正月に買って今年ゆっくり読もうと思っている『芦別』に三井芦別鉄道(株)が1949年に設立されたとあった。
自分が西芦別(三井芦別)で生まれた年だ。
三井芦別鉄道は父が当時としては、しかも明治生まれの人間にとっては珍しい〝トラバーユ〟した職場だった。
母から常々、「突然、お父さんから国鉄を辞めて炭鉱の鉄道に行くと言われて驚いた」と聞かされていた。
当時の家の前で撮った家族の写真を見ると3歳〜4歳くらいだから、三井芦別鉄道が設立される頃に転職していたことになる。
戦後、エネルギー源は石炭に傾斜し、炭鉱の鉄道は新しい鉱区が見つかると鉄路を敷設したので技術者が欲しかったことだろう。
7人家族を抱えて父は給料の良い炭鉱に仲間数人と行く決断をしたのかもしれない。
オヤジは口数の少ない人だったので生前昔のことは殆ど話すことは無かったが、人生の一大転機と末っ子四男の誕生という慌ただしい時期に家族のために頑張っていたのだなぁと『芦別』を閉じ、暫し手に抱えていた。
『芦別』の中から知らないことがいろいろ伝わってくる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/96/ee27e5a006a3e6b17b2085a56c87fd70.jpg)
昔から家族を守るための父親の考えや行動は私たちの時代、そしてもう少し若いI.SATOさんたちの時代にも繋がっているのだと思います。
現在は転職が当たり前のような時代かもしれませんが、古いかもしれませんが終身雇用の時代ではなかなか決断のいることですよね。
かくいう私も何の問題もなく安定した企業に20年勤めた後、家族のため・・と言うよりも自分の我儘のために敢えて転職をして家族にとっては不安な時期となっとこともありました。
子供たちがまだ中学生ぐらいでしたのでその後に、再度一念発起・・まさに家族を大切に・・という思いで転職し、落ち着いた状況で定年を迎え、その後は大好きな車の運転を・・と16年間運送業をやったのも良かったと思います。
ご苦労もあったと思いますが振り返って選択に間違いがなかったと思えるのは素晴らしいことだと思います。