと悦子は騒がしい店内からすぐ近くの小さな児童公園へと移動した。
公園のベンチにふたり腰掛けて話すより先にアイスを口にする。
 外気のせいであっという間に溶け始めるチョコ入りのミントアイス…行儀なんか気にしてられない。

 「う~ん…生き返る…。 美味しいねノエル…。 」

 うん…とは返事しながらも、悦子の舌がアイスを舐める様子を…自分もいま同じような顔しているに決まっているとは思いつつ…ぼ~っと眺めながら食べていたので味なんかどこかへ消えてしまっていた。

 「でも…なんで奢ってくれたの? 誘ったの私なんだからよかったのに…。 」

そうなんだけど…やっぱりさ…。

 「そっか…ノエルは基本的には男の子なんだ…ね。 」

えっ…? そう言われて一瞬戸惑った。

 「私ね…治療師の卵なの…。 だからノエルのことすぐに分かったよ。 」

 ノエルの顔が蒼ざめた。
知られてた…。 お終いだ…。 始まる前から…終わっちゃってる…。

 「気味悪いだろ…? 両方なんだ…僕…。
ねえ…本当は何の用だったの? 僕の身体に興味があったから誘ったの? 
治療師の卵としては…何を知りたかったわけ…? 」

 泣きたい気持ちだった。
ノエルの胸の内を知らない悦子はいつも通りの笑顔だった。

 「別に…治療師だから興味があるわけじゃないの。 気味悪くもないよ。
ノエルってとても優しそうだから友だちになりたいなぁなんて思っただけ…。

 亮くんとすごく仲良いから…意識的には女の子なんだろうなって想像してて…。
ショッピングとかお出かけとか一緒にできたらいいななんて考えてたんだけど。」

 女の子…そうか…同性に見られてたんか…。 それじゃ文句も言えやしない…。
ノエルはふうっと溜息をついた。

 「ご期待に副えなくてご免ね…。 生憎…男だもんで…。 」

強張った顔に力入れてノエルは何とか微笑んで見せた。

 「いいよ…。 でも時々アイスとか付き合ってよ。 勿論…割り勘でね。
友だちにはなれそうだもん…。 」

 ほっぺたに可愛い笑窪を浮かべてそう誘われると嫌ですとも言えなかった。
いつでも…OK…だよ…声かけて…ね。 心と裏腹な悲しい答えだけを返した。

 「僕…夕飯の当番だから…そろそろ帰るね。 
今日寄り道するって言ってこなかったし…紫苑さん待ってるかもしれない…。 」

 引きつったような笑みを浮かべながらノエルは立ち上がった。
あ…そうなんだ…それじゃ…またね…今日はご馳走さま。
 悦子は上機嫌で手を振った。
小さく手を振り返してノエルは公園を後にした。



 昼過ぎからずっと閉じこもっていた仕事部屋を出た西沢は、欠伸と伸びをしながらキッチンへ向かった。
 ふと気配を感じて居間の方に目を向けると灯りの消えた居間の隅っこでノエルが小さく縮こまっているのが見えた。

 「どうしたの…ノエル…こんなところで…? 」

 灯りをつけてノエルの傍へと近付いた。
西沢の顔を見た途端…さっきまで我慢していた涙がぽろっとこぼれた。

 「なんでもない…。 ちょっと疲れただけ…。 」

 そうか…疲れちゃったのか…。
微笑みながらそう言って西沢はノエルの頭をくしゃくしゃっと撫でた。

 「じゃあ…ゆっくり風呂に入っておいで…汗びっしょりだ…。 」

 うん…と鼻声で頷いて立ち上がると、ノエルはバスルームに向かってふらふら歩いて行った。
 
 その後は…西沢の話を聞いて作り笑顔を見せたり冗談を言ったりして、普段とどこも変わりないふうを装っていたが、さすがに我慢の限界か…いつものように亮が仕事からあがって来るのを待たずに早々にベッドに潜り込んでしまった。
 
 戻ってきた亮は西沢からノエルの様子を聞いて悦子とのデートが上手くいかなかったことを察した。
 ノエルがそれほどショックを受けるからには…単純にふられたのなんのって話じゃないとも感じた。
 それなら…デートのことを知っている自分がすぐに顔を見せると余計につらいだろうと思い、西沢に任せてひとりで自宅に戻ることにした。

 早々とベッドに入ったものの一向に寝付かれず…あっちへごろん…こっちへごろん…とベッドの上を転がっていたノエルは、起き上がって籐のソファに移った。
赤ん坊のように丸まって…子どものように爪を噛んだ。

 そんな様子を見て西沢がまた…そっと頭を撫でた。
ノエルが着ているのは相変わらず西沢のパジャマ…大きくて手足が出ない…。
まるで赤ちゃんの産着だ。

 「壊しちゃってくれない…紫苑さん? 僕…もう…こんな身体いらない…。 」

 西沢が黙っているのでソファを降りてパジャマを引き摺りながらベッドに腰掛けている西沢のところへ行った。

 「亮のお父さんが…僕はまだ赤ちゃんなんだって言ってた。
ねえ…赤ちゃんのうちに…全部壊しちゃって…。 こんなの意味ないもん…。 」

 西沢は穏やかに笑みを浮かべながら、以前にもしたようにノエルを膝の上に抱き上げ、子どもに接する時のように静かに語りかけた。
 
 「この世に意味のないものなんて…存在しないと僕は思っている。
ノエル…きみの身体にも必ず何らかの意味があるはずだ…。
 だって…両性具有を神聖なものと考える宗教があるくらいだもの…。
最高の美と捉える芸術も…ね。

 第三の性と考える人もいる。
僕自身は無性も合わせて四種の性が存在すると考えているんだ。 」

四種…ノエルは不思議そうに西沢の顔を見上げた。

 「勿論…どんな意味があるかなんて今すぐには分からないし答えられない。
でも過去から現代に亘って確かにきみのような身体が時々この世に生まれてくるということは…そう生まれてくる意味があるからだとしか思えないんだ。

 起こるべき何かのために用意されている…身体。
それが何時起こるか何処で起こるか分からないから…ひとりではなく…あらゆる時代にあらゆる場所に数字的には少ないけれど誕生してくる…。 」

そんなの詭弁だよ…とノエルは呟いた。

 「いいじゃないか…僕はそう信じているんだから…。
だからね…僕にとってはきみの身体は大切な存在なんだよ…。
簡単に棄てたり汚したりして欲しくはないんだ。 大事にして欲しい。

 でも…どうしてもというのなら…手術受けるんだね…きみの意思で…。
きみの心が救われるなら…それでもだめだという権利は僕にはないから…。 」

 よく言うよ…僕のこと好きでもないくせに…。
ノエルはやっといつもの笑顔を見せた。 

 好きさ…そのうち証明してあげるよ…。
きみや亮や…僕の周りの人たちを…僕がどれほど愛しているか…。
僕を疑って…後で後悔したって知らないよ…。

西沢は冗談っぽく眉を吊り上げて可笑しそうに笑った。





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現世太極伝(第四十三話 受動的浮気癖)

2006-04-10 21:35:59 | 夢の中のお話 『現世太極伝』
 その角を曲がった時…旭は自分の眼を疑った。
そこに集まっていた者たちの何人かは確かに旭が教えている生け花の生徒とその知人たち…いつも旭の話を聞きにくる熱心な人たちだ…。

 旭は彼等の眼に触れないように慌てて物陰に身を潜めた。
リーダー格として彼等に何かを指示しているのは、あの宮原夕紀…西沢がわざわざ名前を出した学生だ。

 どういうことだ…? あの子がうちの生徒さんたちを扇動しているなんて…。
宮原夕紀にそういう権限を与えた覚えはなかった。
 それなのに他の者たちはその指示に従って動いている。
今…彼等はそれぞれ何か夕紀からの指令を受けて何処かへ散らばって行った。

 「宮原さん…。 」

 他の者の姿が見えなくなった後で旭は夕紀に声を掛けた。
振り返った夕紀は不思議そうに旭を見た。

 「あら導師さま…どうしてここへ? 」

 その表情に悪びれた様子はなく、旭の集めた仲間たちを勝手に動かしているという意識もないようだった。

 「あなたこそ…何をしているんですか? 
先程の…あれはうちの生徒さんたちではありませんか?
あなた…あの方々に何をさせようというのです? 」

 解せない…という表情が明らかに夕紀の顔に浮かんだ。
これは導師さまご本人のご意思じゃないの…私はその通りにみんなに指示を出しているだけだわ…。 

 「いいえ…あなたに意思表示などした覚えはありません。 いったい誰の仕業?
何が起こっているのですか?  」

 夕紀の心を読んで旭はそう詰め寄った。
旭にそう訊かれても答えようがなく夕紀は困惑した。

 さらに問い詰めようとした時…夕紀の背後にとんでもないものを見て旭は思わず怯んだ。
言葉を失ってただそれを見つめた。
 夕紀の背後に現れたのは旭自身…まるで鏡に映したようにそっくりそのままの姿だった。
 もうひとりの旭は夕紀の手を引くと人間とは思えないほど恐ろしい速さでその場から姿を消した。

