飲食店の営業時間がコロナ感染が拡大する前の状態に戻ったので、半年ぶりに昔のラビー部仲間で飲み会をした。
在札の6名が元気な顔を見せた。
開始時間の18:00には閑散としていたが、お開きの20:00頃にはほぼ満席となり、以前の賑わいを感じた。
いつものように安いセットメニューだったせいもあるが、食材費が値上がりしていてこれで利益は出るのだろうかと気の毒になる。
「俺たち、生きてもあとせいぜい10年かそこら。もう少しグレードを上げようよ。」とE氏からこの日の幹事役にツッコミが入る。
〝二人で1台〟の考え抜かれた酒の肴に若い調理場スタッフの努力が乗っていた。
それにしてもひもじい学生寮時代だった。
札幌駅は久し振りだった。
早く着いたのでブラブラしてみたらPCR検査場があった。
チラシを貰って読むと主催は東京のクリニックで何と予約無しの無料だ。
しかし、並んでいる人は無く、期間が手書きで延長になっているので利用者は少ないのだろう。
「重点措置期間」の今年の1月に所要で上京した折、帰りの新千歳空港で検査を受けようと分かりにくいネット予約を試み、結局は手続の不備で受けられなかったことが嘘のようだ。
当時は検査キットも不足し、保健所も仕事をさばき切れない状態だったが・・・。
検査数が減少している中での道内感染者数の高止まりだとまだまだ新型ロナウイルスは潜伏しているのかもしれない。
いつになっても「検査」「隔離」「医療」の徹底しかない。
「〝二人で1台〟の考え抜かれた酒の肴に若い調理場スタッフの努力が乗っていた」も、一緒になって、この「努力」を見て、食してみたいような。
「それにしてもひもじい学生寮時代だった」にもいろんな連想が湧いてきましたね。帯広畜産大学の学生寮って、どんなだったんだろう? とても寒い地域と聞くし、だるまストーブ? などなどと・・。いつもながら良い文章・・・。
麦3割のメシで、ある日のメニューは朝;食パン2枚、大学牛乳、バター、味噌汁。昼;冷や奴半丁のみ。夜;小麦粉カレー。冬は-30℃にもなる農場の乳牛は飼料計算されていましたが我々は必要Calの半分?
定期戦で北大は缶詰持参してました。笑
瑞穂のインカレの時は名大の合宿所を使わせて貰いましたが、布団は「名大病院」という判子が押された敷布団にくるまってました。どこもそんな時代で、今の学生さんには信じて貰えないですね。
良き想い出で、だからいつまでもRugbyの集まりが続くのだと思います。
学生寮のストームは、よく分かります。昼が冷や奴半丁って、今なら完全に虐待だ。その代わりに米だけはあった? メシを何杯食べたんだろう? それでー30度に耐えるって、「飼料計算」された乳牛よりも粗末に扱われていたのは確実ですね?
北大の缶詰なんんてもう、心底羨ましかったでしょうね。まさに垂涎もの。
名大の合宿所ってどこなんだろう? 今広がっている本山キャンバスなんだろうが、そのどこなのか? 豊田講堂の裏のどんぐり保育所があった方向、山の中のグランド近くだったかな?? ちょうど、70年安保のころですよね。僕は当時まだ大学にいましたが。
とにかく楽しく読みました。
名大合宿所は還暦の時に仲間と再訪したことがありました。昔の記憶が朧気に蘇り懐しかったものです。
キャンパス内の林に囲まれた緩やかな坂を登ったところにあります。近くにグラウンドもありました。
寮のメシでは身体が持たないので生協の「納豆定食」で練習に耐えていたものです。笑
札幌遠征の常宿の食事が最大の楽しみでした。食べるヤツは茶碗大盛り3~4杯は普通でしたね。
宿のおばさんは常々「あなた達の先輩は
よく食べて強かった。」と後輩に話していたそうです。