PS.昨日(3/23)のゼレンスキー演説は日本を研究し尽くし、答案の書けるような優しい問題を出す先生の優しさがあった。
「日本は休戦調停に積極的に動いて欲しい」と言われたら・・・雁首を揃えた国会議員センセイはホッと胸を撫で下ろしたことだろう。裏を返せばあまり期待はされていないということか。。。
今日、ウクライナ戦争は29日目を迎えた。アメリカの特殊部隊はどこにいるのだろう。
2018年4月13日
前日、到着した花蓮のホテルでフロント男性が電話で話してきたことは、廊下に消毒液を噴霧したばかりなので、30分は室外に出ないで欲しいということであったらしい。後で別のフロント女性にゆっくり英語で話して貰って分かった。
朝食でバイキングの野菜をたっぷり食べる。旅行中のアメリカ人ご夫婦が一緒だった。世界旅行らしかった。
9:00 バスで日帰りの太魯閣(コロコ)渓谷観光に向かう。太魯閣渓谷は地震が多く、前年にも国際的なニュースになる巨大地震が発生して、市内の大きな建物が倒壊した。
渓谷は落石による人身事故も起きていたので自転車はやめて、バスで久々に休養することにした。
《観光Hpより》
太魯閣渓谷は花蓮県北部の国立公園で、2,000m級の険しい山々に囲まれた大理石の峡谷だ。川が削って出来た切り立つ断崖絶壁にへばりつくように道路が走っている。
人力だけの難工事は3年10カ月を要し、212名が殉職したという。 人間の底力は凄いものである。
《資料館》
「タロコ」とは台湾原住民タロコ族の言葉で「連なる山の峰」の意味という。台湾の中でも人気の観光地になっている。
かつては山中に79の集落があったそうだが、日本の統治下に置かれ、戦後になると彼らはこの地を離れていった歴史がある。
見物には徒歩の場合は 20km、5時間かかる。 危険箇所ではヘルメット着用が義務付けられていて、有料貸し出しがされていた。
トンネルにはノミ跡が残っている。
ヘルメット無し。
いたるところに岩ツバメの巣穴がある。
所々にお寺があって、郵便局に尼さんがいた。
走らないので昼食はこれのみ。牛シチューのようなものだった。
下流の方には浸食されていない中州に元の景色が残っていた。
昼が軽かったので、夕食はしっかりと摂った。台湾に来て初めて小籠包を食べた。肉の炒め物には常にほうれん草のような野菜が入っている。
桃園空港からの「環島」もゴールの台北まで残り160Kmほどになった。花蓮からウイスキーで有名な次の目的地・宣欄までの100Kmは落石の危険箇所があるため鉄道輪行した。
つづく)
漢字は日本統治が長かったので大体通じるみたいです。鉄道切符を買うときは漢字で行き先を書いていました。台湾の人は本当に親切です。
自然が作る峡谷の美しさはいいものですね。
険しさや壮大さには畏怖と共に畏敬を感じます。
また人力でコツコツとノミを使った作業にも
大きな感動を覚え、人間の力の偉大さも感じました。
楕円と円さんが出会った人たちはどなたも親切で温かい人柄ののようですが、台湾では漢字での意思疎通も多少は可能なんですか・・・