 この世に自分と同じ人間がもうひとりいる…。 
不意に受けた衝撃の強さに彼等が姿を消してしまった後も旭は茫然とその場に立ち竦んでいた…。



 少女歌劇の華やかなショーを見終わって興奮冷めやらぬ桂は、夢心地のいい気分で帰途についた。
 わざわざ遠出した価値はあったわ…。
あのヒロインに心寄せる影の男役よかったわ…あのイメージで書いてみようかしら…。
 そう…また紫苑に描いて貰えばいい…素敵な挿絵を…。
何しろ紫苑の絵が入るのと入らないのとでは読者の受けがまったく違ってくるんだから…。
 最も…紫苑はラブ・ロマンスがお嫌いらしいけれど…。
湯気立てながら描いてる姿が眼に浮かぶようだわ…うふふ…。

 そんなことを思いながら列車のシートに身を沈めた。
あれこれ構想を練っているうちにウトウトと眠ってしまい、はっと気がついたのは降車駅近くになってからだった。

 やだ…疲れてるんだわ…このところずっと夜に仕事してたから…。 
見っとも無いとは思いつつ寝ぼけ眼で列車を降りた。
 世間では夏休みの最中ということもあり、平日だというのに駅はかなり混雑していて冷房がかかっていてもどこかむっとするような空気が充満していた。
改札のところに数人が集まっていて誰かを待っているようだった。

 何だか邪魔ねぇ…もう少しはなれたところで集まればいいのに…などと思いながらすぐ脇を通り抜けた。

 導師さま…導師さま…どちらへ? 
そんなふうに誰かが声をかけたような気がしたが自分のことだとは思わなかった。

 あら…知った顔が何人かいたような気がするわ。 
環境保護の勉強会のお仲間だったかしら…? 
 大勢の前でお話しするからひとりひとりの顔まではあんまり覚えていないのだけれど…。
ちょっとだけ振り返ってみたが混雑した改札口からではよく分からなかった。

 改札を抜けた人混みの中で何気なくすれ違った女の顔を見た瞬間…背筋を冷たいものが走り抜けた。
 一気に目が覚めて今の女の姿を眼で追ったが女はさっきの集団とともに何処かへ移動してしまった後だった。

 何なの…あれは何だったの…?
あれは…あれは…私じゃないの…。

 寒くもないのに鳥肌が立った。
私がもうひとりいる…。
 何よ…これ…ドッペルゲンガーだとでも言いたいわけ…?
ええ…だって…困るじゃない…自分を見たら死ぬって言うし…。

 係員にどうぞと促されてタクシー待ちの順番が回ってきたことを知るまで、桂は我を忘れた状態だった。
 今見たことにどう説明をつけたらいいのか…?
見間違いよ…そう見間違い…有りえないわ…。

 タクシーがロータリーを回り駅の反対側に出たところで歩道の上に見たような小さな人だかりができているのが目に入った。
さっきのグループかしら…何処にいても邪魔だわねぇ…。

 そう思った瞬間全身が凍りついた。
その集団の中心に桂の姿が確かに見えた…。



 「説明して貰いましょうか…? 」

 輝は切れ長の目をさらに吊り上げて紫苑を睨みつけた。
久々にマンションを訪れた輝はあちらこちら片付けて回っていたが、突然何かを感じ取って不機嫌そうに西沢に迫った。
説明って…? 何のことかと西沢は思った。

 「何の不服があってあの小娘に手を出すのよ? 」

小娘…って…あ…ノエルは小娘じゃなくて坊やで…。

 「よけい悪い…。 あの変態写真家だけで飽き足らず…またしても男なの?
私の何処に不満があるわけ…? 」

 いえ…別に…ございません…。
輝に詰め寄られた西沢はたじたじと退いた。

 居間で滝川が声を上げて大笑いしていた。
それがさらに輝の癇に障った。

 「何が可笑しいのよ。 」

輝は今度は滝川に噛み付いた。

 「心配しなさんな…輝…紫苑は端っからノエルを相手にしちゃいないよ。
ノエルはさ…多分…付き合いたい女の子が居るんだよ…。
 言い出す勇気がなくて…気晴らししているだけだよ…紫苑さん…お優しいから。
そんなに目くじら立てなくてもいいじゃないか…遊びだよ…遊び…。 」

 さも可笑しげにくっくっと喉を鳴らした。
またその嫌味な笑い方…!

 「あら…誰かさんは遊びで紫苑のためにお洗濯までなさるわけ? 」

滝川はどうしようもないね…とばかりに肩を竦めた。

 「あれは僕が熱を出したからだろ…。 
分かった…僕が悪かった…恭介に当たらないでくれ…。 」

 そうよ…あなたが悪いわ…紫苑…これで何度目…?
さあ…覚えてないから…と首を傾げながら西沢は頭を掻いた。

 滝川はひと際大きな笑い声を上げると…お邪魔さま…しばらく消えてます…と部屋を出て行った。

 マンションを出てふらふらと駅前へやってきた滝川は丁度バイトから戻ってきた亮とばったり出会った。
 紫苑とこは今…お取り込み中だからちょっと付き合え…滝川はそう言って駅前の喫茶店へ誘った。

 「いやもう…えらい剣幕で取り付く島もない。 
まあ…自業自得だけどな…紫苑も…。  
 紫苑さぁ…自分から言い寄ったりはしないやつだけど…迫られると弱いってとこがあって…。 」

分かるような気がする…言い訳にはならないけどね…と亮は思った。

 「滝川先生には強いんだ…あれだけ迫ってんのにね。 」

そういうことで…って…おい! 言ってくれるじゃないか。 

 「あ…そうだ…見るかい…? きみの兄さんの小さい頃の写真。 」

 滝川はポケットの財布の中からL判よりさらに小さい写真を取り出した。
一緒にくっついて出てきた写真は多分滝川の亡くなった奥さんなのだろう…こぼれるような笑顔が魅力的で素敵な女性だった。

 「これとこれ…。 小一の時と中学校に進学してからの写真だ。 」

笑みを浮かべながら亮に手渡した。

 写真の中から微笑みかける小さな紫苑…。
何これ…うっそ~マジ~! 亮の目が点になった。
これ…人間…人形じゃねぇ…?
 
 「すげぇ可愛いだろ? 最初見たときアンティークドールかと思ったもんな。」

 もう一枚…中学生…やばい…マジやばい…知らずに見たら惚れたかも知れん…。
亮は…犠牲者滝川…の顔を思わず見た。
納得した…?というような表情で滝川が見返した。

 「生で見てたんだよね…女の子の姿の紫苑を…。 六年間ず~っとさ。
怜雄が最初に妹だって紹介したから…それを信じちゃってた…。

 あいつが学校で暴れ出した頃には僕は卒業してたし…。
紫苑が中学生になるのを待って…ラブレター書いて…初めて男だって知ったんだ。

 今更忘れられませんな…。 
なんせ…人生で最も多感な六年間…ずっと大好きだった女の子だからな…。 」

 紫苑が本当は男の子で…女装は養母の着せ替え趣味だ…と聞かされた時の滝川の受けたショックが思いやられて…笑っていいのか…同情すべきなのか…亮は対応に困った。

 「けど…紫苑は馬鹿にしないで真面目に答えてくれたよ…。
もともとが誤解だからどう返答のしようもないけど…気持ちは嬉しい…みたいなこと言ってくれてさ…。 」

 滝川は亮が返した二枚の写真とさっきの奥さんの写真とを一緒にして大事そうに財布にしまった。

 「中二くらいから体型が変わってきたので紫苑もやっとお養母さんの趣味から解放されたんだ。
 僕としては…ちょっと残念な気もしたが…紫苑はほっとしたに違いない。
やっとありのままの自分でいられるようになったんだから…。 」

 ありのまま…か…。 西沢さん…ひょっとしたらノエルの中に過去の自分の姿を重ねてるのかもしれないな…。
それであんなに力入れて可愛がってるのかも…。

 「ねえ先生…率直に言って今は…西沢さんとはどういう関係になってるの? 
初恋には破れちゃったんだからさ…。 」

 僕…? そうだねぇ…言うなれば…運命共同体みたいな関係かなぁ…。
どっちが欠けても成り立たないみたいなとこはあるな…確かに…。
 長いこと持ちつ持たれつ…お互いに支えあって生きてきたからな…。
今となってはひとりで生きる方が難しいかも知れん…。

 何時になく亮に真面目な顔を向けて滝川はそう答えた。
お互いを束縛するという意味では…ないけれどね…。






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現世太極伝(第四十二話 マジかよ…親父…。)

2006-04-09 00:23:48 | 夢の中のお話 『現世太極伝』
 南太平洋に浮かぶ何処だかの島でとんでもない騒ぎが起こっているというニュースを朝食のトーストをかじりながら耳にした。
 島の偉いさんたちが海外の企業と手を組んで、島全体をリゾート地として開発しようとしたところを、外から来た何とか自然保護団体という組織が阻止しようとして衝突し、暴力沙汰に発展したために怪我人なども出ているという。

