「安倍国葬」は経費や功績の以前の問題として、法的根拠が無く、税金の支出に国会の議論も無いことが絶対反対の理由だ。
ずっ法曹界などから問われ続けている、
・根拠となる法律が存在せず、法治主義国家としての基本法理である『法律による行政の原理』に抵触する。
・政府が法的根拠としている「内閣設置法」は「組織規範」であり、国葬実施の根拠法にはならない。
・国葬実施は内閣の職務を列記した憲法73条のいずれにも該当せず、内閣の権限外の事項である。
・国葬の実施には税金が支出され、「税金の使途は国会の議決に基づかなければならない」という「財政民主主義の原則」(憲法83条)の観点から問題がある。
・「国全体として弔意を示すべき」として国葬を実施することは思想信条の自由(憲法19条)を侵害することになりかねない。
という問題点について、即断した岸田首相から何一つ納得出来る説明は無く、会場費〝2億5,000万円〟だけを一人歩きさせている。
「これくらいで済むなら・・・」という日本人が弱い情実に訴える魂胆が丸見えだ。
自分の考えを持たない岸田首相が「安倍国葬」を決めたとは到底思えない。
では吹き込んだのは誰なのだろう。
「やらないのはバカだ。」と言い放った二階元幹事長ら反主流派の自民党長老だとすれば、自民党内のドロドロとした遺恨を国政に持ち込んでいる点でもはや民主国家ではない。
国葬をテコに政権基盤を安定させたかった岸田首相を勇気づけたのは、内閣法制局の「吉田茂の先例があるので閣議決定で大丈夫」、財務省の「国会審議をスルーし易い予備費の利用」という進言だったのだろう。
役人を責めるのは簡単だ。
一国のリーダーとして浅はかというよりない。
本来、政治の行き過ぎを冷静に制御しなければならない霞が関行政機関が深刻な機能不全に陥っていることがいよいよ明らかになった。
このことの国家的損失は国民が被る。
これも安倍政治の負の遺産である。