板橋かずゆきさんのコンサートの余韻に浸っている小生は、お礼やら、メールやら、さぼりやら、デスクワークで飯も食べずに、まだ、こうして、ブログにまたカキコしております。誰かに伝えたい一心で。。。
毎日新聞の一面に、「コムスン介護不許可」とならび、「人口動態統計で出生率1.32に上昇」という記事がありました。わたしどもの業界は特にこの厚生労働省発表の統計に敏感な業種であります。2000年から死亡数が出生数を上回り、亡くなる人が100万人を超えました。2025年くらいまでは、170万人くらい亡くなるであろうと推測しておりますが、その後は下り坂であります。葬儀屋さんの市場は狭くなります。現在も死亡数と反比例して、単価が落ち込み売り上げが減少モードになっております。いわゆる少子高齢化の影響であります。だから、生まれる子供が多くなれば、嬉しいのは当然ですし、将来の日本を思えば、子は宝であります。
と喜んでいたら、東奥日報の夕刊トップには、なんと「子どもの自殺 過去最悪」という見出しがショボショボまなごに飛び込んできました。(◎-◎)
9年連続で自殺者30000人超えで政府も対策を講じたばかり。将来の財産である子どもが自ら命を絶つという悲惨な事態に。「いじめ」という単にその一言では解決できないほど、根っこが深いものであります。子どもは親を映す鏡、つまり、現代社会の問題を浮き彫りにしていると憂慮してます。大人が将来に自信を持たずして、子どもはどうして、希望がもてるのでしょうか?
日本は物質的に恵まれていても、精神的には病んでます。そして、渇いている人々がたくさんおります。孤独なる群集と言った人もおりました。こんなときこそ「命の教育」です。学校現場に医者や、哲学者などの学識経験者だけではなく、刑事や葬儀屋さんや、命の瀬戸際にいる方々を招いて「命の尊さ」を教えるべきです。また、子どもの親殺し、親の子殺しなど、貧民国でも、考えられない殺人が起きております。いくら、飢えていても、紛争になっても、肉親を殺すという現象は日本特有の事象らしいです。どうなったのニッポン?
「親学」も趣旨は分かります。しかし、足元にたくさん、生きている教材は転がっております。また、人もたくさんおります。どうか、私のお願いです。教育現場で「死」を見つめる機会をつくってください。死を見つめる事はよく生きることにつながります。仏教では「死生一如」という言葉があります。人生は生死の表裏一体であります。子どもに、死をタブー視させないでください。隠せば隠すほど、変に関心を持ち始めます。性に対しても。もっともっと、語ってください。
アメリカでは早くから教育現場に「デス・エデュケーション」として、カリキュラムに取り入れられてきました。日本では、道徳や倫理社会などで、このテーマにはソフトタッチに流してきましたが、「なぜ、生きるのか」という本質的な議論を大人も避けて、子どもはゲームなどの仮想世界にその答えを求めているのではないでしょうか?群馬の実母を刻んだあの少年の心理もこのような感じではないでしょうか。子どものせいではありません。親、そして、大人の責任です。
私は縁があって、こういう仕事に携わっておりますが、多くのことを仕事を通して、学ばせてもらっております。人間100人いれば、100様の生き方があり、死に方があります。板橋かずゆきさんが歌を通して言いたいメッセージは「生きることはすばらしい」ということだと昨夜のコンサートで感じました。「あしなが育英会」に募金したのは、その思いが私にもあったからです。
秋田県につづく、自殺率2位の青森県。食生活のせいでしょうか?天候のせいでしょうか?お酒?たばこ?ギャンブル?もっと、引きこもらずに困ったら、助けを求めるべきです。なんでも話せる人が一人でもいれば・・・。さあ、命の教育を、まずは自分の子どもから。命の字はなんで命なんでしょうか?
毎日新聞の一面に、「コムスン介護不許可」とならび、「人口動態統計で出生率1.32に上昇」という記事がありました。わたしどもの業界は特にこの厚生労働省発表の統計に敏感な業種であります。2000年から死亡数が出生数を上回り、亡くなる人が100万人を超えました。2025年くらいまでは、170万人くらい亡くなるであろうと推測しておりますが、その後は下り坂であります。葬儀屋さんの市場は狭くなります。現在も死亡数と反比例して、単価が落ち込み売り上げが減少モードになっております。いわゆる少子高齢化の影響であります。だから、生まれる子供が多くなれば、嬉しいのは当然ですし、将来の日本を思えば、子は宝であります。
と喜んでいたら、東奥日報の夕刊トップには、なんと「子どもの自殺 過去最悪」という見出しがショボショボまなごに飛び込んできました。(◎-◎)
9年連続で自殺者30000人超えで政府も対策を講じたばかり。将来の財産である子どもが自ら命を絶つという悲惨な事態に。「いじめ」という単にその一言では解決できないほど、根っこが深いものであります。子どもは親を映す鏡、つまり、現代社会の問題を浮き彫りにしていると憂慮してます。大人が将来に自信を持たずして、子どもはどうして、希望がもてるのでしょうか?
日本は物質的に恵まれていても、精神的には病んでます。そして、渇いている人々がたくさんおります。孤独なる群集と言った人もおりました。こんなときこそ「命の教育」です。学校現場に医者や、哲学者などの学識経験者だけではなく、刑事や葬儀屋さんや、命の瀬戸際にいる方々を招いて「命の尊さ」を教えるべきです。また、子どもの親殺し、親の子殺しなど、貧民国でも、考えられない殺人が起きております。いくら、飢えていても、紛争になっても、肉親を殺すという現象は日本特有の事象らしいです。どうなったのニッポン?
「親学」も趣旨は分かります。しかし、足元にたくさん、生きている教材は転がっております。また、人もたくさんおります。どうか、私のお願いです。教育現場で「死」を見つめる機会をつくってください。死を見つめる事はよく生きることにつながります。仏教では「死生一如」という言葉があります。人生は生死の表裏一体であります。子どもに、死をタブー視させないでください。隠せば隠すほど、変に関心を持ち始めます。性に対しても。もっともっと、語ってください。
アメリカでは早くから教育現場に「デス・エデュケーション」として、カリキュラムに取り入れられてきました。日本では、道徳や倫理社会などで、このテーマにはソフトタッチに流してきましたが、「なぜ、生きるのか」という本質的な議論を大人も避けて、子どもはゲームなどの仮想世界にその答えを求めているのではないでしょうか?群馬の実母を刻んだあの少年の心理もこのような感じではないでしょうか。子どものせいではありません。親、そして、大人の責任です。
私は縁があって、こういう仕事に携わっておりますが、多くのことを仕事を通して、学ばせてもらっております。人間100人いれば、100様の生き方があり、死に方があります。板橋かずゆきさんが歌を通して言いたいメッセージは「生きることはすばらしい」ということだと昨夜のコンサートで感じました。「あしなが育英会」に募金したのは、その思いが私にもあったからです。
秋田県につづく、自殺率2位の青森県。食生活のせいでしょうか?天候のせいでしょうか?お酒?たばこ?ギャンブル?もっと、引きこもらずに困ったら、助けを求めるべきです。なんでも話せる人が一人でもいれば・・・。さあ、命の教育を、まずは自分の子どもから。命の字はなんで命なんでしょうか?