 寝ぼけながら聞いていた限りでは、その島には何種類もの固有種とされる生物が存在しているのだが、リゾート開発によって島の環境が変わると、その生活圏が脅かされ絶滅が危惧されるということで、学者たちが先頭に立って反対運動に乗り出したというような内容だった。

 大陸では垂れ流し状態の工場廃液で川が汚染され、魚が大量に浮き、その川の水で生活している人々の間で抗議運動が行われ、これもよくは分からない環境保護団体が加勢して大混乱に陥り、死者まで出た。

 同じ頃…日本海沿岸では新しい原子力発電所の建設をめぐって直接関係している地元住民ではなく、環境保護団体と称する新興の団体が過激な反対運動をして器物破損などで逮捕されたなどというニュースもあった。

 「始まったな…。 」

 ある種の感慨を以って滝川はそう呟いた。
西沢たち指令を受けた能力者の努力も虚しく、何処から出てきたのかも分からない新興集団による騒ぎが世界のあちらこちらで起こり始めている。
 海外のことは分からないが国内では、裁きの一族の指令を受けた所縁の能力者たちがそれぞれの地域で活発に動いていることもあって、新興集団も細かいグループに分かれており、それほどまとまった大な組織には至っていない。

 それでもあの宮原夕紀のように網の目を掻い潜って仲間を集めようとしている者が居る以上は、放っておけば何れかはそれぞれの集団が結びつく可能性もある。
 
 その上、能力者だけでは人員不足と見たか、普通の人たちまで引っ張り込む集団も増えているようで、下手をすれば族姓全体を危険に晒しかねないそうした動きにほとんどの一族が懸念を抱いていた。

 「これもすべて…人間のなせる業だ…。 あの意思を持つエナジーたちは集めた能力者からより強いエナジーを補給しようとしただけなのに…な。
勝手な解釈が人間をとんでもない方向へ向かわせている…。 」

滝川は嘆息した。

 そんな滝川を前に、黙ってトーストをパクつきながら…西沢は滝川とはまた別の視点でこの状況を捉えていた。
 太極は確かにそう言っていた…人間の勝手な思い込みが危機を招いているみたいなことを…。

 だけど…。
 
 「人間の解釈の問題ばかりとも言えないぜ…。
旭や桂の顔が本人の知らないうちに利用されているのも事実なんだから…。 」

 エナジーの持つ意思…必ずしも善良なものとばかりは言えないのではないか…と西沢は思い始めていた。
 人間ほど複雑ではないにせよ…意思や感情がエナジーにも存在するとすれば同時に善と悪の両面も存在する…と西沢は考える。

 太極という小宇宙を存続させるために気と呼ばれるエナジーたちが絡み合いの中からすべての要素を生み出していく過程で…人間という要素の中に気たちの営みを大きく妨げるような動きをするある種の癌細胞のような要素が存在することに目を向けた時…温存と摘出のどちらを選ぶか…?

 これまで太極は太極を滅ぼしかねない人間もやはり太極の一部である…として消滅させることを躊躇っている様子だった。
 同様に…おそらくは気たちのほとんどが自分たちの生み出した人間という要素を滅ぼすべきかどうかと迷っていることだろう…。

 けれども気それぞれに意思があるということは同じ目的のために仕事をしていても考え方もそれなりに異なるということだ。
中には迷わず摘出を選ぶ気も在るのではないか…?
 いつ癌細胞に変化するとも限らない要素は今現在が良かろうと悪かろうと根こそぎ取ってしまえばいい…。
そう考えている気もないとは言えない。

 そういう過激な意思を持つ気にもし悪意のようなものが存在するとしたら…挑発や扇動に乗りやすい人間を陥れて滅びの道を歩ませようなことも有り得るのではあるまいか…。
 現に…旭や桂を利用した気たちは本物の旭や桂には太極の理想を説いて伝道師のような役割を負わせ、その人望や名前を利用して人を集めさせておきながら…実際に集まった人間を動かすのは過激な思想に染まりやすい宮原夕紀のような能力者…そういう図式を描いている。

 「人間と変わらんな…自分の中に相反するふたつの心があるなんてのは…。」

滝川は半ば感心したように言った。
 まあ…それもこれもこちらの勝手な憶測に過ぎないのだけれどね…と但し書きを付けて西沢は断定することを避けた。



 英武の何回目かの治療を終えて有は家に戻ってきた。
今は滝川と有のふたりが治療にあたるだけで他の者は立ち会わなかったが、英武は解放された記憶のお蔭でわりと順調に回復していた。

 紫苑に対して異常な執着を見せることも少なくなり、発作が起きても自力でなんとか抑制することができるまでになった。
 結果的に暴力もほとんど振るわなくなって、ようやく怜雄も安心して力を緩めることができるようになった。

 西沢家には複雑な事情があり、英武の暴力も病気からきているものだったとは言え、紫苑が長年に亘る悪夢からようやく解放されたことを有は心から喜んだ。
 同時に…紫苑が受けていた痛みや苦しみになぜもっと早く気付いてやれなかったのか…と思うと親としては切なさと後悔に胸が張り裂けるような気がしていた。

 どんなに苦労をしても紫苑を手元に置いておくべきだった…。
紫苑の幸せを願って手放したことが裏目に出て、これほど遣り切れない思いをすることになろうとは…。

 結果的に俺は…紫苑にも亮にも幸せな思いをさせてやることができなかった…。
今更…どうしようもないが…。
大きな溜息を吐きながら有は玄関の鍵を開けた…。

 ノエルが来ていることはすぐに分かった。 
来ている…というよりはほとんど亮と同棲状態なのも知っていた。
 最初のうちは…父親が仕事で留守をしている間に家に帰ってテキストや必要なものを取り替えたり、父親が遅くまで帰宅しない時にはちゃんと家に戻っていたが、だんだん面倒くさくなったとみえて、今では紫苑のマンションとこの家を行ったり来たりしていてほとんど自分の家には寄り付かなかった。

 いつものように居間でコーヒーを飲みながら新聞を読んでいるとノエルがふらふらと二階から降りてきた。

 「亮のお父さん…お帰りなさい…。 」

 ノエルはにこっと笑ってそう言った。
何処となく元気がなさそうに有には感じられた。

 「ノエル…ちょっとおいで…。 」

有に呼ばれてノエルは素直に近付いた。

 「ノエル…身体の調子…悪いんじゃないか? 
お腹痛くないか…? 」

 ううん…何でもないよ…とノエルは首を振った。
有はそっとノエルの下腹に手を当てた。
少し顔を顰めてから何かを納得するようにうんうんと頷いた。

 「どう…楽になったろ? 」 

 そう言って有は笑った。
ノエルは不思議そうに目をぱちくりさせた。

 「すごい…治っちゃった…。 有難う…亮のお父さん…。
ここんところ…なんかだるくて…身体重かったんだけど…すっきりした。 」

屈託なく笑うノエルに有は真面目な顔を向けた。

 「ノエル…ノエルの身体はね…。 女としては赤ちゃんみたいなもんなんだよ。
だから絶対無理をしてはいけない…大切にしてあげなきゃ…。 」

 ノエルは俯いた…。有には…ばれた…。
時々…気持ちだけでなく身体もついていかない…しんどい…つらい…。
だけど…亮が心配するから…言えない…。

 「俺や恭介ほどじゃないが…紫苑にも治療師の力がある。
俺はたまにしかここに居ないから…あんまりつらい時は紫苑に診て貰うんだよ…。
恭介なら完璧だけど…紫苑の方が頼みやすいだろ…? 」

 うん…とノエルは頷いた。
そっか…適当に僕を遊ばせてくれるけど…自分が遊ばないのはそれでなんだ…。
僕の身体のことがちゃんと見えていて…触れるのを避けてくれてるんだ…。
 う~ん…やっぱ紫苑さんって最高…。
あ…でも単にノエルは男だって思ってるだけかも知れないけどね。

 クスクスッと有が笑った。
ノエル…紫苑に迫ったんか…? そりゃ…紫苑はたまげたろうな…。
まあ…紫苑ならきみの遊び相手としては問題あるまい…。
問題は…亮だな…。

 お願いお父さん…亮には黙っててよ…。
亮が…亮が本物の彼女見つけるまでのほんの少しの間なんだから…。
僕…ちゃんと無理な時は断るから…我慢しないから…ね?

 こんなに必死になって…可哀想に…と有は思った。
やっと見つけた居場所を失いたくないんだろう…な。
亮の傍に居ればひとりぼっちにならなくて済むし話も聞いて貰える…から。

 だけどね…亮にはちゃんときみのことを把握しておく責任があるんだよ…。
なに…大丈夫…俺が治療師として話す分にゃ問題ないさ…。 

 ここに居なさい…とノエルをその場に残しておいて有は亮の部屋へと階段を上がっていった。



 「亮…少しいいかな…。 」

扉の向こうから有の声が聞こえた。

 「うん…。 」

 扉を開けるとまるで雑貨屋のような部屋が見えた。
亮もまたひどい孤独の中で物を買い集めていたに違いなかった。

 「ノエルには言うなよ…。 」

ノエルには内緒…というので思わず…亮は身を乗り出した。

 「ノエルの女性の器官は…ほとんど幼児以下…つまり赤ちゃんなんだ。
あまりひどい扱いをすると…壊れてしまうぞ…。 その意味…分かるな?
ちょっと耳かせ…真面目に聞けよ…。 」

 有は耳元でこそこそと亮が赤面するような話をした。
親父…マジかよ…と聞いてるほうが照れながらも、優れた治療師である有の話は、ノエルの身体のことを真剣に考えれば真面目に聞くしかなかった。

 いやぁ…まいったね…この間から驚かされてばかりだ…。
こんなフランクな親父だとはまったく思ってなかった…いつも硬い顔してたし…。
 おまけにこっちが恥ずかしくなるくらい超オープン…。
言わんぜぇ普通…こんな話…親父が息子にべらべらと…まあ…助かるけどさ…。
 オープン…?
待てよ…西沢さんのあの性格って…この変人親父から受け継いだのか…?

