季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

語学 2

2009年01月19日 | その他
ドイツ語で我流を通した話を続けよう。出稼ぎ労働者たちのたくましさに太刀打ちできずに語学学校を辞めたところまで書いた。

そこで僕が生活を抜きでも心から関心を以って話したいことといえば音楽以外にない、面倒だ、教えちまえ、と決意し、話せもしないうちに新聞広告を出した。ピアノ教えます、日本人より。

考えてみれば奇妙なことだが、数件申し込みがあった。ドイツ人の親は適当なのであろうか?

どこの馬の骨とも分からない外国人に数件の依頼があるんですよ、わが国で考えられますか?少なくともピアノを習うのに。

ともあれ広告を出して教えるといったからには教えなければならない。いや、一応面接には行ったのだ。したがって先方もこちらの「私ドイツ語へたある、説明あやふや、ピアノ生徒より上手らしい」的なドイツ語能力は理解したはずだ、詐欺罪は適応されまい。

いざレッスンを始めてみたが、さすがの僕も出稽古に出かける前は気が重く、出かけた後も気が重く、早い話が気が重く、胃の辺りが痛くなった。

それでもいざ生徒が弾けば、言いたいことは次々にある。まあ大抵の場合、易しい事柄なのであるが。それでも初めのころは、最初の一言が出なかったら調子も悪くなると思い、前回注意したことを必死に思い出しては今日の第一声を決めておいた。「君は先週は手首が硬直していたけれど、今日はやや改善されている」なんてね。

したがって最初の一言は文法的にも選択した単語も適切だったはずだが、その後はしどろもどろに「僕は君はこの曲はなかなかきれいだ。この部分を手はレガートはスタッカートではない。ベートーヴェン、ブラームスその他いっぱい」といった調子に戻るのだった。

出稼ぎ労働者のでたらめな会話でも通じたように、僕のレッスンも何とか通じたのが不思議だ。生徒のほうから単語とか言い回しを言ってくれて助かりもした。

思えばジョン・万次郎や、明治にパリの万博でフランスへ渡りそのまま居ついた大工もそうやっていったのだろう。そんな都合のよい、力強い空想を繰り広げながらあがいているうちに、何とか会話が成立するようになった。

それでも日本人的潔癖な頭は「ほら前置詞が間違った」「ほら発音が」と時折囁いたけれど、次第にこれも気にならなくなった。必要は発明の母というが、開き直りの祖母でもあった。

その後長く暮らして大幅に上達したとは思わない。日常の雑談で、日本語では駄洒落や他愛もない冗談が好きなほうかもしれないが、ドイツ語で駄洒落は結局できなかった。時々試みたけれど、頭で考えた駄洒落くらいつまらないものはない。

語学の先生に、少なくとも音大で教えている先生にお願いしたい。くだらないことに目くじらを立てないでくれ、と。くだらないことではないと叱られそうだが、シューベルトやシューマンの歌曲を聴いて美しいと思ったときにはドイツ語も美しいと思っているはずなのだ。

せめて嫌いにさせないで貰いたい。ドイツ語が所謂ドイツリートの中でどれほど美しく響くかをあなた方は知っているだろうに。なんだかよく分からないけれどきれいだ、というところからしか道は開けていないはずだ。

文字通り角を矯めて牛を殺すことになっている。学生の怠惰をいうより、克服したという自負をなくしたほうが人格形成上もよろしい。誰の?教師だよ。