季節はずれのインテルメッツォ(続)

音楽、文学、絵画、スポーツ、シェパード等々についての雑記帖。

後日談

2010年02月11日 | その他
ドイツで夏休みの前には、日光浴の正しいしかたをテレビで流す。一日目は木陰で30分、二日目はもう少し長く、といった感じで。

僕は陽射しの強い日本から来たのだから、と他人事に思っていたのが大間違いだったわけだ。

その時の蕁麻疹は今思い出しても奇妙な奴だった。まず痒さが半端ではない。痒みというのはどんな場合でも厄介だが。

両足先に皮細工を打ち出した時のような発疹が現れる。こいつが猛烈な痒みを伴うのである。それがなぜか分からぬがいつの間にかふくらはぎへ移動する。膝の裏あたりに移動する。膝の裏など、居ても立っても居られない。膝から切り取ってくれと頼みたくなるくらいだ。

尻に移るともう座面が発疹を刺激して座っていられない。一心に修行に励めば火もまた涼しいと昔の人は言ったではないか、と必死にピアノを弾こうとするのだが、悲しいかな痒みははるかに勝る。

発疹は下腹から胸へ移動する。座面に触れる辛さからは逃れたものの、今度はゴリラのように胸を掻き毟りたくなる。いや、ゴリラは胸を掻き毟るのではなかった、叩くのだった。

で、ゴリラの真似をして思い切り叩いてみるが何の効果もない。水風呂に浸かってみたら多少軽減するかも、と試みるが役にも立たぬ。

苦しみ抜いているうちに発疹は首へ、そして顔面へと移動する。僕は気が狂わんばかりに首を、顔面を掻き毟る。

発疹はあざ笑うかのように遂に頭部へ。この時あまりに激しく掻き毟ったおかげで僕の髪の毛はもじゃもじゃになってしまった。

最後に頭頂部から消え去ると、今までの痒さはいったいなんだったか、と嘘のようにさっぱりとする。

ところがしばらく休憩した発疹は再び足先に戻ってくるのだ。まるでお天道様由来の発疹だから律儀に真似をしているとでもいうように。

僕は又しても極度の集中でピアノを弾こうと試み、水風呂へ浸かり、髪の毛をもじゃもじゃにする。

このサイクルが延々と続くのである。ほとほと参ったなあ、これには。いったい何だかご存知の方はぜひ教えてください。

医者に通い続けているうちにようやく治まってきた。このときの安堵感は今でも忘れない。

さて前の記事で、世界陸上の第一回目が開催された年だったからよく覚えていると書いたでしょう、それでは問題です、ほかの事は何でも忘れる僕が第一回目というだけで覚えているはずがない、では覚えている理由はなんでしょう?

テレビってこんなくだらないことばかりですね。

世界陸上の話題はドイツでも盛り上がっていた。僕もぜひ見ようと楽しみにしていた。そこへ安静を言われたのである。おおいばりでテレビ観戦ができようというものだ。

残念なことに当時は白黒の小さなテレビしか持っていなかった。ふと名案が浮かんだ。中古のカラーテレビを買えばよいではないか、これなら買える。

急いで新聞の広告で探すと、いくつも候補が出ている。免許を取っておいて正解だったぜい(僕はドイツで取得した)とハンブルクの南端のうら寂しい一帯にある倉庫まで買い求めに行った。

壊れそうに古いが、白黒ではないテレビが所狭しと並んでいる。同じ金額ならより大きいものがよい、と大きな奴を選ぶと、人の良さそうな大男がひょいと抱きかかえて車まで運んでくれた。

僕はこの時、せっかく子供のころ読んだ「舌きり雀」のお話を忘れていた。小さいものを選ぶべきであった。

我が家に到着して、さて運び込もうと思ったが、大きすぎて僕の両手で抱えることはどうやってもできない。家内と二人で運ぼうとしても、僕は何とか持ち上げられるが彼女が耐えられない。

切羽詰って通りすがりの青年に声をかけて手伝ってもらった。もちろん僕も一緒に持ったぞ。いや格好悪かったが地獄に仏であった。

悲劇はその後すぐにやってきた。せっかく引っ込んでいた発疹がうんうんうなって重いテレビを運んだせいでぶり返してしまった。家でも医者でも今度は笑われるばかりでひどい目にあった。本当に治るまで安静を余儀なくされて、仕方なく世界陸上を見るしかなかった。

ドイツ人があんなに力持ちだとは!高砂部屋も朝青龍よりあのおじさんをスカウトしたほうが良かったかもね。良い人でしたよ、中古テレビ屋さん。

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