季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

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2009年01月30日 | その他
「思い込み」と題する文章を書いたばかりのところへ、いたましい事故があった。

1歳の子供が蒟蒻ゼリーをのどに詰まらせて亡くなった。周りの人も何と声をかけたらよいか分からないだろう。可哀想に、苦しかっただろう。

一月ほど前、僕もパンをのどに詰まらせ、ひどく苦しい思いをした。昼食を摂る時間がなくて、生徒を待たせて大急ぎでのみ込もうとして失敗した。

幸い何とか無事だったが、怖いものだと思った。

今回事故を引き起こした蒟蒻ゼリー(正確にいえば蒟蒻畑)は僕も時折食べる。子供や老人は食べないで下さい、と注意書きがあるのも良く知っている。

事故後、野田聖子大臣がメーカーを呼びつけ、厳重注意を与え、製造の中止を働きかける、と発言した。

ネットニュースで、メーカーが製造中止を決めたとあった。もっともその後確認はとれていない。

大臣の発言があったとき、僕は違和感を感じた。また、ここ数年間で(数字は忘れてしまった。誰でもすぐ知ることはできるからいちいち探すことはしない)17件も同様の死亡事故が起きているのに、製造を続けたことを難じる報道もあった。これにも違和感を感じた。

僕が留学のため羽田でフランクフルト行きの飛行機に乗ったとき、偶然、1級下のコントラバス専攻のM君に出会った。

彼とは親しく話したことは無かった。静かな、ほっそりした、まじめなそうな男だった。話を交わしたことは無かったが、僕は彼に対してどちらかといえば好感を持っていた。向こうもそうだったかもしれない。

卒業以来だから、少なくとも5年振りだったわけである。

僕がハンブルクに留学するのだと言うと、彼は自分はウィーンに行くのだと言っていた。そうかい、お互いに元気でやりましょう、そんな会話を交わした。彼の顔に僕自身の高揚感と緊張感を見た。

1,2年経ったころだろうか。何かの折に僕がM君と同じ便で渡欧したことを話したことがあった。彼は元気にしているかなあ、と言うと、何と亡くなったよ、とのことであった。

一時帰国の際、餅を詰まらせて亡くなったと聞いた時の驚きを今でも忘れない。久しぶりに日本の味を楽しんでいたのだろう、と憐れさはひとしおだった。

そんな経験があって、違和感のままに、検索をかけると、食品をのどに詰まらせて死亡する事故は結構たくさんあることを知った。

もちを筆頭に、ごはん、アメ、パン、しらたき、流動食、おかゆ等が挙がっている。流動食やおかゆが必要な人は病気で体が弱っているに違いないからさておくとして、他は僕たちが普段から目にするものばかりだ。

蒟蒻ゼリーは死亡事故が発生する頻度としてはおよそ10番目である。単純計算でいうと、もちはゼリーの80倍ほどの危険度、アメもはるかに高い危険度なのである。

僕はいまこんな数字を挙げながら、実にいやな気持ちである。こういう数を列挙したところで、本当の統計にはならないし。

なぜ大臣は蒟蒻ゼリーに限って製造の中止まで求めたのか。それは恐らくは蒟蒻ゼリーが「後発」の食品だからではなかろうか。必須の食品ではないのだから、という理屈はアメがあるかぎり通らない。

そのあたりの心理が、問題が起こったときにサブカルチャーが槍玉に挙がるのと似ていてまずいと感じるのである。

この一文は実は書いてはみたが、投稿などする気になれず放っておいた。しかし最近ちょっと気になって検索してみると、世間の「常識」は行政の対応に対し批判的なものが多かった。だが亡くなった子供の家族に対する心無いことばが多く、これもネットの世界のまずい点であると痛感した。スタンドプレーばかりしたがる政治家と、いたずらに自説の正当性を主張する匿名の多数と。手段を選ばぬという点で両者は似ている。

しかも大臣お膝元の商店では、問題のメーカーは撤去され、他社の蒟蒻ゼリーがその場所を占めているという記事まで発見するにおよび、万事がこの調子で進むのだと再認識せざるを得ない。

敢えて投稿する次第である。