大谷翔平選手の元通訳水谷一平氏が大谷選手に成りすまして銀行を欺き、大谷選手の口座から24億円以上を盗んで違法なスポーツ賭博の借金返済に充てていたことが明るみになった。まさかあの人が、というショッキングな事件である。
24億円を1,000億円で割ると2.4パーセント。財布の1万円から240円無くなっていても気が付かないと思うが、水原氏は賭けの回数、動いた金銭、負債が巨大になって把握する感覚そのものがが失われてしまったということか。
生活に紐着いたお金で暮らしている身にとって、気付きが及ばない現実味の無い仮想空間の出来事のように思える。
この度の事件で若いころに読んだ吉田十四夫氏の小説『人間の土地』を思い出した。明治期に十勝の荒れ地を開墾して大地主になった主人公が、地平線まで延びた夕暮れの農地を眺めていて、ふと〝人間の土地〟とは何だろうと自身に問いかける。
心と手が届く範囲がそれなのではないかと作者は暗示する。
戦後、農地解放により地主制は廃止された。
考えようによっては30才の若者が10年間で1,000億円を稼ぐということは異常なことではある。それ以上の金を生むと〝踏んだ〟ドジャースが10年間に考えられるリスクを考慮した上での金額提示のはずだからスポーツビジネス自体が大きなギャンブルの世界だ。地平の彼方が見えないほどに広い。
まさか一番信頼していただろう水原氏にこのような形で裏切られるとは大谷翔平は思ってもみなかったことだろう。
これからも塗り替えられ、永遠に残される偉大な記録に常に忌まわしい出来事が付きまとうと考えると、大谷選手に責任は無いが、社会の構造のどこかが歪んでいることの証のような事件である。
アメリカの司法やギャンブル依存症のことより、昨今の極端なお金の偏りを人類社会はこれからどう是正すべきなのか、大きな課題がある。