季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

ドビュッシー

2009年01月14日 | 音楽
ドビュッシーもワグネリアンのひとりだと書いた。そして嫌うようになった、嫌うというよりは嫌悪といえるくらいらしいけれど、理由はニーチェがワグナーを非難する理由と大差ないとも書いた。ちょっと間が開いたけれど続きを書いておこう。

ドビュッシーはフランスの代表的作曲家ということになっていて、それはまあ間違いではないし、フランス人だからね、どうでも良いことだが、フランスに留学する人たちが勘違いしたらまずいだろうから、僕の感想を書いておく。

ドビュッシーのピアノ曲はむしろ昔のドイツ人たちのほうがうまく弾く。ギーゼキングの演奏を僕はまったく好まないけれど、いわゆるうすっぺらい音ではないことだけはたしかだ。この人は感じ方自体が冷たいので、音は冷たくない。

奇妙に聞こえるかもしれない。しかし楽音というのは冷たい感じはしないものだ。
ハンゼン先生もドビュッシーがじつに美しかった。正直に言えば、彼のレパートリーと目されているベートーヴェンやブラームスより僕は好きであった。

ドビュッシーのピアノ曲を弾いてみると、音楽の性質はまったく異なるのであるが、何といおうか、手触りとでもいおうか、これはブラームスに良く似ている。これはほとんど誰も指摘しないに等しいけれど。たとえば前の記事で挙げた「雪の上の足跡」でもよい、これとブラームスの小品群の任意の曲、Op.119の最初の曲でもよい、これと一緒に弾いてみたら分かる。音の重なるときの注意力、やわらかくて質量のある音が薄く薄く重なっていく手触り、文字通りピアノに触る感触、これがよく似ているのである。

フランスに留学したいという人たちが躓きやすいのはそこだ。フランスがお洒落だというのはまあ本当かもしれないが、森有正さんの本でも読んでから行ったほうがよい。だいいち数学の国であり、デカルト(これは正確にいえばフランス人ではないにせよ)やパスカルを産んだ国ではないか。あるいはフローベルを、バルザックを産んだ国ではないか。ヴァレリーやアランがつい最近まで生きていた国ではないか。お洒落で感覚的なフランスというのはそれらの上に見えている一種のゆとりなのだ。

そう見ていくと、典型的なフランス的な作曲家はラヴェルなのであってドビュッシーではないのだ。いくら彼の交友範囲がフランス象徴派の詩人や画家であったとしても、彼の評論集の文体がヴァレリーの「テスト氏との一夜」に似ていたとしても、音楽の手触りはむしろフランス的なものから離れる。

彼ら詩人との交流は、よく言われることではあるが、僕には大して重要なこととは思えない。彼らとの交流がドビュッシーの「考え」とか自負に影響したことだけは確かだろうが、音楽に与えた根本的な痕跡を僕は認めない。昔からドビュッシーの音楽を語ると必ずヴェルレーヌが言われ、マラルメが語られる。乱暴にいってしまえば僕は、全部寝言だと思っている。

ワグナーが描写する力量を誇ったのならばドビュッシーは印象を音に託した。あえて言葉で言ったらこんなことだろうか。音の組み合わせこそ違うが、根底でドビュッシーは最後までワグネリアンだったといっても間違いではあるまいと思う。

ドイツ風の厚みのある音という言葉も誤解されっぱなしだ。フルトヴェングラー時代の」厚みのある音はどこへ行った、とチェリビダッケが嘆じていた。熱っぽく温か味のある音と言いなおしてもよいけれど、それは決して濁らない。透明感を失わない。オネゲルが最上のドビュッシーの演奏としてフルトヴェングラーとベルリンフィルを挙げているのは至極もっともなのである。

すでに書いたように、ピアノ曲における感触はブラームスに似るが、それをいうピアニストは少ない。小林秀雄さんがドビュッシーをブラームスと同じような位置にいる人でしょうと評しているのは、どこから嗅ぎつけたのか分からないが、良い勘をしているといわざるを得ない。