 顔立ちのまったく違う西沢と有の顔が重なって見えた。
やっぱり離れてても親子なんだ…。
どっか似たとこあるわ…。

 不思議だ…と亮は思った。
西沢にとって父親とは西沢祥…有は実の父親でありながら親戚の小父さん…。
なのに西沢の身体の中にはちゃんと有の情報が生きていて…ふいに表に現れる。
そういう形で繋がっていく絆もあるんだ…感情的にはどうあれ…。

 だけど…ノエルと僕の間には…その証を望むことは不可能だし…可能だとしてもノエルはそれを望まない…後に繋ぐことのできる絆はない。

 まあ…それもいいか…縦には繋がらないけど…横繋がりで…さ…。
まるで…紫苑命の滝川先生…みたいだけど…。
耳元で囁く有の声に相槌を打ちながらそんなことを思った…。
 





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現世太極伝(第四十一話 我慢なんかしない…。)

2006-04-07 00:12:00 | 夢の中のお話 『現世太極伝』
 寝室に射し込む光の中にノエルが居る。
ノエルは今…半分眠ったような状態であり、あまりその状態が長く続くと体力を一気に消耗してしまう。
 太極との会話はノエルの体調を考慮した上で行わなければならない。
あの大学の二階の端の講義室の陽だまりの中から太極が対話の場所を変えたのは、ノエルが西沢の部屋で過ごす時間が増えたことによるのだろう。

 太極はなぜか西沢と対話することを好んだ。
寝室の籐のソファが気に入ってるノエルが子猫のようにそこにちょこんと座っている時などにそっとノエルの中に降りてくる。

 別に難しい話をするわけではない。
天気のこと…空気のこと…水のこと…日常生活の中で目にすること…耳にすること…感じること…思うこと…。
 西沢はまるで小学生にでも戻ったような感覚で飾ることなく話をする。
太極はこの世界のすべてであり西沢もまた太極の中の要素だから別に何も言わなくても通じてしまう筈なのに…太極はわざわざ自分の中の一要素に話しかける。
人間が自分自身の心に問いかける姿にも似ている。

 しばらく西沢との対話を楽しんだ後…気に楽しむという表現が当て嵌まるならばだが…静かにノエルから離れていく。

 気との対話があまりにのんびりとしているために西沢の方がついついまどろんでしまう時もある。
 太極はうつらうつらしている西沢を穏やかに温かく包み込み…優しい眠りの世界へと誘った後…静かに去っていく。

 太極が気配を消してすぐにノエルは目を覚ました。
西沢がベッドの上で寝息を立てているのを見て、ノエルはそっと肌掛けを掛けてやり、自分も西沢の隣に潜り込んだ。

 次に目を覚ましたのは陽が傾きかけた頃で西沢はとうに起きて仕事をしていた。
チラッと時計を見たノエルは、もうじき亮と交代の時間だ…寝過ごさなくてよかった…と思った。

 西沢に行ってきますと声をかけ、マンションを飛び出した。
外はまだじりじりと暑く、地面のアスファルトが焼けるようで靴底から熱が伝わってくる。
 駅前の喫茶店の悦子が店の前で遣り水をしていたが、庭土と違ってすぐに干上がってしまった。

 「あらノエル…バイトこれから? 」

悦子は笑窪のある可愛い顔をあげてノエルを見た。

 「うん…今日は遅番…。 」

ちょっと気恥ずかしそうにノエルは頷いた。

 「チョコレート買っちゃった。 あの亮くん…意外と格好よかったねぇ。
ノエルはすっごく可愛かった…きっとそのうち追っかけが出てくるよ。
覚悟しといた方がいいよ~。 」

 冗談っぽく茶化しながら悦子は笑った。
愛想笑いで手を振ってその場を離れたがノエルは内心複雑だった。

 ノエルへの評価は可愛い…綺麗…女の子みたい…で、亮への評価は但し書きに意外と…が付いたとしても格好いいとか…いい身体だとか…。

 ノエルとしては但し書きが付こうと何だろうと可愛いよりは格好いいの方が嬉しいし、綺麗よりは逞しいと言われたい。
 だけど現実は…ノエルは生まれつき華奢で小柄…いくら喧嘩が強くても…到底…亮のような体格は望めない。

 バックルームでエプロンを着けながら鏡を見る…。
悦ちゃんもきっと…亮みたく逞しい方が好みだろうなぁ…。

 「何してんの? 」

 鏡を睨みつけているノエルを見て、亮が不思議そうに覗き込んだ。 
いや…うっかり寝ちゃったもんだから寝癖がさぁ…とノエルは髪の毛をつまんだ。

 「大丈夫なんともなってないよ…。 んじゃ…また後で…。 」

 ノエルが仕事に出ようとするところを追い越して亮は先に歩いて行った。
乱れた本の列を整えながらノエルは、扉を出ようとしているプロバスケの選手みたいな亮の後姿をチラッと見た。
 亮が出て行った後のガラスの扉に映る自分の姿を目にして、やるせない溜息が思わず漏れた。



 緊迫した音響が絶えず耳と脳を刺激して嫌でも盛り上がってくる恐怖ものRPG攻略…可愛い女の子がとんでもない殺人鬼たちに狙われて逃げ回りながらも、謎を解決してそいつ等をやっつけていくストーリー…休み前に借りたのがまだ攻略できていない。

 「うわっ~きもっ! こいつマジきも~っ! 」

 交代でプレイしながら陰惨な場面や、見るからに不快な登場人物に思わず声をあげる…こんなんいくつも持ってる店長って結構おたくかも…とか思いながら…。
あ…いけねぇ…死んだ…GAME OVER…。

 しまったぁ…と言いながらノエルは仰向けにひっくり返った。
亮は笑いながらコントローラーを受け取り、CONTINUEを選択する。

 ちょ~悔しい…と何時までもごろごろ転がってるノエルを見て、よ~し…ちょっと脅かしてやろうくらいの軽い気持ちでノエルに覆い被さった。

 「やだ! やだ! やだ! 」

 ノエルは真っ青になり駄々をこねる子供のように手足をばたばたさせて思いっきり抵抗した。
 いつもなら亮の仕掛ける悪戯など軽く笑い飛ばすノエルがこれほど激しい反応を見せたのは初めてで、脅かすつもりだった亮の方が少なからず驚いた。

 「冗談だってば…ごめん…。 」

 ノエルは答えずそっぽを向いていた。
怒っているような泣いているような複雑な顔をして…。
 気まずい空気を振り払うかのように亮は立ち上がって、風呂行ってくる…と部屋を出て行った。

 亮が行ってしまうとノエルは起き上がった。
分かってよ…亮…。
 悔しいのか悲しいのか分からないけれど…涙がこぼれた。
僕…女じゃ…ない…。 


 頭からシャワーの湯を浴びながら亮は後悔した。
やっぱり…だめだよな…いつまでも曖昧なことしてちゃ…。 
ノエルは男の子だ…女にはなれない…。

 何とか思い切らなきゃ…ノエルは友だち…友だちだって頭に叩き込んで…さ。
そうじゃないと…何度もノエルの心を傷つけることになる。
僕がノエルを苦しめちゃいけない…支えてやらなきゃいけないんだから…。 

 亮…と風呂場の扉の向こうからノエルが恐る恐る声をかけた…。
あの時と同じだ…。 僕を怒らせないように気を使っている…。
 ノエルはひとりぼっちになりたくないから…嫌な思いをしても僕と離れたくはないんだ…。
 入ってもいい…一緒に…? いいよ…と亮は答えた。
亮の様子を窺いながらノエルは浴室に入ってきた。
どうやら亮は怒ってはいないようなので少しだけほっとしたようだった。 

 時折亮の顔色を窺うようにチラッチラッと盗み見しながらノエルは頭を洗い、身体を洗い…亮が黙ったままなのでどうしていいか分からないようだった。

 ノエルが湯船に浸かると入れ替わりに亮が立ち上がり、ノエルの頭をくしゃくしゃっと撫でて…先に出るよ…と声をかけた。
ノエルは消え入りそうな声でうん…と頷いた。


 あんなに好きなクッションの海なのに今夜は見向きもせずにベッドの肌掛けの中に潜り込んだ。
 背中を向けたままの亮に身を寄せるようにして…。
亮がこちらを向いてくれないと分かるとどうすることもできず反対側を向いた。
 
