江差追分節の名誉師匠の青坂満さんが昨年7月に88歳で亡くなった。
江差の街からちょっと離れた沖合に、鴎が翼を広げたような姿から名付けられた『鴎島』が浮いていた。
青坂さんはその島の入り口に住んでいた漁師だった。潮風で真っ黒に陽に焼けた顔がジャケットになったCDが送られてきた。
有志が青坂さんの江差追分節の保存と伝承に尽力した功績を讃えて銅像を建立することになり事務局が資金を集めていることを北海道新聞の記事で知り、本当に僅かばかりだが参加させていただいた。
CDはその返礼品だった。
最初の任地の江差町に住んでいた時に青坂さんのLPレコードを持って鴎島のお宅を訪ねたことがあった。「したことないなぁ」と照れくさそうな顔をしてサインをしてくれた。江差追分が好きだった母へのプレゼントだった。
もう50年近くの時間が流れた。写真を見ているとついこの間のように思い出される。
信州の馬子唄が漁師とともに伝わったとされる江差追分には多くの師匠がいたが、波と潮風に揉まれた哀愁を帯びた“追分の味”は最後に青坂師に師事しなければ身につかないと言われた名人だった。
久し振りに前唄、本唄、後唄を通して聴いた。6年半を暮らした江差の街、新米公務員として桧山管内をかけ回っていた日々が重なり、何だか涙が出た。
逸話がある。青坂さんは1968年(昭和43年)の第6回の江差追分全国大会の優勝者である。地元の人は青坂さんの歌を大会で何度も聴きたくて優勝を遅らせたのだという。
銅像は一周忌の今年7月14日に『鴎島』に建立される予定。
いつの日か次の「故郷を訪ねる自転車旅」の楽しみが出来た。
☆2005年 北海道文化賞と北海道新聞文化賞、2008年 北海道功労賞☆
《手前の鴎島から江差の街を望む 観光協会資料より》
問い合わせ先;「青坂満師像建立委員会(会長 松村隆)」事務局 080-9288-6544 小田島 訓 様