優しく親切な人々。お祭りの屋台のような夜市。エスニックな料理。
大陸側の古い街並みと太平洋側の岩と海。日焼けを2回繰り返した亜熱帯気候。
「環島」も終幕だ。
出会った人々は、中国が掲げる“国家統一”を望んでいなかったと思う。
軍事アナリストの小川和人氏は兵員の海上輸送という科学的根拠から「中国の侵攻はあり得ない」と断言している。
そうあって欲しい。
与那国島と台湾の距離はおよそ110Km、台湾海峡の有事は日本の有事になるのは間違いない。
自分は台湾の観光客にこれほど親切に応対してきたか、平和な台湾であるために日本のやる事は何か、
軍事力ではない。
隣国を思う心と悲劇の未然防止は外交しか無いことはウクライナ戦争が改めて示している。
2018年4月19日
いよいよ4月1日に始めた「環島(ファンダオ)」も帰国の途へ。
息子のいる福岡へ飛び、九響の年度初めの定期演奏会を聴くことにして20日の台湾のLCC(Tiger Air)のチケットを予約しておいた。
20日の飛行機が早朝なので今日は桃園国際空港泊まりだ。そして、、、ハプニングが。
4泊した台北のツーリストホテルの朝食。作ってくれた青年はパリの芸術専門学校の卒業生で、風貌も控えめな性格も日本人のようだった。お世話になり名残り惜しかった。
台北駅構内を自転車を押してMRT乗り場へ。改札口に親切な人がいて切符の自動販売機の使い方を教えてくれて、駅の係りの女性は乗り場ホームまで案内して下さった。最期の最後まで台湾の人の親切心に触れた。
自転車を輪行袋に入れて10:30に出発。
11:00に空港到着。出発ロビーの人通りの少ない場所の壁際に輪行袋とサイドバッグを置いて地下のレストラへ昼食に出かけた。
群馬のご夫婦と一緒になった。
台湾を鉄道とバスでほぼ一周したとか。やはり「千と千尋」の九蓮と渓谷の花蓮が印象深かったという。
久し振りの日本語会話で話しが弾んだ。笑
良い気分でお土産を選んだり、為替窓口に行ったりして2時間ほど経って出発ロビーに戻ってみると荷物が無い!!
盗まれたか、いや、あんな重たいものを誰も持って行かない。などといろいろ想像を巡らす。
兎に角、空港案所所に行った。ところが、日本語も英語も話せないという。そんなバカな。。。
途方に暮れていると、日本語の分かる人に電話を繋いでくれた。
「空港の地下に警察があるのでそこへ行ってみて下さい。」とのこと。
恐る恐る尋ねて警察官に話すと、「自転車はここにある。放置されたままなので不審物として保管している。」とのこと。
良かったぁ!
パスポートを見せ、中国語で何か書かれたA-4版の書類に「サインせよ。」と言うので恐る恐るサインをしたら荷物を渡しくれた。
確かに空港には多くの警察官、民間警備の人が巡回していた。やはり中国との緊張感が漂う。
これは夜も何かありそうと心配しながら到着ロビーのソファーで寝袋に潜った。
2018年4月20日
何事も無く朝を迎えた。
特に問題無く出国。
さようなら台湾!
搭乗待合室へ。早朝6:30発なので空港シヨップはまだ寝ている。
桃園国際空港。
定時に離陸。
眼下に台北の街が見える。機内食は予約制でチキンを頼んでおいた。ずっとワイルドなエスニック料理だったので上品な味がした。
空いていたので座席の肘掛けを立て、ひと眠りしていたら通路に飛び出していた足を蹴っとばされて??
目が醒めた。
体躯の良い女性客室乗務員だった。笑
福岡の能古島辺りのような感じがしたが・・・。高度が下がり、間もなくだ。
10:00福岡国際空港に着陸。3時間30分のフライトだった。
出迎えてくれるという福岡在住のFさんに電話すると、直ぐに現れた。Fさんは九州自転車旅で出会った82才の現役チャリダー。北海道にも来ている。
老舗の鯉料理屋さんに案内してくれて、カンパイした。安堵感がビールとともに身体に広がった。
台湾で出会った皆さん、有り難うございました。 お終い。
(実は、この夏にもう一度台湾へ行きました。ザックひとつで悲話の残る「八田ダム」を見に。いつか書きます。)
旅の最後にもかなり大きなハプニングがあったのですね。
楕円と円さんの記事から台湾の人たちの親切な心や人情がくみ取れる自転車旅でしたね。
それと比べ果たして日本は?・・というところも気になりましたが・・・
「台湾の旅シリーズ第2弾」の烏山頭ダム
の話も是非聞きたいですね。
台湾の人の八田與一さんについての思いや評価のようなものなども聞けたら・・と思いましたので