 どうしよう…怒らせちゃった…ちょっとだけ我慢すれば済んだことなのに…。
亮のこと大好きだから…我慢ってほどじゃなかったのに…。
少しだけ女の子の代わりしてあげればよかっただけなのに…。

 「なあ…ノエル…。 おまえ…我慢なんかするなよ…。 」

 不意に亮が声をかけた。 えっ?…とノエルは聞き返した。
好きだよ…ノエル…でも忘れなきゃ…ノエルは僕のものじゃない…これ以上つらい想いさせたらいけないんだ…。
 
 「無理なこと言ってるのは僕の方なんだ…。おまえがあんまり優しいから…さ。
恋人でもないのに…いい気になってた…。 悪いのは僕…。
 男なんだから本当は嫌に決まってるよな…。
いくら身体的に可能でも…心が受け付けないだろうに…ひどいことしちゃった。
ほんとごめんな…。 」

 ノエルは振り返って不思議そうに亮を見た。
亮は何となく悲しげな笑みを浮かべ、ノエルのことをどうにかして諦めようとしているようだった。
 
 「我慢なんかしない…。 僕…これからは嫌な時は嫌だって言うから…。
いいよ…亮…亮が本物の恋人を見つけるまで…亮が僕を必要としなくなるまで…代わりをしててあげるよ…。
 いつか…自然に僕のことなんかただの友達って思えるようになる。
素敵な恋人を見つけた時にはね…。 」

 その時には…またひとりになるのだろうか…。
亮の心がその女性に移った瞬間から…誰からも必要とされないノエルに逆戻り…。

 いいんだ…それでも…こんな身体でも亮って子が心底大切に考えてくれたって…そういう想い出は残るもの…。
想い出だけは…ずっと…消えない…。

 僕がもし手術を受けて…女性の部分をすべて取り除いてしまう時に…この身体についての悪い記憶だけが残らないように…亮が愛してくれたという優しい記憶を処分されるその器官への最大のご褒美にしてあげよう…。

 だって生まれてからずっと一緒に生きてきた僕の半身なんだから…嫌な想い出だけで終わらせたくはないでしょう…?




 

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現世太極伝(第四十話 繋ぎ屋レイジ)

2006-04-05 18:12:20 | 夢の中のお話 『現世太極伝』
 玲人(れいじ)がふたりの前に姿を現したのは夏休みの直前だった。
西沢が例の花木桂の小説に頭を抱え手を焼いている時に突然現れた。
 亮とノエルはポーズをとっていて動けず、滝川は丁度、麺を茹で上げている最中で、玄関のベルが鳴っても誰れも出て行かないのを待ちかねて、空き巣よろしく勝手に鍵を開けて上がりこんできた。

 「玲人! 少しくらい待てねぇのかおまえは!  」

 キッチンから滝川が怒鳴った。
うふ…と玲人は笑った。

 「怒んないでよ先生…。 時は金なりって言うじゃありませんか…。」

仕事部屋の扉をノックすると返事も待たずに入って行った。
 
 冷房が効いているのに空気がど~んと重いのは西沢が噴火寸前である証拠だ。
あらら…先生…機嫌が悪そうだこと…と玲人は思った。

 「お召しにより罷り越しました。 」

玲人が声をかけると西沢はわけの分からないことを訊いた。

 「おまえさぁ…十四くらいの時に女が恋しくて仕方がないとか思ったか…?」

はぁ? 十四…すかぁ…? 玲人は間延びしたような声で聞き返した。

 「いいえ…まだそれほどは…。他んことに夢中だったような気がしますけど。
そう…強いて言えば生身の女よりアニメの美少女キャラとか…。 」

玲人がそう言うと西沢は我が意を得たりと頷いた。

 「だよなぁ…。 何なんだよ…この話はぁ…。
花蓮のことを思うと…夜も寝られない…これが恋なんだ…ってか…やめてくれってぇの…十四だぜ…ちょっと切ない恋はあってもそんな狂おしいもんじゃねえよ。
 そりゃ年頃だからエロいことには多少なり興味があったよ。 
そっちで寝られねえなら分かるけど…次元が違うぞ全然…う~背中がゾクゾクする…。」

 どうなってるの…? 玲人がそっと亮に訊ねた。
西沢さんはこの手の少女恋愛小説にアレルギー反応起こすんだ…と亮が答えた。
多分に作品に対する個人的偏見もあるけどね。

 花木桂の描く男はみんな在り得なさそうなやつばかりでさ…前に千春がお兄ちゃんとはめっちゃ違うって言ってたくらい…とノエルが付け加えた。

 あ…そりゃそうだ…夢見る乙女用の小説なんだから…出てくる男はみんな王子さま…トイレも行かないようなやつばかりに決まってるわ…。
玲人はげらげらと笑い出した。

 「先生…まともに受け取っちゃいけません。 あくまで小・中学生向け…恋に恋する乙女の話なんですから。 我々には…所詮…理解不能ってもんで…。 
ま…どっかにゃそんな十四歳もいるってくらいに軽~くお考えになって…。 」

 西沢は横目で玲人を睨んだ。
玲人の笑いがぴたっと止まった。

 「背筋のぞぞげはおいといて…カレカノの思いっきり甘~いシーンを少女漫画チックに描いときゃいいんじゃないっすか? 坊やの妄想シーンなんでしょ? 」

 分かってんだよ…そんなことはぁ…。
そんなもんへたに描いたら女性週刊誌のエロ漫画になっちゃうんだよ!
………。
へたに…そっか…描くのやめちゃおう…。
うん…ここは花蓮のアップ…。
坊やの頭ん中は花蓮でいっぱい…ってことで…。

 「よっしゃ! 次行くぜ…。 」

 次行く前に飯! 呼んだのが聞こえねえのかよ。 
扉のところで滝川が不機嫌そうにみんなを睨んだ。



 相庭玲人…相庭の次男にして相庭の分身…。
顔立ちは異なるものの鋭い目つきと性格をそっくりそのまま受け継いでいる。
 体型的にはごく普通の今時のお兄さん、どこか飄々とした雰囲気を持ちながらも存在感だけは抜群だ。
 父親と同様、あちらこちらに知り合いが居て、あらゆる方面に顔が利く。
相庭が自分の子どもの中で、特にこいつと定めて鍛えてきただけのことはある。

 相庭はもともと西沢の祖父巌が何処からか連れてきた男だ。
西沢が生まれるほんの少し前のことで、西沢家に来た端はしばらく巌の秘書などをしていた。
 モデルを始めた赤ん坊の頃から親代わりに西沢に付き添うようになり、以来ずっと西沢の仕事の仲介人のようなことをしているが…それ以前のことはまったく分からない。
 大手の企業などが集まる地域にかパブや喫茶店などを持っていて相庭の妻たち相庭一族の女性陣がその営業を任されている。

 経済的に独立しているせいか完全に西沢家に支配されているわけではなく、依頼主が満足するような成果を出すということに徹しているだけ。
 西沢の監視をするよりは、その顔の広さを生かして繋ぎ屋をやったほうが金になるだろうに…なぜこれほど長期に亘って西沢個人に拘っているかについては不明である…まあ裏では時々やってはいるようだが…。

 玲人はここ5~6年姿を消していて最近やっと戻ってきた。
何処に行っていたのかは謎のままだ。
 ちょっと修行に…ってな具合で適当にはぐらかしてはいるが、顔繋ぎのためにあれこれ動いていたことは間違いない。
 
 「まあ…きみたちはクラブや事務所に属しているわけでもないし…まったく個人のバイトだから他から仕事が来ることはほとんどないだろうけど…。
妙なやつらに騙されたり利用されたりしないように玲人を仲介に置いとくから…。
僕と滝川以外の仕事は玲人を通したものでなければ受けちゃいけないよ。 」

 そう言って西沢は玲人という男を亮とノエルに紹介した。
よろしくお願いします…とふたりは頭を下げた。

 「こちらこそ…可愛いおふたりさんをお預かりできて光栄です…。
仕事がなくったってそれはそれで…日々無事過ごせてると思って頂ければ幸い。
 世の中には坊やたちのような素人さんから生き血を吸い取ろうって吸血鬼がわんさといますからねぇ。 」

 玲人は鋭い目を細めて笑った。
亮もノエルも玲人が自分たちの稼ぎで雇えるような男じゃないと分かっていた。
西沢に多額の負担をかけてしまうことになってひどく困惑した。
特に亮と違って西沢との血の繋がりもないノエルの戸惑いは大きかった。

 「ほんと可愛い坊やたち…先生のお財布の心配をしておいでだ。
大丈夫ですって…先生にはお祖父さまの遺されたものがおありで…一生遊んでても食うには困りません…。
 それに先生も結構稼いでいらっしゃるんだし…私への手数料なんて高が知れてますって…。 」

