リンクモア平安閣で遺族の要望を汲み取って「セレブレーション・オブ・ライフ」運営のお手伝いをさせていただきました🙏
「日本で初めての"人生 の お祝い"が行われたので, 11月に父のためのイベントは日本の雑誌に取り上げられました. "人生 の お祝い は, その 人 の 人生 の ポジティブ な 面 に もっと 重視 し て カジュアル な 集まり で ある"という記事が紹介されました」(施主 山中泉氏)
1969年8月27日に第1作が劇場公開された映画「男はつらいよ」シリーズ、50作目。1997年公開の『男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 特別篇』以来22年ぶりの新作で、車寅次郎の甥・満男と、満男がかつて思いを寄せていたイズミのその後の物語を描く。そして、別々の人生を歩んできた二人を軸に、さくらや博、そしてくるまやを囲む人たちの今が描かれる。山田洋次監督88本目の監督作品。(作品資料より)🎞 公開日 2019年12月27日
There is a superstition that if a funeral or a memorial service (a Buddhist service) is done on a tomobiki day, a friend is drawn to the other world 😊 die), and in some areas crematories are closed on tomobiki days.
今日だけは
今日一日が一生である。
この一瞬を、今を、一日を、大切に生きよ。
怒るな
怒りの感情は、他人をも傷つけ、自分も害する想念で、
喜怒哀楽の感情に振り回されてはならぬ。
心配すな
今日一日を全力投球した後は
「人事を尽くして天命を待つ」思いで、全ては天に任せよ。
感謝して
人は自分の力ではなく、
大自然や周囲に生かされている。全てに感謝せよ。
業に励め
仕事や他人との関わりの中で学び成長するがよい。
人に親切に
自分が大切なように、他人も同じように大切で、
互いに助け合ってこそ社会が成り立つ事を忘れるな。
私たちの価値基準の立脚点。
間違いは、正していかないといけませんね。未来の子どもたちのために。
私たち人間が、今突き進もうとしている道は、本当に正しい道なのでしょうか?
その先に、私たちや子どもや孫、子孫が、本当に幸せを感じる世界を創っていけるのでしょうか⁉️
父をご支援頂いた皆様へ
この度の父・中村哲の訃報に際し、親族を代表いたしまして、皆様へご挨拶をさせていただきたく存じます。私は故人の長男で健と申します。
最初に申し上げたいのは、父を守るために亡くなられたアフガニスタンの運転手の方・警備の方そして残されたご家族・ご親族の方々への追悼の想いです。申し訳ない気持ちでいっぱいです。悔やんでも悔やみきれません。父ももし今この場にいたらきっとそのように思っているはずです。家族を代表し心よりお悔やみを申し上げます。
私たち家族は今回の訃報に大きなショックと深い悲しみに苛まれました。しかし、多くの方々がともに悲しんで下さり、私たち家族へ多くの激励の言葉をかけて下さっています。本当に救われています。
上皇様ご夫妻からのご弔意の賜わりをはじめ、いつもそばで父を支えてともに活動して下さり、これからも継続の意向を示してくださっているペシャワール会の皆様、アフガニスタン国での父の活動に賛同しご支援をいただいている大統領をはじめ政府関係の皆様、同じくアフガニスタン国の大変な環境にある作業現場の中で父とともに活動をしていただいているアフガニスタン国の国民の皆様、父の活動にご賛同いただきご支援をいただいている日本の皆様、そして今回の訃報から父を遠い異国に迎えに行くにあたり早急にそして最短の移動スケジュールでいけるようにご配慮していただき、宿泊先まで手配していただいた外務省・大使館・政府関係の職員の皆様、どんなに感謝しても足りません。父が今までもそして命がなくなってもなおアフガニスタンで活動ができるのも偏に皆様のご賛同・ご協力のおかげとしかいえません。
また今回の事件で警察、航空会社、葬儀会社、保険会社に関わる皆様にはいつも私たち家族の気持ち・立場に立っていただいています。そして24時間、どんな時でも真摯な対応をしていただいています。私たち家族は、皆様のおかげで不安・悲しみの気持ちから本当に守られています。感謝しています。
生前、父は山、川、植物、昆虫、動物をこの上なく愛する人でした。家ではいつも庭の手入れをしていました。私が子供の頃はよく一緒に山登りに連れて行ってもらいました。最近も、父とはよく一緒に山に登っていました。遊びに行くときは「できればみんなで行こうよ」、「みんなで行った方が楽しいよ」ということを言っていました。みんなと楽しみたいという考えの人でした。
また父がアフガニスタンへ旅立つとき、私と2人きりで話す場面ではいつも「お母さんをよろしく」「家をたのんだ」「まあ何でも一生懸命やったらいいよ」と言っていました。その言葉に、父の家族への気遣い・思いを感じていました。
今、思い返すと、父自身も余裕がない時もきっとあったはずです。いつも頭のどこかで家族のことを思ってくれている父でした。父の、自分のことよりも人を思う性格・どんなときも本質をみるという考えから出ていた言葉だったと思います。その言葉どおり背中でみせてくれていました。
私自身が父から学んだことは、家族はもちろん人の思いを大切にすること、物事において本当に必要なことを見極めること、そして必要なことは一生懸命行うということです。私が20歳になる前はいつも怒られていました。「口先だけじゃなくて行動に示せ」と言われていました。「俺は行動しか信じない」と言っていました。父から学んだことは、行動で示したいと思います。この先の人生において自分がどんなに年を取っても父から学んだことをいつも心に残し、生きていきたいと思います。
最後に親族を代表致しまして皆々様からの父と私たち家族へのご厚情に深く感謝いたします。
親族代表 故人・長男中村健