婆さんが行く

婆さんの食卓とワンコ

土佐源氏 その4 

2019-02-21 16:01:31 | Weblog

優しい他人の奥様も他界されて《土佐源氏》
馬喰の仕事をしながら 相変わらずいろんな女性との艶聞は、絶えなかったものの盲目となってしまった。
そこで 捨てた奥様のもとへ帰り 二人で目が見えるようにお遍路さんに・・
しかし 妻は、年数がたっていたため夫に捨てられた怒りの感情が風化したのか
あるいは、年をとって一人より二人のほうが寂しくないと思ったのか
やはり 年月ってすごいなぁー(ひそかに風化だと思っている)

ついには、橋の下でお貰いをして生きる日々になったという最後でした。
終幕 風にゴザがあおられる演技は、みごとだった。
またもや89歳でしょ?と思う。

「女をかまいはしたがだましはしなかった」
「女は、男の気持ちをわかってくれるが 男で女の気持ちをわかってくれるのは、まれにしかいない」

うーーん 考え込んでしまうな。
たぶん人をだます仕事なので 人が抱えている心の悲しみや動きを察知するのに長けていたのかな・・
女の人は、鬱々とした日々の中でそれを溶かす言動になにもかも ゆだねたくなったの?

風が吹き抜ける。

これで 話はお終い。

この軽舞台もう一度見たいな。
しかも 場所は、お堂がいい。

 

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土佐源氏 その3

2019-02-20 09:54:10 | Weblog

さて、土佐源氏(女性遍歴が華やかだった光源氏のむこうをはって土佐源氏みたい)
父無し子ゆえか貧しかったからか・・
憶測するに生活の貧しい中でたいした後ろ盾がないと勝手きままな(教育、しつけ)子供時代を送らざるを得ないだろうし
人は得てしてその環境に流され将来も方向づけされてしまうのだろう。
今だってそうだとひそかに思う。
その日暮らしで貧しければ 教育も躾も後回しになってしまうよね。
それ故か まだ 十代半ばで馬喰見習いになり いよいよ奔放な男女の性を見聞きすることになったのだろう。
しばらくして馬喰の親分が亡くなって その宿泊所と性の相手だった女性をも引き継いだ。
まもなくその彼女が大事にしていた娘と駆け落ち所帯をもった。
ほう~っと話に没頭。
一人芝居ながら二人で山を越えて逃げていく情景が ありありと脳裏に浮かんで・・
うまいなぁー待てよ!演じている方は、今89歳 凄いなーってため息がでる。
馬喰の仕事と情事に明け暮れていたある時
牛を買い売り そんな時身分の高い奥様と深い関係になる。
その奥様の描写がうまい。
夫が外に愛妾を囲い 妻は淡々とした日常を過ごす間にスキがあったのでしょう。
自分を対等に扱ってくれ 優しい寂しげな奥様に恋したのかもしれません。
待ち合わせの坂の上に上ってくるのが ありありと表現されていました。
まあ しかし 何回かの逢瀬の末に奥様に迷惑がかかってはいかんということですべてを捨てて家出するのですが・・
その後も似たような境遇の身分の高い奥様と納屋での情事
この奥様も可愛らしくしとやかに表現されていました。
この方は、二年後にあっさり肺炎で他界。
牛のほうが愛情深く 人を忘れない。
牛の鳴き声が なかなかのものでした。
ご挨拶の鳴き声 寂しげな鳴き声
うーーん またもや 89歳でしょ?ってため息が出る。

モゥーーー

まだ続く・・

 もう一度 見たい。

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土佐源氏/馬喰について その2

2019-02-19 14:31:08 | Weblog

お寺さんの住職様の初めのお言葉があり 一畳ぐらいの台座の上にあった蝋燭に火がともされた。
それと同時に室内が暗くなり 風の音なのか もの悲しい音色にどっぷりはまったころ
ゴザを被って襤褸をまとった人がよろよろと・・・
ぎょぎょっとした。
その後 台座に座ってお話を聞きに来た人に身の上話を始めました。
えーと 存在しない人が見えました。
それが そのうち あたかも自分に語りかけられているような錯覚におちいるのだが
自分は、お母さんが夜這いで身ごもった子供で祖父母に育てられた(ようするにお父さんがいない子)
子供の頃、子守の子(よその家の子守の女の子たち)に混じって遊んで そこでの性の目覚めの話。
子供は、大人のすることをよく見ていて ませた女の子が興味津々でまねっこするんだって笑いたくなったが
生憎 笑う場面ではなかった。
その後、馬喰になるのだが その話も面白かった。
田舎でよく「バクロウが」というときって どうしようもない人を指して使うのだが 
この度あらためて馬喰についてよくわかった。
人を騙して牛や馬を売り買いするシステムを事細かに教えてくださいました。
ダメな牛をいい牛だって言って 他所のいい牛と取り換えて またいい牛と取り換えて・・
でもね 最後のすごーくいい牛は、誰の所に行くんだろう?って
実は、思考が止まった。
 
しかもだ ダメな牛といい牛を取り換える才能ってすごくない!?

馬喰って詐欺師みたいなものだったから嫌われたのかしら?

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土佐源氏 その1

2019-02-19 11:05:34 | Weblog

そもそもこの『土佐源氏』は、民俗学者・宮本常一著『忘れられた日本人』に収められているものだそうです。
著者が昭和16年の冬に高知の山間の村・梼原で出会った盲目の元馬喰から聞いた話をもとに書かれたそうです。
その話の中から おそらく印象深いものを抜粋?して 坂本長利さんが一人芝居の戯曲にしたてあげ今日にいたるのでしょう。
それというのも 坂本長利さんが所属していた『ぶどうの会』が解散し・・ 
いろいろ模索していたときにストリップ劇場の前座や合間に前衛的というべきか小さなお芝居というべきかお声がかかったのが発端なのではないでしょうか。
お客様は、ストリップを見に来ているのだから いくら艶話とはいえ「ひっこめ!」や「早く終われ!」ぐらいはあったのではないかと推察します。
それが 1208回も上演されているなんて なんだか形容しがたい興奮を覚えざるを得ない。
しかも 今 89歳のご高齢になってもが 俄然 興味がわいた。
何があっても 行こう!
会場は、家から徒歩20分ぐらい 楽しみって歩くと倍増するんだよね。
開場にピッタリの時間に着いたのだが ぐるりと長い列ができていた。
なんとどちらかというと最後のほうに近い順番だったのには唖然。
会場は、お寺さんの本堂だった。
おそらく ご本尊さまの前あたり 一畳ほどの台座があって
このスペースでお芝居を演じるのねってわくわくしてきた。
それにしても 後ろのほうでは見えにくい。
一番前で正座してみるというのを心で描いていたので さてさてどうしたものだろうって思っていたら
「座布団がなくてもいいなら 左側が空いています」とのことだった。
すぐに人をかきわけかきわけ 行って見たら舞台のそでの位置ではあるが 前だった。
もちろんニカッと笑って喜んだ。

なんてついているんだろう。

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