 玲人はさも可笑しそうにふたりに向かって言った。
ふん…と滝川がそっぽを向いた。
英武とは別の意味でこのふたりは仲が悪そうだ…とふたりは思った。

 連絡方法やら何やらふたりに細々説明した後で…それじゃよろしく…と玲人が帰ってしまった後で、滝川はえらい剣幕で西沢に詰め寄った。

 「監視をもうひとり増やしてどうすんだよ! あいつはおまえの依頼を引き受けるついでに相庭の後継は自分だと体よく名乗って出てきたんだぞ! 」

 何も自分から鎖を増やすことはないだろう…と滝川は憤慨した。  
滝川を宥めるように西沢は静かに笑った。

 「僕に…それだけの価値が…在るんだろうさ…。 
どの道…相庭が引退すれば玲人がそれに代わる…遅いか早いかだけのことだ…。
 それに…僕も相庭親子には仕事を頼みやすい…。
僕個人の情報を外に流すようなことはしないし…なんでも心得ていて説明の必要がないし…ね。 」



 西沢の心配が形となって現れたのは、あの高級チョコレート店がこの夏の新商品を発表してすぐだった。
 今度はトロピカルフルーツチョコ詰め合わせ『AFFAIR』のパッケージ…。
まるで映画の回想シーンを思わせるような点描状の淡い色彩に加工された写真が嵌め込まれている。
 砂浜を模した色砂と美しい貝殻を背景にふたりの半身が浮かび上がっている。
ノエルは眼を閉じた横顔以外はほぼうつ伏せ状態で肩から背中のラインが艶かしい…亮は仰向けで顔をノエルの方に向けている…薄目を開けて愛しげに。
 ふたりの身体は離れているが亮の身体の上で重ねあった手がついさっきまでのふたりの関係を想像させる構図になっている。

 書店には例の如く木戸がチョコを持って駆けつけ、店長や吉井さんだけでなく奥さんまで登場して新しいチョコの試食会になった。 

 ノエル可愛い~! 男の子には絶対見えないわよね~!…と吉井さんと奥さんは上機嫌でノエルの写真を眺めあい…どちらかと言うと刺身のつま状態の亮は…亮くん結構いい身体してんじゃないの~くらいのお言葉を賜った。

 夏場らしく…冷やして召し上がれ…とお勧め書きのついたこのチョコレートがまた女性客に馬鹿売れして、パッケージを二回も飾ったこのモデルたちは誰…という声があがった。
 あんまり有り難くないことには、何処から聞こえていったのか亮が西沢紫苑の弟でノエルはその友人ということが知れ渡り、実力があってそれをきっかけに売り出すつもりならともかく、ど素人としては嬉しくない方面の方々の目に留まった。

 勿論…玲人が早急に動いてふたりがまだ何も知らないうちに片を付けたが、玲人が居なければちょっとばかり難しいことになっていたかも知れなかった。 

 まあ…玲人の言葉じゃないが日々無事過ごせるだけ有り難いってことだよ…。
ことが穏便に済んだ後でふたりに危険が迫っていた事実を話した西沢は、そう言ってさらなる注意を促した。

 唖然としているふたりに…今回はことが起こる前だったからおふたりは何も知らなかったんだけど…これから先も妙な連中に引っ掛からないように…甘い言葉に乗っちゃいけませんぜ…必ず私を通してください…と玲人は言った。






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現世太極伝(第三十九話 ありのままを愛して…。)

2006-04-03 20:22:47 | 夢の中のお話 『現世太極伝』
 トーク番組の収録の後、相庭と簡単な食事をして次の仕事の予定を聞きいた。
相庭がまた西沢の気に入らない仕事を幾つか引き受けていることに、それとなく皮肉を言っておいて西沢はその場を後にした。

 相庭は決してひどい仕事を持ってくるわけではないし、引き受けておけばそれなりの見返りがある。
 掛け出しなら喉から手が出そうなくらい美味しい話だってたくさんあるのだ。
ひと言ふた言文句は言っても西沢が引き受けるのはそれなりのメリットがあるからで、相庭はそれをよく心得ている。

 何しろ西沢が赤ん坊モデルの時からの付き合いだから、相庭の中には西沢についての百科事典並みの情報が詰まっていると言っても過言ではない。
 しかも相庭は自分に何かことがあった時に西沢が困らないように…と言うよりは西沢家に迷惑がかからないように…自分のスペアを用意している。
 相庭の子どもの中でも相庭二世と噂に高い次男玲人(れいじ)は相庭以上に相庭らしく西沢にとって手強い相手だった。

 マンションの地下駐車場に車を止めた後、一旦マンションの外に出て部屋に灯りが点いていないのを確かめた。
 亮やノエルが来ていないのを確認すると駅前に向かって歩き始めた。
誰も来ていないなら駅前のパブでちょっと一杯引っ掛けてこようかな…などと会社帰りの小父さんっぽいことを考えていた。

 が…突然…背後に争いの気配を感じた。
西沢は来た道を引き返し亮の家のある方へ向かった。
 マンションを越した次の交差点の小さな公園の近くで、中年の男が数人の若者に取り囲まれていた。
オヤジ狩りか…と一瞬思ったが能力者の集団であることがすぐに分かった。
 中年の男は能力者としてはそれほど強い力を持っているわけではないが、腕っ節は強いと見えて襲い掛かってくる連中を次々と薙ぎ倒していた。
これは…なかなか…小父さま…かなりできますね…。

 しかし…若者たちの中にちょっとした能力の使い手が居て男は動きを封じられてしまい、あっけなく地面に転がされた。
おやおや…このまま放ってはおけないね…。

 西沢はそれらの若者を逃がさないようにそっと彼等に近付いた。
極力近くまで行ったところで彼等を一斉に捕らえた。
 動けなくなって驚き慌てている若者たちを可笑しそうに見つめながら彼等にかけられた暗示を素早く解いていった。

 若者たちは夢から覚めたようにあたりを見回すと、時計を覗いてやべぇこんな時間だと言わんばかりに急ぎ慌てて帰って行った。

 「大丈夫ですか…? お怪我は…? 」

 西沢は男に声をかけた。
男はうんうんと頷いていたが、転んだ拍子に足を怪我したようで破れた背広のズボンが痛々しかった。

 「有難う…どうやら助けて貰ったようだ…。 」

 そう言ってよっこらせ…っと立ち上がったものの、男の片足は相当痛むようで歩きにくそうだった。

 「この先のマンションが僕の家なんです。 お立ち寄りください。
痛みくらいはとって差し上げられるかもしれない…。 」

 西沢はそう言うと男の肩を支えた。
男は申し訳ない…と礼を言いながらも西沢の好意に甘えることにした。



 居間の絨毯の上に座って男が敗れたズボンの裾をたくしあげてみると、強く打ち付けたためにかなり内出血している上にひどく擦り剥けた皮膚が現れた。
骨は折れてはいないようだったがパンパンに腫れていた。

 「僕の友だちが来ているとこのくらいの怪我はあっという間に治してくれるんですが…僕の力ではせいぜい痛みを取るくらいがやっとです。 」

 申し訳なさそうに言うと西沢は応急の治療を始めた。
しばらくすると皮膚の剥けたところが乾燥してきて瘡蓋状態になった。

 「少しこのまま休んでいてください。 多少なりと腫れがひいてきますから。」

 そう言って立ち上がり、西沢は奥へ引っ込んだ。
瘡蓋になって表面のひりひり感が薄れたので男は少し楽になった。
自分の周りを見回す余裕が出てきた。

 男ひとりの所帯にしては随分と片付いた部屋だった。
洒落たサイドボードの中には高級そうなガラス器や洋酒が収納されてあり、上には小さな絵や写真が飾られてあった。
 それと対になった本棚の方には主の趣味を思わせる…見るだけで頭の痛くなるような専門書が所狭しと並んでいた。

 その前にその場にそぐわない本が二冊ほど無造作に置かれてあることに男は気付いた。
 背表紙に大きな文字で『Noel』と書かれてあり、本の価値を台無しにしているように見えた。
 名前を書いちゃいかんとは言わんが…書く場所を考えろ…。
男はけしからんとでもいうように溜息をついた。
 
 「如何ですか…? 」

 西沢に声をかけられて男は振り返った。
茶器をお盆にのせて運んできた西沢が具合を窺うように男を見ていた。
 訊かれて初めて気付いたが先程よりは腫れも引いてきており、痛みもかなり和らいでいた。
 随分楽になりました…と男は答えた。
それはよかった…と微笑みながら西沢はお茶を勧めた。
 
 「西沢…紫苑さんですな…? ノエルがいつもお世話になっております。
ノエルの父で高木智哉と申します。
私までが面倒をおかけして誠に申し訳ないことです…。 」

 座りなおして挨拶しようとするのを…どうかそのままで…と止めながら西沢は…そう言って頂くほどのことは致しておりません…と軽く頭を下げた。

 「ノエルの仕事を…ご覧になりませんか? 」

 西沢はまた立ち上がって仕事部屋に入り、何冊かのスケッチブックを持って戻ってきた。
 躊躇う智哉に開いて見るように促した。
智哉は少し間をおいてスケッチブックの表紙を開いた。

 そこには西沢の描いた様々な姿態のノエルの姿があった。
ちょっと振り返った時の仕草…笑い転げる様子…眠る姿…ふと見上げる顔…。
何年か前まで智哉がその眼で見つめてきたノエルがそこに居た。
智哉は思わず眼を細めた。

