よくよく聞いてみても何を言っているんだか分からないのが安倍前首相だったが、明らかな嘘を細心の注意を払って積み重ねてゆく稀代の詭弁家であった。
後を継いだ菅首相は言葉を持たない。会話そのものを拒否しているように見える。「政治家は言葉が全て」と言われているが、苦手なのか。凡そ民主主義政治のトップに相応しくない人がなってしまった。
保守思想誌『表現者クライテリオン』が『菅義偉論』を特集している。佐藤勝、古賀誠、亀井静香、森田実、佐高信、中島岳志ら論客と編集者が「菅義偉は改革者か、破壊者か」という切り口で対談、寄稿している。
菅改革は保守たりえるのか、
自ら光を出せない“月の政治家”、
欠陥だらけの“半グレ”政権、
故郷喪失者の“ルサンチマン“(怨恨・憎悪)、
“マキャベリスト“(目的のためには手段を選ばず)、
原点はエリートへの反発、
中抜きの宰相、
保守の友にできない、
等々、官房長官時代から抱いていた人物像がズバリ言葉になっていた。
人間何かひとつくらい褒められそうなものだが、これほどにこき下ろされる宰相も珍しい。意中の親分を担ぐために派閥を渡り歩いてきた経歴や学術会議の問題に端的に現れた問答無用の強権的な政治姿勢がナルホドと腑に落ちる。
それにしても竹中平蔵氏があちこち登場する。「強者の論理」「己を育てた共同体から抜け出してきた孤独なよそ者」「見えざる支配階層と官僚の中抜き」が通底するのだという。〝竹中内閣〟との見方もあった。
『クライテリオン』は以前に、〝安倍晋三、その空虚な器論〟を展開し、雑多な利害が放り込まれて考えの統一性を欠くアベ政治を論じた。
スガ政治は光さえ閉じ込めてしまうブラックホールのように、何のために政治を志しているのか、「自助、公助、共助」という防災用語ではなく、根源をなす考え方が心に閉ざされているように感じる。そのエネルギーが間違った方向に暴発したら・・・。恐ろしい。
大衆の欲望に敏感な「値下げおじさん」(中島岳志)に惑わされないようにしなければ。