渋沢栄一の孫で栄一が礎を築いた数多の事業を継いだ敬三は、大蔵大臣の時に敗戦後の復興のために国民に財産税を課した責任を取って、祖父栄一から引き継いだ資産の大部分を自主的に国に税金として供出し、自身は邸内の小さな住宅を改造して住んでいたという。(「宮本常一と民俗学」森本孝著 2021.9)
この本の著者が今年2月24日、ウクライナ戦争が始まった日に亡くなられたことを知り、読み返していてこの下りでページを捲る手が止まった。
「適正な分配」を政策の基本に、「資産課税の見直し」も公約していながら自身の政権維持のために簡単に反故にしてしまった岸田首相や利潤は貯め込むしか能の無い経済界のお歴々、労組貴族に成り下がった連合幹部とのあまりのレベルの違いを思った。
森本孝氏は宮本常一のやり残した日本の船と漁具の収集をライフワークとし、JICAで途上国の水産指導にも当たっていたが病を得てしまう。
余命宣告を3度も受けながら病床で命を使い切って、傾倒する日本の代表的民俗学者である宮本常一の足跡を宮本の目線で辿るというユニークな書物を遺した。
その対象となっている宮本常一を22年間に亘って「食客」として物心両面で支え続けたのも〝民俗と民族〟の研究者でもあった渋沢敬三だった。
地域の古老からの聴き取りを通して、歴史、伝統文化そして地域の振興にまで考えを巡らした独特の〝宮本民俗学〟は後に山村振興法、離島振興の制定に繋がっている。
「忘れられた日本人」(宮本常一著 1984年)に詳しい。
〝宮本民俗学〟の「常民」という言葉が好きだ。
これも渋沢敬三の造語とされ、貴族、武家、僧侶以外の人びと、農村や漁村、町に住む一般の人びとをさしている。
名も無き人びとに寄り添った優しい目線が渋沢敬三、宮本常一、森本孝の系譜に脈々と流れていることをあらためて感じることが出来た。
歴史、民俗文化は民衆ひとりひとりの営みが重なって形成されるものであることを森本孝氏の遺作は伝えている。
今の社会、政治で致命的に欠けている目線ではないか。
2019年の自転車旅の時に宮本常一の「私の日本地図」-壱岐・対馬紀行-を読んでからこのBlogのカバー写真になっている対馬に出掛けたことがあった。
また読み返してみたい。