 勿論…あのチョコレートの絵もあった。
父親としては赤面してしまうような…亮との絡みのポーズも…。
幾つかの裸体のデッサンも…。

 「ノエルの仕事は…ここでは僕の描く人物の身体の動きや表情を実際に表現してもらうことです。
 イラストの中の人物の顔自体は僕が創り出したものですが、ノエルのおかげで表情も動作もリアルに描くことができてとても助かっています。

 滝川のところでは広告やパッケージに使う写真などを撮っているようです。 
幾つか滝川に見せて貰った限りでは僕の眼から見てかなりいいできだと思いますけど…。 」

 西沢はそんなふうにノエルの働きを評価した。
智哉は黙ってデッサンを見つめていた。
女性役のノエルの姿に戸惑いは覗えるが、いかにも温かい眼差しを向けて…。 
 
 「今は僕と滝川だけの個人的なバイトをお願いしているのですが…作品が公開されている以上は他からも声がかからないとは言えません。
 そうなると…本職が相手ではとてもじゃないがうまく立ち回る事なんてできないでしょうから…近く代理人をつけることも考えています。 」

西沢が今後のことを話すと…いいえ…というように智哉は首を横に振った。

 「こういう仕事は…できればあなたと滝川さんの依頼だけにお願いしたい。
バイトならまだしもそれで食っていけるような世界じゃない…。
範囲を広げることには反対です…バイトを辞めろとは言わないが…。 」

西沢は…その点はご安心を…と笑みを浮かべた。

 「それで食べていくほどの力は…残念ながらふたりにはありません。
僕が心配しているのは…彼等の若さにつけこんで騙しにかかる連中が出てくる可能性があるということです。
 なに…ご心配には及びません。 時が来ればノエルも自分に適した世界を見つけることでしょう。 
 それまで護ってくれる者をつけておいてやろうという…僕の親心ですよ。
そういう点では彼等は恵まれている…。 」

言いにくいことを随分はっきり言う人だと…智哉は思った。

 「有り難いことです…。 ですが…なぜそこまでノエルのことを想って下さるのでしょう?」

 智哉は疑わしげに西沢の目を覗き込んだ。
西沢はさらに穏やかに微笑んだ。

 「ノエルが自暴自棄になることのないようにと願ってのことです。
かつての僕がそうであったように…彼は自分の存在意義に疑いを抱いています。
存在する価値がないと思い込み自分を大切にできないでいるのです。

 僕の場合は亡くなった母から要らない子…と言われたことからでしたが…ノエルの場合はもっと酷い…。
 身体のことで一番ショックを受けているのはノエル自身なのに…ケアされることもなく突き放されたままで…相談する相手もなかった。

 単純に男と思われていた時のノエルは大切な跡取り息子としてあなたに惜しみない愛情を注がれていた。
 ところが両性具有が分かるとあなたはノエルに対して、まるでそれがノエルの責任でもあるかのような態度に出るようになった。

 ノエル自身は以前と変わらず元気な男の子なのに…それだけで十分なはずなのにあなたはさらに男らしくなることを強要した。
手術まで持ち出して…。

 心の逃げ場のないノエルはそういう身体の自分は父親にとって価値の無い存在…そう思い込んでしまった。

 木之内亮という逃げ場ができて…仕事で僕や滝川の役にも立って…書店でも重宝されて…ノエルは随分楽しそうな顔を見せるようになりました。
 自分の存在価値が少しずつ見えてきて自信もついてきた。
ありのままで良いんだ…と少しずつ思えるようになってきたんです。 」

 西沢は特に激することもなく淡々と語った。
青二才が私を責めようというのか…静かに西沢の話を聞きながらも智哉は内心腹立たしく思った。

他所の家庭のことに首を突っ込むとは…こちらの事情も知らぬくせに利いたふうな口を抜かすな…。

声には出さないそんな怒りの言葉が西沢には読み取れた。

 「あなたの心配は分かります…。 ノエルを見ていると時には女かと思うような仕草や振る舞いをすることがある…。
 ですが…それは傍から見ての事で…本人は変わらず自分は男だと認識している。
あの身体だから男と寝ることも可能でしょうが…そうしたとしても自分が女だという意識はまったくないと思います。
ありのままに思うままに行動しているだけで…。

 ありのままを受け入れられないのは親であるあなた…ですよ。
あなたにもそれなりの言い訳はあるのでしょうが、あなたが一番ノエルを愛している人なのだから…少しだけ見方を変えてあげてください…。
あなたが受け入れてあげないと…ノエルは自分自身を受け入れることができない。

 母が亡くなった為に…生きていてもいいのだろうか…という疑問の答えを僕は聞くことができなかった。
 このまま生涯…僕の中にそれは残るでしょう…。
最も…自分では生きてて当然…と勝手に答えを出していますが…それはあの人の出した答えじゃない…。

 どうかあなたは…ありのままのノエルを愛していると言ってあげてください…。
あなたがこの世にあるうちに…。 」

 よくしゃべる男だ…と呆れながらも智哉にも西沢の誠意だけは伝わってきた。
西沢の言うことも分からなくはない…。
 しかし…未来を託すべき最愛の息子が半分女だったと知らされた時に動揺しない父親がいるだろうか…。
 最初から分かっていれば何とか諦めもつくが…十六年も完全な男として育ててきたものを…そうだったんですかで片付けられるわけがない。

 智哉とすれば自分の妻の態度すらも解せなかった。
それならそれで仕方がない…要はこれからをどうするかよ…などと妙に割り切ったようにノエルに話していた。

女というのは変なところで度胸が据わるからなぁ…。

智哉は割り切れない思いをひとりで抱えるしかなかったのだ…。

 「あなたがノエルのことを親身に考えてくださっているのはよく分かりました。
有り難いことだと思います…思いますが…私の胸のうちは複雑です…。 」

 大きな溜息を吐きながらそう智哉は西沢に言った。
西沢は決して智哉の思いを否定しなかった。

 「そうでしょうね…。 僕としてもあなたを責めているわけではありません…。
どうか以前のお父さんに戻ってください…とお願いしているだけで…。 」

 以前のお父さんに…以前の自分はノエルにどう接していたのだろう…。
あれから三年余り…いや…四年近いか…。
 ずっとノエルとはまともな口を利いていない…口を開けば小言か喧嘩だ…。
喧嘩にもならない時が多かった…。
 
 智哉はぼんやりとそんなことを考えながら…お節介な西沢の包み込むような笑顔を眩しげに見ていた。
  

 

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現世太極伝(第三十八話 利用された顔)

2006-04-02 17:20:29 | 夢の中のお話 『現世太極伝』
 活けたばかりの花々の全体のバランスを見ながら旭は…よし…っと頷いた。
出窓に置かれたその水盤の花々を時々遠目に観察しながら、大切な道具類をてきぱきと片付けた。

 時計を見る。約束の時間まであと少し…。

 注文の品が届いたら何処に飾ろう…。
居間でも良いけれど…季節物だし…季節に関係なくいつでも見ることができる場所なら…寝室かな…。

 少し前にあの絵を買いたいと仲介人に申し出た…。
仲介人は何回も交渉してくれたようだけれど…結局…あの絵は手に入らなかった。
 その代わりに少し小さいサイズのものでよければ同じテーマのものを描いて貰えると回答があった。

 少し残念だけれど…それもオリジナルには違いない。
それに現物を見て気に入らなければ返してもいいという話しだし…。

 仲介人は今日の10時頃と時間を指定してきた。
旭は少しだけカーテンの陰から外を覗いて玄関先にあの仲介人の姿を探したが、まだ誰の影もそこにはなかった。

 まだ少し早いから…と部屋の真ん中辺りまで引っ込んだ時、車寄せに車の止まる音がした。
 旭は慌ててインターホン受話器を取りながらモニター画面を見て唖然とした。
そこに映っていたのは仲介人ではなく画家本人だった。

 急いで玄関の扉を開けると…画家…西沢はにこっと笑いながらご注文の品をお届けに上がりました…などと何処かの配達員のような口を利く。

 西沢の意図は分からないが旭は取り敢えず応接間に通した。
ソファを勧めておいてお茶を淹れに走った。

 どうなっているんだろう…本人が来るなんて聞いていないし…。
お茶を淹れながら深呼吸して動悸を抑えた。

 数分後…落ち着いた顔を取り戻した旭は、品のいいティーセットをお盆にのせて応接間へと戻ってきた。
 旭の趣味で設えられた英国風インテリアの部屋の中で西沢はひとつの絵のように溶け込んで見えた。 

 「その節は素晴らしい贈り物を頂戴いたしまして有難うございました。
少し遅くはなりましたが心ばかりの御礼を…と思い立ちまして参じました。」

西沢は口上を述べると美しい包装用紙できちんと包まれた箱を差し出した。 

 「ご笑納頂ければ幸いに存じます…。 」

旭は恐縮してそれを受け取った。

 「御礼など考えて頂かなくても宜しかったのに…無作法ですが…拝見させて頂いても宜しいでしょうか? 」

 西沢はどうぞ…と微笑んで頷いた。旭は丁寧に包装紙を開いていった。
固めの箱の蓋を開けると額に嵌め込まれて飾るばかりになっているあの絵が入っていた。旭が仲介人を通じて注文したものに違いない。
 仲介者の言っていた通り少し小さいサイズだが、レプリカではなく紛れもなく西沢が描いたあの雪の夜の絵…もとの絵を思い出してみてもまったく違和感を感じさせない。
 
 私は今…そこに居る…雪明りの夜の景色の中に…。
最初に居たあの場所から…少しだけ歩いてみた…ここもまた静寂…。
旭は再びあの不思議な感覚を覚えた。しばし眼を閉じて雪と夜のその感触に浸る。

 「素晴らしい…。 でも…本当に頂いてしまって宜しいのでしょうか?
仲介人さんを通じて依頼したものなのですが…。 」

 心配そうに旭は訊ねた。
西沢はさらに相好を崩して頷いた。

 「ご懸念には及びません。 
相庭は画商ではなく僕のマネージャーみたいな存在で、商売にならなくてもそれなりの手間代は手に入ります。
 さらに言えば…僕を監視するために養父がつけた間諜ですから給料は僕と養父から二重取りしています。
気にしないで下さい。 」

 間諜…冗談がお好きなようだ…。
旭はそう言って笑った。

 「西沢先生…一度お伺いしたいと思っておりました。
先生はなぜ太極の望まれることをご存知なのですか…? 」

 ふと思い出したように急に真顔になって旭は西沢に訊ねた。
西沢は亮やノエルのことには触れず、西沢と太極との対話がずっと続いていることを打ち明けた。
 両極のバランスの崩れが深刻化していて、このまま是正されなければやがては太極消滅の危険性があること。
 是正のためには両極の協力が不可欠であるにも拘らず、二手に分かれた能力者同士が勢力を争っているため、ますます崩壊が助長されていること。
 意思を持つエナジー…気たちがそれを憂えて、人間を消滅させるか否かを真剣に考え始めていること…などを掻い摘んで話した。

 「両極同士の争い…と以前にも仰いましたが…解せぬことです。 
時折…桂のところの過激な連中が邪魔をするのでそれを撃退することはありますが…特にこちらから誰かを攻撃させるような指示は出してはおりません。

 確かに若い人たちに崩壊の危機にある地球の自然についてよく話はします。
両極を引き合いに出して生命エナジーのバランスについても説明し、バランスを保つためにはどうするべきかを考えてもらいます。
私は啓蒙と考えておりますが…まあ…暗示と言われればそうかもしれません。
 
 そうした活動を始めたのは私が植物を相手に仕事をしているからです。
草木一本一本に宿る命を蔑ろにしてはならないという私なりのコンセプトによるものなのですが…生徒さんやそのお知り合いはともかくも無関係な方を力で無理やり引っ張ってくるようなまねは致しておりません。

 あなたのお知り合いの亮という学生が誰かに狙われていたという情報は聞いていますが、それも決して私の命じたことではありません…。 」

 良心にかけて恥ずべきことはしていない…旭はそう断言した。
嘘ではない…と西沢は感じた。

 「では…このところ若手たちの争いが大人たちに波及して自然保護などの趣旨とは無関係なところでの争いに発展してしまっていることもご存じない…? 」

旭は眼を丸くした。まさか…そんな馬鹿なことが…。

 「私はただ…特殊能力を持つ若い人たちに地球の危機的状況を警告し、その力を以って回避に努めさせるように陽の気から啓示を受けたに過ぎません。
桂も同じことだと思いますが…。 
 私たちは謂れのない攻撃を防ぐために戦うことはあっても、自分から相手に争いを仕掛けたりはしません。 」

とんでもないことだ…と旭は嘆息した。

 「宮原夕紀という少女は…あなたにとって使者のような存在なのですか? 
以前…彼女を訪ねて大学の方へも行かれたようですが…。 」

 西沢は夕紀の名前を出した。
これも旭には心当たりのないことだと見えて…えっ?…と聞き返した。

 「私が…大学へ…? 宮原さんは生け花の生徒さんで週二回ほど教室にいらっしゃる熱心な方ですけれど…こちらからお訪ねするような関係ではありません。」

 動いているのは…旭の姿を借りたあの意思を持つエナジー…か…。
桂の方もその可能性が大きいな…。
 活動の拠点を作らせておいて…ふたりのもとへ集まってきた能力者を勝手に利用しているわけか…と西沢は考えた。
 直行が早まった行動をしていたらとんでもないことになっていたな…僕のところで止めておいて正解だった。

 「紅村先生…お気をつけ下さい…。 どうやらあなたの顔を利用しているものが居るようです。
 啓蒙された若手をあなたの知らないところで勝手に動かしています。
これまでの経緯から推察すれば…彼等は人間の存続よりも滅亡の方向に意思を傾け始めているのかも知れません。 」

 旭は愕然とした。地球のために良かれと思って始めた自然環境保護の啓蒙活動をそんなことに利用されているとは…。

 「信じ難いことですが…言われてみれば思い当たるようなことも…。
このところ出かけても居ない所で私を見かけたなどと言われることがあるのです。
見間違いだろうと気にもしていませんでしたが…。 」

 何だか背筋の寒くなるような話だ…。
旭の知らない内に旭の顔だけがひとり歩きして人類の滅亡に加担している…そんなこと望んでも居ないのに…。

 西沢の言うことを単純に鵜呑みにはできないけれど…一度きちんと仲間たちの動きを調べておく必要がある…と旭は思った。
特に…宮原夕紀という少女のことは…。



 お疲れさま…の言葉とともにシャッターが閉まって本日の勤務も終わり…。
冷房の効いた店内とは異なって外の空気は重く暑苦しい。
駅前のコンビニで冷たいジュースやパンなどを買って亮とノエルは家に向かった。
 西沢が出かけているので今日はマンションには寄らない。
店長に借りた極めてお宅っぽい恐怖もんのRPGを攻略する予定。
ふたりは冗談口を叩きながら楽しげに歩いていた。

 ふいに…木之内くん…と後ろから男の声がした。
振り返ると亮の知らない中年のわりと体つきのがっしりした男が立っていた。

 「親父…。 」

 男を見てノエルが驚いたように言った。ノエルの父親…高木智哉だった。
こいつがノエルを悩ませる父親か…と思いながらも亮は一応丁寧に智哉に向かって頭を下げた。

 「ノエルがいつも泊めて貰っているそうだね。 世話をかけて申し訳ない。 」

 智哉も小さく頭を下げた。
何の用だよ…とノエルは思った。

 「いいえ…僕はひとり暮らしなので…ノエルが来てくれると楽しいです。
たまに帰ってくる父もノエルのことは歓迎してます…。 」

亮のその言葉を聞いて智哉は…そうか…というように頷いた。

 「きみに訊いておきたいことがあってな…。 」

口調は穏やかだが友好的でないことは確かだった。

 「きみがどちらのノエルと付き合っているのか…ということをだ。 」

 えっ…どちらって…? 亮は一瞬問われたことの意味が分からなかった。 
が…すぐに気付いて憤慨した。

 「どちらもこちらもノエルはひとりです。 
何もかもひっくるめてありのままのノエルと付き合っています。
いけませんか? 」

 亮はそう訊き返した。
智哉は瞬時ひるんだ。

 「いかんことは…ないが…高木家としてはノエルはあくまで男…。
きみが異性としての感情を以って付き合っているとすれば…放っておくわけにもいかんからな…。 」

ほっといてくれ…とノエルは胸のうちで叫んだ。

 「僕は高木家の人間ではないので…ごく自然な関係を続けるだけです。
そんなふうに男だ女だと拘ってしまったら…恋人はおろか友達を作ることもできずにノエルは本当にひとりぼっちになってしまう。
 
 そんな孤独な人生を送らせたいですか…?
僕なら願い下げだ…。 」

 ノエルの父親を前にしたら積もる不満でもっと感情的になるだろうと思っていたが、自分でも不思議に思うくらい亮は淡々と話していた。
 
 反感を持っているかもしれない年上の男に対して決して眼を逸らさない亮の不敵な態度は下手をすれば生意気とも取られる虞があった。
が…智哉はふたりの前でそれに腹を立てているような気配は少しも見せなかった。
 じっと亮の顔を見つめていたが納得したかのように無言で何度も頷いた。
何を納得したのかは謎だが…。

 「きみの考えはよく分かった。ノエルはまだ当分きみの世話になるんだろう…。
厄介をかけて申し訳ないが…よろしく頼む…お父さんにもそうお伝えしてくれ。
引き止めて失礼した…。 」

亮にそう詫びの言葉をかけるとゆっくりと智也は踵を返した。 

 「ノエル…無遠慮な振る舞いをするんじゃないぞ! 面倒かけずにな! 」

 ノエルの顔を敢えて見ることもなく厳しい口調でそれだけ言い渡すとそのまま振り返らずに帰って行った。

 「行こうぜ…。 」

 じっとその背中を睨みつけているノエルに亮は笑顔で声をかけた。
うん…と答えながらノエルもつられて笑顔を見せた…。






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